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なぜ、なんJは衰退したのか?

そもそもなんJって言うほど面白かったか?ということはさておき、少し気になったのでメモ。
なんJはスクリプトの攻撃や住人層・年齢層の変化などの影響を受けて大きく変化しています。
その中での仮説です。



なんJは衰退したのか?

かつてのなんJは奇怪な関西弁猛虎弁を駆使する野球好きの掲示板として有名でした。
「ンゴ」「ニキ」「334」などを始めとする数々のなんJ語が存在した通り、初見さんお断りのガラパゴス板であり、何かとトラブルが絶えなかったことでも知られています。

しばらく前から、まとめブログの流行によりなんJはお客さんの流入を止められずにいました。
そのせいか、取り扱う話題も取って代わられ、アニメ・ゲーム・漫画のような子供向けのもの、そして政治・経済・芸能のような中年・高齢者向けのものが増え、今では猛虎弁の書き込みを見ることもほとんどありません。

以前の面影を殆ど残さない変化は、敢えて鎖国が解かれたと表現すれば衰退ではなく進化・正常化かもしれません。
ですから、「昔とは変わった」「なんJっぽさが消えた」という感覚の方が正しいかもしれません。
それでもなんJっぽくないから、なんJが衰退した(?)という印象は強いように思います。

そもそもなんJはつまらなかった

本題です。
衰退という書き方をしましまが、そもそもなんJはつまらない掲示板だったと思います。

と言いますのも、失礼ですがなんJ民って社会不適合者の集まりです。
コミュニケーション能力が絶望的で、深く考えることもせず、感情に任せて反射的に書き込むことしかできず、無教養で、視野が狭く、リアルの話は面白みに欠け、冗談を言わせてもセンスがいちいち小学生レベルで、興奮し出すと異様にしつこく、一たびキレると手が付けられない。
なんJ民は話がつまらないですし、事実として今のなんJやその移住先に書き込まれる内容はつまらないものばかり。
精々「ワンワン」とか「ニャー」とか「パオーン」みたいな無意味な鳴き声に過ぎず、まるで読む価値がありません。

そういう意味での、なんJはつまらなくて然るべきという表現です。
人がつまらないから内容もつまらない。
今の状態はデフォルト、ダメな人達があるべき姿に回帰したとするのが正しいでしょう。

そんななんJが過去には「面白い掲示板」という評判でウケていた要因は気になる所です。
人のつまらなさは同じなのに、様々な語録やネタスレが輸出され、まとめブログがこぞって記事を集めていたことも事実。
つまらなかったはずの掲示板が一体なぜ人気を博したのでしょうか。

趣味と言語の共通化

人気とは、そこに価値を見出す人達によって生み出されます。
前述の通りコミュ障のなんJ民に価値があったわけではありません。しかし、かつてのなんJにはプロ野球ファンの溜まり場という価値がありました。
外部から来る人は「ネットのプロ野球ファンの反応を見たい」という目的でなんJに価値を見出していたのではないでしょうか。

皆さんもご存知の通り、趣味が合う人とは話が通じるものです。なんJ民は野球ファンだらけですので、会話はダメでも野球の話は通じます。
そしてファン同士多くを語らず、語る必要もなかったので、コミュ障でも問題なく意思の確認はできていたのではないでしょうか。
或いはプロ野球の話題の供給が多いため、つまらない話をする前に野球のスレに人が集まっていたのかもしれません。
そんな風に、なんJではコミュ障同士の不和を回避しやすい風土が整っていたと推測されます。
年がら年中、定型文で野球の話を繰り返しているなんJ民は、側から見れば異常ですが本人たちにとっては「上手く行っている」方だったのです。

せっかくなので定型文にも触れておきます。
プロ野球はトレンドの供給が多かったので、なんJ民もトレンドを際限なく使い回しました。
ウケたネタは大勢のなんJ民が繰り返し書き込み、なんJ民からなんJ民へ伝播。
これがコピペとして普及すると、エコーチェンバー的に「この言葉には、こういう意味がある」「こういうシチュエーションでは、こういう言葉を使う」というテンプレが確立され共通言語に進化。
これが定型文としてなんJに定着したのです。

こうして生まれたなんJ語は、用法が用法だけに意味が単一で含蓄もないため、コミュ障が無理して捻り出すより誤解や無駄が少ない特徴があります。
喋ることが苦手ななんJ民にとって、説明の手間を省けるテンプレは馬鹿にされたり勘違いされたりするリスクが少なく済むため、大変便利です。
また、テンプレを使って書き込みを短縮することは、言い換えれば「余計な一言を生まない」という構造なので、これも不和の軽減に寄与してくれます。
本人たちは面倒くさがっただけでしょうが。


珍獣化したなんJ民

104 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2012/09/07(金) 12:34:20.28 ID:Gh4PJDVw0
なんJみたいに定型文が発達してる板ってのはコミュ症にとっては都合のいい場所だからな
お互い一方的にもかかわらず表面上はコミュニケーションがとれているように見える
なんJは意思の疎通を捨てた猿ガキの溜まり場
書き込まれている内容は鳴き声に近い

なんJ民の定型文トークは人間本来のコミュニケーションには遠く及ばない未熟な手段ですが、無理をしてどうにかなるものでもありません。
会話ができないコミュ障なりのコミュニケーション術として一定の評価は与えるべきでしょう。
それは「多くを語らない」「テンプレで済ませる」という特徴がなんJ民本来の話のつまらなさや異常性をオブラートに包む効果もあるため、一概に捨て去るほどではないからです。
一例をご覧ください。

  1. 「救援投手が打たれた、○ね!」

  2. 「○○ンゴwwwww」「○川○児wwwww」

いかがですか?

1は感情をそのまま吐き出した書き込みです。本気で命を狙っている訳ではありませんが、誹謗中傷になり得る不快な内容です。
2は同じシチュエーションでなんJ語フィルターを介した書き込みです。悔しがってはいるのでしょうが、どこか呆れつつも笑うしかない野球ファンの姿が想像されます。

このように、なんJ語を使うと同じ内容でもコミカルな書き込みに変形し、不快感を抑え、見る人に与える心象ががらりと変わります。
不快感がないということはイコール読みやすいということ。なんJの場合は野球メインですから、野球関係の記事において引用・転載リスクが低く、変な言葉遣いを除けばハイライトシーンのリアクション集などに比較的使えます。
これは日常の雑談にしても同様で、なんJ民の悲劇をなんJ語が喜劇に変え、非常識で笑えるおバカを作り出してくれます。
なんJの文化は、なんJ民をいろんな意味で新鮮で、コミカルで、他人事の珍獣に作り替える効果もあったのです。

こうした特徴・メリットのお陰で、なんJは利用者・部外者共に人気の掲示板として認識されていたのではないでしょうか。

そして人間に戻った

このように、なんJ民はコミュ障にとっての難問である「意思疎通」を「共通の趣味・言葉遣い」という方法で乗り越え、野球ファンの動物園という価値を創造しました。
然るに、趣味と言葉を失ったらどんな価値が残るのか?
それが今のなんJです。

なんJは元々コミュ障の溜まり場で、なんJ語のお陰で何とかなっていたに過ぎません。
その礎ともいえる野球と言葉の濃度が薄まったことで、なんJ民は再び「意思疎通」という難問に直面し、案の定コミュ障の鳴き声しか残せなかったのです。

今のなんJには趣味も共通言語もありません。
暇な自分語りしかできず、趣味の合わない奴らが貧相な語彙力と理解力でグダグダ喋る様にストレスを感じる。
こんな風な隠れていた異常性が露わになったことで、なんJは動物園としての価値を喪失。
加えてスクリプトの猛攻やtalk騒動、DDoS攻撃などにより物理的・利用者的に完全崩壊し、なんGやなんEへ移住を繰り返す内に棲み分けが果たされ、かつての面影はどこにも残りません。
故に、今のなんJは趣味と言葉を失ったコミュ障達がありのままを書き込む惨めな掲示板に「回帰した」のです。
なんJ民は定型文の方がまだマシだったのです。

終わりに

趣味と言語の消失という2点にスポットを当てて仮説を立ててみました。いかがでしょうか?

これはなんJ衰退の一因の推測に過ぎません。
より深い所に目を配れば、プロ野球のネタ選手やネタ球団の減少したとか、住人が高齢化してネタを追えなくなったとか、はたまたお客さんがプロ野球を駆逐したとか、いろいろなことが考えられます。
ネタを探し、加工し、使い方をレクチャーしないと、なかなか新しい言葉は生まれないし、流行も作れませんよね。
いつまでも古い玩具が通用する訳ではないのです。

そういえば、かつてのカッスレや内川コピペのようなSS、マイライフスレやペナント検証スレ、データや指標を集めた野球談義なども今は見なくなりました。
なんJ民は生産的な作業ができなくなったのかもしれません。歳ですかね。

趣味も合わない(何なら無い)し話もつまらない。
そりゃあ衰退もするでしょうよ。

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