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「はじめての語用論 第5章」の練習問題を解いてみました。

どんどん問題を解いていきます!

 先日、第4章の練習問題の解答を書いてみたばかりですが、どんどん解答を上げてこの本の練習問題の自分の回答を記録していこうと思います!!(とかいいつつ、次回はきっと年明けとかになりそう…)さて、第5章は指示語用論の問題のようですね。いわゆる、ダイクシス(何かの指示)が大きく関わるものです。さっそく問題を見ていきましょう。


練習問題

次の例は A ・クリスティの『そして誰もいなくなった』の一節である。年齢も職業も様々な面識のない10人の男女が孤島の邸宅に集められた。そこで次々と人が殺されていき、残っているのは5人だけとなった。夕方になってヴェラが台所に行ってお茶でも入れようかと申し出る。するとウォーグレイヴ判事は彼女がお茶を入れるのを見たいと言う。
(1)
Vera rose. She said:
"I'll go and make it. You can all stay here."
Mr. Justice Wargrave said gently:
"I think, my dear young lady, we would all prefer to come and watch you make it."                     (Agatha Christie, "And Then There Were None". p. 215)

問1
同じ場所(台所)への移動を表すのに、なぜ最初は go が、二番目は come が使われているのだろうか。
問2
太字の we は、聞き手包含的用法、聞き手除外的用法のどちらだろうか。
問3
英語の come と日本語の「来る」の使われ方の違いを調べてみよう。

加藤・澤田(編)(2020: 91-92)

練習問題 問1

 この問題を解くには go と come の違いを整理することが必要です。次の節で確認していきましょう。

go V.S. come

 両者の違いは、話し手が視点を移動の起点(「到達点以外」とする方が正確ですが…)に置くか、到達点に置くかの違いにあります。 go は視点を移動の起点に、 come は視点を移動の到達点に置きます。
 分かりやすい比較例は次のようなものです。

a. 小舟がこちら岸へと向かって {*行った / 来た}。
b. 小舟が向こう岸へと向かって {行った / *来た}。

加藤・澤田(編)(2020: 85)

a. で「来る」が好まれるのは、「こちら岸」というフレーズから分かるように、視点が移動の到達点側に置かれているからです。対して、 b. では「向こう岸」とあるように、視点が移動の出発点側に置かれているので「行く」が好まれるということになります。このような傾向が、概ね英語でも見られます。

問題の文章を見てみよう。

 まずは、 go が用いられている文から考えていきましょう。この文は、お茶を入れるためにヴェラが台所に行くと話している場面ですね。この時、状況としては、皆台所にはいないということが、問題文からは推測されます。つまり、彼らは台所に移動する必要があるわけです。そのため、視点は移動の起点となるはずの今皆がいる場所になるはずです。したがって、視点が移動の起点である際に好まれる go がこの文では好まれるわけです。
 では、 come が使われている文はどうでしょうか?こちらも、似たような理屈で考えると go にならないといけない気がしますよね?おそらくですが、この文で重要なのは、「移動後に何をするのか?」ということです。台所に移動した後、ウォーグレイヴ判事はヴェラがお茶を入れている様子を見たいと提案しています。そして、彼が行いたいことは紛れもなくこの動作であって、台所に行くことはそうするためのある種のプロセスの1つに過ぎません。つまり、台所で行われていることを確認するために、台所に赴く必要があるのです。この一連の説明から分かる通り、この文の視点は完全に移動の到達点側に置かれています。そのため、移動の到達点側に視点を置くことが好まれる come がこの文では用いられているのだと考えられます。
 問1はこんな感じでいいですかね。

練習問題 問2

 こちらの問題についてですが、まずは we の聞き手包含的用法と聞き手除外的用法を整理しておきたいと思います。

聞き手包含的用法 V.S. 聞き手排除的用法

 次の文を見てください。

May we go in?

Fillmore (1997)

この文は Fillmore によると、3つの解釈が存在するそうです。まず、聞き手に「私たち、入っても構いませんか?」と入る許可を取るような解釈です。この場合、聞き手は例えばその建物の警備員であることが考えられますね。次に、「私たち、入れるんですかね?」と聞き手に入れる可能性を聞く場合です。こちらでは、聞き手の例としてちょうどそこら辺に通りかかった人があげられます。最後に、「私たち、入ってもいいんですかね?」と聞き手に建物に入れる可能性を聞いて、確認し合う場合です。こちらの聞き手の例としては話し手の同行者が考えられます。
 このように見たときに、最初の2つの解釈は別に聞き手は話し手と一緒に建物に入るわけでもないのに、 we という単語が用いられていることになります。このような we の用法を聞き手排除的用法と言います。一方、最後の解釈では、聞き手は話し手と一緒に建物の中に入ります。このような用法を聞き手包含的用法と言います。

では、問2の場合はどう考える?

 今回の文章の場合にはどのように考えると良いのでしょうか? we が用いられている文を再掲しますね。

I think, my dear young lady, we would all prefer to come and watch you make it.

(Agatha Christie, "And Then There Were None". p. 215)

この文を日本語にすると少し分かりやすくなるかもしれません。「私たちは皆台所に行って、あなたがお茶を入れるところを見ていたいのですが。」という意味になるでしょうか。つまり、台所に行って、そして you [Vera] がお茶を入れているのを見たいと言っているわけです。ここで重要なのが、この節の主語と動詞が何かということです。We と (would […]) prefer ですね。つまり、「私たちは、〜の方が良い」という意味になっていて、そのように思っているのが誰かということが重要であるように感じます。おそらくですが、そのようにしたいとヴェラに提案している以上、ウォーグレイヴ判事はヴェラがそのようなことを少なくとも望んではいないだろうと踏んでいると推測できます。とすると、この we は聞き手であるヴェラを除いた人々のことを指していると解釈できますね。よって、この we は聞き手除外的用法と言えそうです。

練習問題 問3

 こちらなのですが、少し私的に時間がないのでまたいつかということにしておきます。英語とは違って、日本語の「来る」の視点は常に今話し手達がいる場所を到達点とする場合が多いように感じますね。まあ、もっと調べないとですが。

最後に

 てなわけで、第5章の練習問題はこんな感じにしておきます。まだ半分も終わっていないなんて…まあ、1つずつやっていきますかね。次回は第6章。言語行為論の問題です。いわゆる協調の原則ってやつです。お楽しみに。

参考文献

加藤重広、澤田 淳(編). (2020). 「はじめての語用論 基礎から応用まで」.研究社:東京.

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