母性と母と。<前編>「結晶」を観て③

招かれる人は多いが、選ばれる人は少ない。

(マタイによる福音書22:14)

わたしは陣痛が来なかった。これは陣痛・・・なの?程度の、お腹の息子がそろそろ出たい、とノックした?かのような、その程度の痛みのみ。出産予定日から2週間を経過したため、母子の安全重視で帝王切開(手術)にて出産。産んだというより、取り出してもらった感が強く、産みの痛みが出産時の陣痛のことなら「お腹を痛めて産んだ」と言えないが、手術の場合お腹の子供に麻酔がかかると危険なため、脊髄からの最小限の局所麻酔で外と中のお腹を切る。つまり、帝王切開も痛い。息子は巨大児(4065g)だったので、彼が思い切り大きくした子宮がぐんぐん伸縮していく痛み(後産。つまりは陣痛と仕組みは同じ)は相当のもので、手術の夜は全く眠れなかった。手術で取り出した子供は、下界に降りる準備ができていない天使。羽根が縮んだまま(肺が膨らんでいない)なので、しばしカプセルで過ごす。麻酔の後遺症でめまいと吐き気のひどいわたしは、ご飯が豪華で美味しい&おやつもイケてると評判の個人病院を選んだのに、ガスが出た後も何も食べられずに数日を過ごし、対面した息子の沐浴講習時も落としそうでとても怖かった。なんとか子供は落とさなかったが体重は落ちた。出産前20キロオーバーだった体重は、息子4キロ+胎盤1キロ(標準の倍)であっさり5~6キロ落ち、ご飯が食べられないのでさらにぐんぐん落ち、あっという間に12キロ痩せ、病室に来た看護婦が「え?・・・りんだ・・・さん?」と偽物と疑われた程だ。「りんださんって、ほんとは可愛いかったのね♡笑」という冗談?にも全くノれず、退院時には妊娠前の体重まであと2キロという、驚異の縮みをやってのけた。

<「選べるのよ」という橘禾の言葉と柚宇の決心>
というわけで、人生で何が最高か、と言えば母になれたことだ。わたしは離婚によるシングルマザーだが、息子の存在はかつて夫に確実に愛された証=結晶に他ならず、息子を持たなかったら紙袋に必要なものを入れたヲタな旅人であったであろう。片親でも息子に惨めな暮らしなどさせない、と決心して、子守り・見守り・応援シフトを厚くし、両親セットの家より稼いだ。ある日デパートの外商が黒いセゾンカードを持ってきた。頑張った甲斐はあった。なぜならわたしの夢はそのカードが叶えたのだから。

高校生だった息子と行った椿山荘のカフェ。支払い伝票に黒いカードを挟んだわたしに、息子は言った。「かっこいい」と。何が夢かって、息子にかっこいいと思われること以外あるか?ない。ないない。そして息子は言った(その時ではないが)。「僕は、貧乏を選ぶことができる」と。選択肢のある人生に感謝している、と。

選択肢のある人生。橘禾の言葉は、柚宇に教えた。選ぶことができる人として神に選ばれたことを。

(母性と母と。<後編>へ)


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