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14年前の「推し」小説

高校生の頃、文芸部に所属していました。定期的に一次創作の何かを発表する必要があったため、今よりも創作に対する感度は高かったように思います。あと若かった。

そんな活動の中で書いた短いお話ですが、今もちょっと気に入っています。いろいろと稚拙な表現、今だったらこう直すのに、等々ありますが、あえてそのままにして載せてみることにしました。よければどうぞ。


或る秋の日の或る電車の中で

2009.12.18発行
テーマは『片思い』


 学校に行くのがつらい季節になった。目覚まし時計の音は聞こえるけれど、布団から出たいとは思わない。外を見ると重たそうな雲が落っこちてしまうんじゃないかというくらい地面に接近しているのが目に入った。……気持ちが更に鬱々としたものになる。その後、なんとか支度を終えて朝ご飯を食べていると、母がニュースを見ながら画面に向かって何かをぼそぼそと呟いていた。つまらない芸能ニュースをやたら楽しげな声で解説するテレビの声は、甲高くて五月蝿かった。そしてふと、こういうニュースを流すことでもっと大事な何かを隠しているんじゃないかという、妙に懐疑的な気持ちになった。きっと疲れているんだと思う。
 そして今日も電車の中は湿気ていた。都会のような混み方はしていないが、各々のイヤホンから漏れる雑音やらサラリーマンの咳払いやらが入り交じっている。皆、朝食の匂いをどこか引き摺っていて、深呼吸するのは憚られる。澱んだ空気は狭い車内の中に閉じ込められて、二酸化炭素を沢山含んで私たちを窒息させる。冷房の時期が終わってしまったために、どうやらこの状況を打破する方法はないようだ。
 そんな日々の中で私の唯一の楽しみは、電車の中から見える大きな広告である。二十分の乗車中、十三分経ったところで目に入るビールの広告はシンプルで、青字に白抜きで商品名、そして「彼」がビールを飲み干す写真で構成されている。特にかっこいいわけでもないが、少し狐のような目をした「彼」が私は好きである。長い指がグラスを持っているのも、いい。
 この広告は一応帰りも見えるが、行きの方がよく見える。線路の配置の都合で若干ではあるがその看板に近いし、なんといっても帰りは暗い。看板は一応ライトアップされるが、私は人工の光に照らされた彼よりも朝の東日に晒されている彼の方が好きなのだ。
 この被写体が誰なのかということは全く気にならなかった。なんというか、私はこの看板が好きなのだ。彼はもしかしたら有名な俳優かもしれないが(アイドルには見えないからだ)、そもそも芸能関連のことには疎いので見た覚えがない。それに調べようと思ったこともないから、彼の名前も出演作品もこのビール以外の広告も、私は何も知らなかった。だが知っても、この看板には勝らないだろう。
 そして私はこの広告の彼を心の中で、「看板の君」なんてふざけた名前で呼んでいた。私は「看板の君」のことを誰にも言わないでいた。言う必要もないし、言う相手もいないからだ。それに同じ電車に乗る友人がいないからいちいち説明するのが面倒だろう。だから私だけの秘密、といっても過言ではないと思う。



 ある朝、いつも以上にのんびりとすごしていたら、毎朝乗る電車を逃してしまった。二本後だが、一応間に合うだろう。しかし多分混んでいる。いつも右側の窓近くに立ってあの看板を見るのだが、今朝はそんな余裕もないだろう。急がなかった自分が悪いのだが、なんだか苛々した。
 案の定駅も電車も混んでいた。が、意外な人に会った。幼馴染の茉子。偶然同じ電車に乗り合わせ、二人で窓側に立つことができた。茉子は私より二駅前で降りるということだったけれどそこまでは各停なので、乗車時間は私とそう大差はないようだった。
 乗車して十三分後。いつもの看板が目に入る。駅の近くだから、電車は減速する。私は直ぐに看板を指差して、茉子に言った。
「あの看板、好きなんだ」
 茉子はあのビールの? と聞いた。私は頷いて「毎朝見るんだけどさ」と付け加えた。
「あの看板の人、Kさんだよね。私も好きだよ」
「K……さん?」
「薫、好きそうだよね、あの俳優さん」
「あ……ああ」
 指が細いところとか、と、茉子は見事に私の好みを言い当ててみせた。

 さらっと茉子が口にした「K」というその名前に私は戸惑った。なぜだろうか。調べようとも思わなかった「看板の君」の正体が、呆気なく発覚してしまっただろうか。まるでなんのトリックもないミステリーのような、間抜けた喪失感だった。その後も茉子の話に変な相槌を打つうちに、「K」さんの出演するドラマが木曜日に始まることを知ってしまった。

 木曜日。九時から始まるそれを、私は見た。丁度母も見たかったドラマだったらしい。ドラマの中の「K」さんはあのビールの看板とは違って少し影があって、黒い服がとても似合っていた。声が思っていたよりも低くて、それがまたよかった。他にもバラエティで番宣をしていたけれど、少し関西弁混じりの喋り方が可愛くて、私服もお洒落だった。



「あ、」

 看板を見逃した。今まで有得なかった事だ。携帯で「K」さんの番組出演を調べていたら、いつの間にか過ぎていたのだ。私の中ではっきりと分断されていたはずの「看板の君」と「K」さんが、今では完全に入り交じってしまったのだ。携帯でちょっと調べれば、「K」さんの写真は簡単に手に入る。なんだか今までとは何かが変わってしまったのだと私は思った。

 しかし「K」さんと「看板の君」は何かが決定的に違った。「K」さんに対する感情は単なるファンとしての感情なのに、「看板の君」に対してはそうではないのだ。それが何なのかは、分からない。だが、今私は「看板の君」のことをすっかり忘れていた。

 三次元が私や「K」さんなのだとしたら、「看板の君」、あなたはなんなのだろう。あなたは「K」さんが見せる一つの顔ではなくて、私の中では「看板の君」という分離した一人になっているのだ。これは漫画のキャラクターに恋するよりも困難で、俳優に憧れるよりも無意味なことなのかもしれない。でも、万が一、「看板の君」への思いが恋だとして、今の私はなんなのだろう。

 看板の君、私は少し戸惑っているのかもしれない。あなたが本当はKさんという俳優が演じているだけの存在という当たり前のことに、混乱しているのかもしれない。
 しかし私の妙な片思いは誰にも気付かれないし、あなたにも気付かれないだろう。ずっと不毛な、可哀相な恋なんだ。

 いつものように朝を迎え、母の独り言を聞きながら私は支度する。電車に乗り、雑音とあらゆる臭いが密閉された空間に立って、私は外に目をやる。十三分経てばあの看板が目に入るだろう。でも私はそれをあえて見ないようにする。……どうしてなんだろうか。いつからなんだろうか。今私はその看板が撤去される日を、強く待ち望んでいる。


当時高校三年生です。
きっと日々思うことがいろいろあったんだなあと振り返るのですが、これはこの当時にはおそらく無かった「推し」概念について一生懸命考えている感じが窺えて、いまも好きなお話です。
お読みいただきありがとうございました。

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