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脊椎側弯症 part2

part1、思ったよりたくさんの反響をもらって素直に嬉しいです。

中学の同級生たちも、意外と詳しいことは知らなかったらしい、ということに気がつきました。

病院に通い始めてから手術までの記憶が本当になくて、当時の親友に対してですら、どこまで話してたのかな、と思い返しても思い返しても何も思い出せません。

入院することくらいは伝えていたのかな、何も相談しなかったのかな、本当に何も覚えていません。

普段嫌なことがあれば誰かにバーーっと吐き出すことが多いのですが、そんな記憶もないんですよね。

記憶0。


さてpart2です。

予定ではpart2で終わろうと思っていたのですが、意外と長くなったのでpartいくつまで行くのかわかりません。




入院~手術

入院

入院時の持ち物一覧の紙を事前にもらっており、入院までの間はそれらを買ったり、事前準備をしてました。
確か大きめのバスタオル、とかそういうものが必要だった記憶が朧げにあります。

全部親が用意してくれたので、あんまり覚えてないです…。




入院当日は親と一緒に整形外科病棟へ行きました。

最初看護師長さんから、入院生活全般の説明を受け、入院初日から術後1週間まで個室で入院しました。

シャワーもトイレも洗面もついていて、スピーカーでテレビが見られる、そんな素敵な個室でした。

「素敵な個室」ってちょっとどころではなく、かなり語弊がある気もしますが、入院経験ある人はわかると思います。

大部屋と個室の差。個室がどれだけ快適か。
個室単体で見ると、非常に無機質な、必要最低限の機能が備わっている部屋としか表現できない空間です。

まぁ良いこととしては、ナースステーションが目の前なことくらいですね。
絶対評価だと「素敵」とは言えないです。

ただ大部屋と比べると「素敵」と言わざるを得ません。
ただでさえ体調が人生でトップレベルに悪いのに他人と同じ部屋で生活するのってどう考えてもストレスです。

相対評価としての「素敵」です。





さて、入院から手術のスケジュールとしては以下の通りでした。

○入院初日〜手術前日(約1週間)
▶︎1日30分ほど毎日牽引

○手術前日
▶︎手術の最終説明、麻酔科の方からの説明



牽引とは、ベッドに大規模なてこの原理を用いた装置をつけ、自分の足の重さで頭や首を引っ張ることです。


首が引っ張られるんですけど、別に痛くもなんともなく、当の本人は寝転ぶだけです。




手術までの約1週間、牽引以外の予定が何も無く、正直人生で1番暇でした。

ただ、時期的にインフルエンザ感染リスクがあるため、外出はやめるように言われてしまったので、ひたすら病院内を散歩していたような気がします。

あとは永遠につまらないテレビを見て、
今となっては懐かしい、当時の相棒iPod nanoでひたすら音楽を聴いていたと思います。

ありがたいことに院内にコンビニがあったので、少しは楽しく過ごしました。


冷静に考えて、コンビニが楽しいってかなりQOL低めですね。

新作アイスでかなりの喜びを感じていました。
今も新作アイス好きは変わらないですが。





ちなみに、入院前に貯血をしたり、入院前の検査をしてくださったのは小児科だったのですが、入院したのは整形外科でした。

整形外科はだいたいヘルニア持ちのおじいちゃんおばあちゃんしかいないので(超無知な個人の意見です。本当はもっといろんな方がいるんだと思います。)友達もできず、若い看護師さんと仲良しになりました。

私のおかげで整形外科病棟の平均年齢がかなりさがったようで、看護師さんたちもたくさん話しかけに来てくれたのがうれしかったです。

4月ということもあり、新人看護師さんとも仲良くなりました。




そして手術前日。
当時海外に単身赴任していた父親が帰国してくれたので、両親と3人で手術の説明を受けたり、麻酔科の担当の先生のお話を聞いたりしました。

覚悟が決まりすぎていたのか、全く怖さもなく、淡々と説明をうけていました。
緊張とかもほぼしなかったです。


夜、私だけ病院の良いベッドで、両親は簡易ベッドで、個室で3次元的な川の字で寝ました。





手術当日〜数日


手術当日、朝から絶食だったのでぼーっとしながら、朝をすごしました。

あとは、何故か背中の記念写真をピースで取りました。

数時間後にはおさらばする、いびつな形の背中との最後の別れを惜しみました。
まあ諸悪の根源なのでとっとと消え去ってくれていいんですけど、何故か記念写真だけ残っています。
14年間連れ添った愛すべき背中ですもんね。




手術前には、たくさんの知り合いに頑張ってねと言われたのですが、なんと返事するのが正しいのか分からなくて、適当に流してしまっていた記憶があります。

手術って私寝てるだけなので頑張ること特にないんですよね、むしろ頑張って欲しいのは先生方だし…。
まあ、そんなことを思いつつも、手術前にはいろんな人からエールをもらいました。
単純にだれかに応援されること自体はうれしいですよね。

そんなみんなからのエールを胸に歩いて手術室へ行きました。


※ちなみに、手術の日程が学校の始業式か入学式あたりだったので、何人もクラス替えの結果をLINEしてくれました。ありがとう。




手術室ってベッドで運ばれるイメージだったので、自分で歩いていくこと自体にも驚きました。




初めての手術室、足でドアの開閉をするんだ〜とか、無機質だな〜とか、手術用のライトってほんとにイカつい見た目してるんだな〜とか、小さいことではありますが、初めての空間にひたすら感動しました。

それを共有できる人がその場にいないのが悲しかったです。





何度も生年月日と名前を確認されながら、自分でストレッチャーに寝転びました。


そこで初めて、「これから手術するんだ…何されるんだろう…」というこれからの未知の体験が怖くて仕方なくて、涙が出たのを覚えています。

全身から溢れる私の不安を手術室の看護師さんたちは感じ取ってくれたのか、「これから頭と足先に電気流す機械つけるね!」「心電図みたいにぺたぺた冷たいの貼るね!」と私に施す全てのことを丁寧に教えてくださいました。

そんな看護師さんたちの優しさを感じつつ、手際よく作業している姿を見て、かっこいいなという気持ちと同時に、こうやって毎日何回も、たくさんの人の手術のお手伝いをしてるんだな、と思いました。

私個人の人生の中では手術って大イベントだけど、日常的に誰かは常に手術を受けているわけで、看護師さんたちにとってはそれが日常なわけで、なんとなく複雑な気持ちになりました。





そんなあれこれ考える中で唯一、個人的に面白かったのが手術室内でかける音楽についてです。

聞きたい音楽はあるか、と看護師さんに聞かれたのですが、緊張しすぎて&遠慮しすぎて、大好きな嵐の曲すらリクエストできず、「なんでもいいです」と返事しました。

そして選ばれたのは何故かコブクロ。しかもアルバムを1曲目から。
内心「コブクロはいいけどせめてなんか有名な曲にしないんだ…」と思いました。

知らない曲を歌うコブクロのおふたりの声をとりあえず聞いておきました。


今考えたらこのエピソードなにもおもしろくないのですが、当時の私は全力で心の中ツッコミしてました。





そして諸々の準備が終わり、「これから麻酔いれるね」と声をかけられました。
何故かその時の私は、「麻酔に抗ってみよう!」というよく分からない挑戦をしたのですが、3秒くらいで負けました。
PCの強制シャットダウンくらいプツッと意識がなくなった記憶があります。
麻酔ってすごいですね、ちょっと怖い。









次に目が覚めたのは術後、自分の個室でした。
朝9時頃からはじまった手術は無事成功したようで、かすかに目が覚めた私のぼんやりとした記憶では、夕陽が差し込んで、部屋がオレンジに染まってたような気がします。

ちょっと幻想的でした。
もう夕方なのか…と思うと同時にきれいな景色だな…なんて思っていました。





あとから聞いた話だと、麻酔覚醒時に暴れたらしいです。
調べてみるとそんな珍しいことでは無いみたいですが、どう暴れたのか気になります。
恥ずかしいから知りたくない気持ちもありますが、自分に起きたこと全部知りたい派です。





また、親曰く、病室に帰ってきたあと様々な処置を看護師さんが大勢で行っていたらしく、親は1時間くらい部屋に入れてもらえなかったらしいです。

他の側弯症仲間たちは術後にICUに入ったと聞いたので、私もてっきりそうかと思いきや、自分の個室に戻って来られました。

ICUに入るという事実がメンタルに来そうなので、自室に戻れて良かったです。






最初はまだ麻酔が抜けきらず、意識の狭間をうろうろして、記憶も朧げでしたが、起きていくのと同時に痛みが増して、人生で1番しんどい数日がスタートしました。


しんどかったことはたくさんあるのですが、

  1. 自力で動けない精神的ダメージ

  2. 痛みと熱と薬の副作用による身体的ダメージ

大きくいうとこの2つです。




1.自力で動けないこと
ベッドで仰向けで寝転んでいる状態から寝返りすら打てないくらい、本当に自分一人ではなにも出来ない状態でした。



喉が渇いたときも、麻酔が抜け切るまでは濡れた脱脂綿を口に入れてもらうだけで、何も飲めませんでした。

麻酔が切れたあとも、自分では動けないので誰かに口元までストローを持ってきてもらって、それを吸うしかできないんですよね。
しかも酸素マスクしてるから、それを外すと少し苦しいですし。


また、床ずれしてしまうので、自力では寝返りの打てない私のために何時間かに1度、看護師さんがわざわざいらして、私を左右どちらかの横向きにしたり、仰向けに戻したりしてくださいました。

自分の体の下にバスタオルを引いておいて、それを使って動かします。
その動かされる瞬間があまりにも激痛で、そこで過呼吸を起こしてしまったりもしました。
看護師さんたちは、当たり前ですがプロなので、その状況にも全く慌てず、上手に私の息を整えてくれます。
すごいです。




これらは身体的にももちろん辛いのですが、精神的ダメージが大きかったです。


1日前までは難なく出来ていた日常生活の基本的動作が一切できず、
ただベッドで仰向けになっていることしかできない人間であることを、すぐに受け入れられるわけもなく、メンタルも削られていきました。



学校へ行く、どころの騒ぎではなく、自分の家に帰れないかもしれない、と漠然とした不安に襲われていました。






2.痛みと熱と薬の副作用
こちらは、身体的にきつかったことです。

当たり前なのですが、背中を40cmくらい切って、腰の当たりも10cmくらい切って、痛くないわけが無いんですよね。

熱も39℃でてました。
熱のしんどさなのか、痛みからくるしんどさなのか、何がしんどいのかよくわからないまま、ひたすら耐えてました。

貧血もひどく、事前に貯血した1200mlの自己血を全て体内に戻しましたが、圧倒的貧血でした。


「人間こんなに痛くても死なないんだな、大したことじゃ死なない立派な生き物だな。」
「既に背中は真っ直ぐで、あとは傷が治るのを待つだけで良くなる方向にしかいかないから、今感じてる痛みが最大だし、今耐えられてるんなら明日以降もなんとかいけそうだな。」
とか考えていました。




実際、痛みを直視すると多分泣き叫びそうになるくらい(そんな体力は無いからできない)痛かったです。

点滴でかなり強めの痛み止めを、「薬があんまり効いてないな」と思ったときにボタンを押すと、落ちる薬の量が増えるという素晴らしい機械に繋いで落としてました。

これが意外と厄介で、常に痛いから連打したいんですが、上限いっちゃうとそれ以上増えなくなるんですよね。


「上限いってしまったら、この痛みを和らげるものはもう無くなる…」という恐怖で、痛みに耐えられるギリギリまで我慢して、「もう無理!」と感じた時に押してました。

個人の体感的には2時間に1回くらい押してるんですが、実際は18分に1回押してたらしいです。
しかもきっかり18分ごと。

痛すぎて時間の流れが考えられないくらい遅くて、頑張れるギリギリまで粘ってたつもりが意外と粘れていないんですね、その事実を知って愕然としました。





しかもこの薬、しっかり副作用があり、何も食べてないのにひたすら嘔吐しまくってました。

胆汁って黄色っぽいんだ、と初めて学びました。






さらに、依存性があるとかなんとかで長期の使用を禁止されており、数日ですぐおさらばしました。

その後が地獄でした。
痛い、ただひたすら痛いのに、頼るものもない、心折れそうでした。
でも時間が経てば治るはずと信じてただ我慢しました。


泣き叫んだところで、痛みが消えるわけじゃないし、死ぬわけでもないし、大丈夫、と耐えていた記憶があります。





術後~退院

術後数日後〜術後1週間


体外から背中の中へ入れているドレーンを抜いていただきました。


その時、不幸にも体内の縫合糸と絡まったらしくドレーンが体内に残ってしまいました。


先生がドレーンを引っ張ってたら、明らかになにかに引っかかってスルスル抜けないな〜と感じていたら、プチンと切れてました。

先生の「あ。」って声がもれちゃってるし、周りの医療関係者たちの不穏な空気もひしひしと感じた私は、直感的に、「絶対良くない何かが起きた」と思いました。




その後すぐレントゲンを撮りに行きました。
自力で寝返りすら打てない人間の背中のレントゲンを撮るときは、大勢の大人が私の下に引いているバスタオルを持って私を持ち上げ、その下にレントゲンの板をサッと入れてその上に私を置きます。

ベッドですら激痛なのに固い板が痛くないわけないんですよね。
病棟からついてきてくれた看護師さんが「痛いよね、ごめんね、つらくない?」とたくさん声をかけてくださいました。

自分の身に何が起きてるかいまいちよくわからないままレントゲン室に連れてこられて不安な私はその優しさが忘れられません。





結局体内にドレーンが残っていたのでその翌日、再手術をしました。

局部麻酔でも可能らしいのですが、私へのさまざまな負担を考慮して全身麻酔で行いました。





この次の日あたりから、ちょっと元気になってきて、ベッドの柵をうまく使って横に向けるようになりました。


ちなみに、横に向けるだけで、仰向けには戻れないので、仰向けになりたいときは、情けないのですが、ナースコールしていました。





その後、リハビリスタートです。

まずは、ベッドに座れるようになること。
そしてベッドから足をブラーンとたらして、足を動かすこと。

背中に負担にならない体の起こし方を教えていただきました。
ちなみに、今でもそれで起きています。


初回は自分で起きれるわけもなく、補助ありで起こしてもらいました。
術後5、6日たって、はじめてベッドの縁に座りました。


極度の貧血に消えた体力&筋力、5分間座るのがやっとでした。


再手術が原因で、リハビリ開始予定日が遅れたわけですが、1日遅れたらどのくらいの影響があるんですかね。
1日でも早い方がいい、とは聞いてましたけど実際どうなんでしょう。




足を動かしてみてと言われても筋力が衰えてしまい、全く動かない足。
さすがにメンタルに来ますね。

足の動かし方を忘れたのかと錯覚するくらい全く動きませんでした。

調べてみると、人間の筋力は1週間の絶対安静で10~15%低下するらしいです。



そこからは自主トレで、ベッドの頭を上げて座ることに慣れてみること、車椅子に乗って病院内を旅することを繰り返して、なんとか10分間座れるようになりました。





スパルタリハビリなので、歩行器使って立つ練習もすぐに開始しました。


術後初めて立つと、ちょっと景色が変わっていました。
身長を測ると3cmの成長!
曲がった背骨伸ばすだけで身長伸びるんですね、当たり前なんですけどちょっと気持ち悪いですね。

久々に立てて、ちょっと進歩を感じられてとてもうれしかったです。






術後1週間〜退院

華の個室から大部屋に引っ越ししました!
パチパチ👏



同じ部屋には80代のおばあちゃん2人、そして空きのベッド1つでした。
母親はそのベッドを使わせてもらえることになりました。

母親は結局、私が入院してから一度も家に帰ることなく1ヶ月間ずっと病院に泊まってくれました。
感謝しかありません。




個室での思い出は基本的に痛い、つらい、しんどい、とさまざまな身体症状からくるマイナス感情で占めてるのですが、大部屋での思い出はほとんど、日常生活に戻れなくてつらい、です。




大部屋に移ってからは、日常生活にいかに適応できるようにがんばれるか、の日々でした。
でも以前とは明らかに違う体に気持ちがついていけず、毎日泣いてたと思います。

コルセットの型取りをするのに5分くらい立っておく必要があるんですけど、これが耐えられないんですよね。

貧血でふらふらしながら最後の方は全く前も見えず、ひたすら歩行器にしがみついていました。



他にも、歩くのにも誰かがいないとダメなことも地味ながらに辛かったです。

歩くという、人間としての基本機能すら怪しくて、コケたら最期なので、歩く時は歩行器かつ、誰かの補助あり、という制限付きでした。





でも一番つらかったことは変わらない窓の景色です。

入院生活を思い返すと1番最初に思い出す景色が、大部屋の窓から見える空の景色です。
うまく動かない体を象徴する景色です。


雨だろうが晴れていようが、湿度も気温も一定な無機質な室内。

目の前には電車も車も走っているはずで、何事もなくただ毎日を生きてる人がたくさんいるはずなのに、
窓一枚隔てた部屋の中で、私は何をしてるのか、ただ閉じ込められているだけだ、と閉塞感に息が詰まっていました。



牢獄に閉じ込められた気持ちでした。




だからといってこの体で日常生活が送れる自信もなく、ただベッドにいるだけしかできない、とそのギャップに毎日泣いていました。

せめてベッドの上でできる日常生活は、音楽を聴くことくらいだったので、
何時間も聞いていました。

嵐ありがとう。






こんな地獄の生活の中で唯一おもしろかったのは、お風呂です。
機械浴すごいですね。
寝転んでるだけでお風呂入れるんですよね、すごいですよね!!

お湯に浸かるという体験が、寝転んだままできることに感動しました。


どんな機械なのか、上手に説明できないので割愛しますが、気になる人は調べてみてください。

この世にはこんな便利なものがあるのか、こんな私でもお風呂に浸かれるんだ、と嬉しくなりました。




あとは単純にお風呂って気分転換になりますよね。
お風呂は命の洗濯とはよく言ったものですね。




退院までの数週間はひたすら、
早朝の採血・朝ごはん・昼ご飯・リハビリ・数日に1回お風呂・たまに検査・夜ご飯・就寝
と同じ毎日を過ごしました。




私、どうも血管が見えづらいらしく、早朝から採血がうまくいかないので、若手の看護師さんが失敗→ベテランさん登場、の流れができあがっていました。



ストレスなのか、夜全く寝付けない日もあったり、
本当にメンタルがやられて毎日毎日泣いていましたが、
手術から約1か月後、ようやく退院の許可がおり、帰宅しました。




久々に帰った家はあまりにも素敵すぎて、帰ってこられたという感動もあって、なんとも言えない気持ちになりました。








part2はここまでにします。

part3は退院してから、日常生活復帰編です。



有益なnoteはあきらかに側弯症の話なのに、なぜか1本前にあげている、自己肯定感とQuizKnockの話の方がたくさんスキがきてるんですよね~

QKについて書いてるnoteが少ないからなのかな、まあいいんですけどね。




スポッチャとか行くと感動しますね、私適度に運動できるじゃん、上出来じゃん、って思いますね。

私はつらいことがあっても、なんとか乗り越えられる気がする、という気持ちでいられるのは、間違いなく側弯症の経験が生きているからなので、この経験や感じたこと、気持ちは大事にしていきたいな、と思います。


またいつか出るであろうpart3でお会いしましょう。


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