見出し画像

fay ender ⑩【本格ファンタジー小説】第二章 力の発現「2-1 地獄の一丁目②」


第二章 力の発現

2-1 地獄の一丁目②

(前作 「2-1 地獄の一丁目①」 のつづき)

 ヴィーが岩壁の窪みで蹲るようにへばりついている。その頭上にでこぼこした瘤のような岩が突き出ており、綱が巻き付いていた。

 悪夢の墜落を止めてくれたのは、どうやらあの岩瘤のお陰か。
 それも二重三重になって巻き付いている所をみると、偶然引っかかったものではない。ヴィーがもしもの時に備えてあらかじめこの場所で待機し、巻き付けていたのだろう。
 胴を締め上げる綱の痛みを堪えながら再び岩壁に取りつき、そのすべてを見て取った。

 ヴィーが蹲ったまま顔を上げずに言葉を投げてくる。

「ここまで這い上がれるか?」

「ああ…大丈夫だ」

 死から免れた反動で、意外にも手足がきびきびと動いてくれた。
 ヴィーがいる窪みへ這い上がり、そこが人間が二人楽に立てる空間であることに驚いた。
 肩で荒く息をつきながら、尻を何とか落ち着ける。喋りたいがまだ呼吸が整わない。
 ヴィーが顔を上げた。長い黒髪の間から覗く銀色の瞳が、ほっとしたように柔らかく笑っていた。

「無事でよかった」
 
 その表情に惹きつけられ、フィオランはすぐに目を逸らした。
 それよりも、上を見上げた時、少し様子がおかしかったことが気になった。

「どこか痛めたか?」
 
 大分呼吸が整ってきて、やっとそれだけが言えた。

「いや。それよりおまえこそどうなんだ。かなりの勢いで壁に叩きつけられていたように見えたぞ」

「頭にタンコブが出来た程度だよ」

 ほとんど体が触れ合うほど密着して、互いの体を労わりあった。

いつも微妙に距離を取るヴィーへこれほど接近していることを、フィオランは急に意識しだした。

 潮の香りがした。
 匂いに導かれ、荒々しい海が心象風景となって頭の中に広がった。
 こんな山岳のど真ん中に海はない。
 ヴィー自身が持つ大自然の匂いに思わず陶然となりながら、なぜだか記憶を揺さぶられた。記憶の底の底を深く揺さぶる匂い。

「さあ、一気に降りるぞ。実はここまでが難所だったんだ。ここより下は楽な足掛かりばかりで、そう時間をかけずに降りられる」

 沈み込んでいた自分の内側から引き戻され、フィオランははっと我に返った。
 黒髪を靡かせ、平然と谷底を見下ろす姿には、先ほど一瞬だけ見せた翳りのようなものは微塵も見当たらない。
 再び絶壁を降り始めたヴィーにフィオランはすぐに続く。
 もはや闇雲な恐怖は跡形もなく吹き飛んでしまっていた。

 
 谷底の河原へ両足で降り立った途端、フィオランは体中の力が抜けた。
 一生分の集中力を使い果たしてしまった感覚だ。
 粗い岩場に倒れこみ、口から魂魄が抜けて上空をしばらく漂うままにさせていた。

 頭を傾けて、ふとヴィーを見やる。
 何気に左肩を押さえて少し背を丸めている。
 駆け寄って前へ回り込み、顔を覗き込んだ。背の高い自分とそう変わらない位置で瞬く銀色の眼が、苦痛の翳りを帯びているのを見逃さなかった。

 近寄られて、すぐにヴィーが手を離した左肩へフィオランは素早く触れた。そっと触ったつもりなのだが、明らかにヴィーは眉を顰めた。

「やっぱり痛めてるじゃねえか! 折れてるのか? どうして言ってくれねえんだよ」

 そこではっと思い当たる。墜落の時、柔らかいものに当たったと思ったのは気のせいではなかったのだ。

「…完全に墜落した俺を、まさか受け止めてくれたのか?」

 ヴィーは何も言わない。代わりに別のことを返した。

「折れてはいない。肩が外れただけだ。大したことじゃない」

 後ろへ下がってヴィーは身を引いたが、手を宙に浮かせたままフィオランは口をパクパクさせている。

「た、大したことじゃない……? か、肩が外れたまま、この絶壁を降りてきたのか?」

 しょ、正真正銘この女は化け物だ。

「魔法でも使ったのか? いや、そうだ。そもそもなんで俺たちはこんな死にそうな目に遭ってまで、崖をえっちらおっちら降りたんだ? あんたのお得意な魔法を使えば簡単に向こう岸へ渡れたんじゃねえのか?」
 
 この五日間、ヴィーが一度もそういった類いの手妻を見せなかったことに対する疑問をぶつけてみた。

「言ったろう。わたしは魔法など使わない。妖術使いでもない。何度も言わせるな」

「じゃあ、そんな体でどうやって降りたというんだ」

「もちろん、真面目に手足を動かしてだ。当たり前だろう」

 こともなげにそう言い、皮袋を背負おうとするので、苛々とフィオランは荷物をひったくった。

「強がるんじゃねえよ。顔色悪いぜ」

「ずいぶんと口が悪いな」

「…あんたに言われたくねえな。それより、手当てが先だ。そんな怪我で歩けるかよ」

 もはや、フィオランは愛想よく振舞う仮面をかなぐり捨てている。

「この先にいい場所があるんだ。体を休めるには快適な所だ。そこまで歩くさ」

 ヴィーはそう言いながら歩き出したが、足元がふらついている。
 この頑健な女でも肩の怪我が相当こたえている証拠だ。それでもまだ弱音を吐かず歩き出そうとする姿にフィオランは呆れ果て、一瞬躊躇ってから相手の腰に片手を伸ばした。
  かなりの覚悟を決めて触れたのだが、拍子抜けするほど何も起きなかった。身の内に雪崩れこんでくる、あの暴力的な現象は何一つ現れない。
 人に触れてなんの映像も浮かばないのは初めての経験だ。メリュジーヌ婆さんでさえ、少しは様々なものが視えたというのに。

「……少し辛抱してくれよ」

 ほっとしたのか失望したのか自分でもよくわからず、腰を支える腕に力を込めた。ヴィーは何も言わず、されるがままに身を預けてきた。


~次作 「 2-2 炎の使い手① 」 へつづく
 


この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?