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古文書整理でもたたらのビッグネームが出てきました。

どこの地域にも歴史があります。そして、古文書が残されています。
鳥取県日野町でも、鳥取県西部地震の際に多くの古文書の存在が明らかになり、保護されました。
それから20年。少しづつ古文書の整理が続けられています。

3月27日に私もボランティアとして古文書整理を手伝いました。
午前中は公民館で、古文書解読の勉強をし、午後に実際の古文書整理をします。

午前中に「扣』という字を習いました。
「控』の旧字体だそうです。

そして午後の実地で早速この字が出てきました。
右下に「村扣 むらひかえ」とあります。
こうして勉強したことを現場で使うことができるとうれしくなります。

日野郡下菅村 御上作廻田割賦仕出帳

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少しずつ読むこともできるようになって達成感があります。

こんな文書もありました。

日野郡井ノ原村新開改控帳

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左下の宛先が大庄屋の「近藤平右衛門」になっています。
たたらで巨万の富を気付いた「大近藤」のご当主でした。

中国地方は中世から近世にかけて、たたらと呼ばれる製鉄が盛んにおこなわれました。

砂鉄がたくさん採れたからです。

そしてたたらで成功した家は巨大になってゆきます。
村役人は村役⇒庄屋⇒中庄屋⇒大庄屋と大きくなります。
大庄屋になった家柄はそんなに多くはありません。


近藤平右衛門は、大近藤の3代目と4代目が名乗っていますが、天保12年は4代目平右衛門です。
11か所の鉄山を経営し、鳥取藩の大庄屋首座となっています。

4代目の頃にはすでに鉄座のあった大阪に鉄問屋を開いていて、日本の鉄価格を左右する存在でした。

そんな事を考えながら整理をしていると、「木下万作」あての文書もありました。
日南町阿毘縁の大鉄山師です。

「緒形四郎兵衛」のものもあります。
黒坂の大鉄山師です。


やはり江戸時代の奥日野の行政や経済は、たたらと鉄山師を抜きにして考えられないようでした



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