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コロナ後に思うこと

もうマスクはしていない。5月連休以後からよほど周囲が舌打ちでもしそうな雰囲気でもない限りマスクしない事にした。すぐ喉をやられるか?と思いきやわりと平気。ならばまず自分が外さなければならないだろう。

まず自分が、と書いた。つまりそれ以外の人のことを書きたい。醜形恐怖ということばは10年くらい前から聞いたことがある。10代の子によくあるらしい。つまりは見た目が少しでも気になる場合は隠したいというわけで、確かに自意識過剰になる年頃にはなんで自分はこんな顔なんだろう?髪の質やら、皮膚の質感、背の高さや体形、指の長さや爪の形に至るまで急に気になって隣の子がうらやましく思えたりする。マスクで半分隠せるなら都合は良い。

しかし問題は隠すのは顔の下半分だけではないということだ。目の辺りだけだと表情が分かりづらい。そもそも日本の都会の子は顔が変わらない。笑わないし、動かない、声が出ない。それは個性だという人もいるかもしれない。しかしながら本当にそれで良いのか?ADOという歌手がかなり攻撃的な歌詞をこれまたかなり強めの発声で歌ってヒットになったのはみんなの代弁者だからではないのか?本来なら言いたいことが溢れてこぼれ出さんばかりのはず。マスクで武装して隠した情熱が歪み間違った方向性にとんでもないことにならないことを祈る。思いはキチンと定期的に出してシェアし合うことで健全に消化されていくのだろうし、コンスタントに出し合うことで上手く表現できるのではあるまいかと…対人恐怖症とか言って自分を武装してコミュニケーションをはじめから放棄してしまうのが当たり前になる状況がデフォルトみたいになったら生きづらいことこの上ないのでは?なんて思わずにはいられません。マスクしない方が可愛いよ、みなさん。

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