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しょうがなくでも、子どもの頃に修行した方が身に付くから丁稚奉公とかあったんやろな

自己紹介の續きです。

10歳の時、子どもたちも手を離れたのでと、母が学童保育の先生を始めた。

当時はまだ學校に學童保育が併設されてなくて、本当に必要だと思った父母会が共同で作った民間の學童保育だったので、子どもが歸って來てから夕方までの仕事だと思って始めたのか知っていたのかは知らないけど、一人でも遅くなると歸れないことや、運営會議や、バザーや、キャンプやで、夜ご飯の時間に歸って來れない事態が頻發する。

そして、ワタシたち姉妹は(10歳と8歳)、「365日のおかず百科」という分厚いレシピ本を片手に、晩ごはん当番が始まった。

おばあちゃんも居たし(おばあちゃんは一緒に住んでいたけど、17時から22時までうどん屋さんでパートをしてた)、小さい頃からお料理はしてたけど、わ~いやってみよう!ってやるのと、責任を持って晩ごはんを用意しとくでは氣持ち的に雲泥の差で、2コ下の妹は、ワタシよりもっとたいへんだと思っただろうなぁ。

それでも、本を見ながら冷蔵庫にある食材でレシピを見ながら料理することを、樂しんではいたと思う。

もしかしたら辛かったのかもしれないけど、40年経った今となっては、

あの時晩ごはん当番があったから、高校生でバイトに行っても、一人でモーニング営業できたり、たこ焼き屋開業や、ローフードカフェ開業や、飲食を本業にしなくなった今でもまだ、「リンダのご飯が食べたいよ~!」と言ってもらえる、料理する人の勘とか微妙な味付けの感覚とかが身に付いて、なんやかんや言いながらも40年料理してきた安定感が、美味しい自信になっていると思うのです。

子どもの頃に覚えたスキルが、ずっと體の中に宝として残って行くことを知っていたから、昔は丁稚奉公とかあったのかなぁとか、「若いときの苦労は買ってでもしろ。」みたいな諺もそういう考えのひとつなんやなと、大人になった今だから思います。

辛い思いをしてやることは、今の時代には必要ないと思うけど、なんかやりたい子どもの芽を摘む大人にはならないでおこうと思います。

「經驗が宝」

あらら、自己紹介だったのに、リンダ語録になってもぉた。

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