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日本古来の製鉄

古墳時代に、日本での製鉄は始まりました。

それまで鉄器は大陸から輸入していたのです。

大陸では鉄鉱石を原料にしていたので、その方法を受け継いだ日本でも、鉄鉱石を原料にして鉄を作っていたのがわかっています。

その後、鉄鉱石が採取しにくい日本では、川や海岸に堆積した砂鉄を使うようになりました。

餅鉄と呼ばれる鉄鉱石のとれる岩手県や、砂鉄が多く取れる中国山地沿いで製鉄が発展したのはそういった理由によるものです。

鳥取県西部にも製鉄をした痕跡が多く残っています。

私たちがふるさとの歴史に興味をもち、調査し始めてから10年。

約550の製鉄関連遺跡を確認しました。

特に奥日野地方では刃金はがね(鋼)が多く作られたため、大原安綱などの刀鍛冶が生まれ、その跡や伝承も残っています。

(国宝 童子切 や 重要文化財の 鬼切 を作った人ね)

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上の写真は刀を作るのに最高品質な印賀鋼。貴重品が残っています。

明治の鉄ですが、品質が高いためにいまだに錆びていません。

下の写真は、江戸時代の鉄の延べ棒。

鉄山師と呼ばれる旧家に保存されていました。

この錬鉄を包丁鉄と呼びました。1本が十三貫目五百のきまりでした。

包丁鉄

鳥取県西部には古来よりの製鉄の歴史があります。

最近では、地元自治体でも理解が進み、工事現場で遺跡が見つかると調査をしてくれるようになりました。

地元民が頑張ると行政も動くのですね。

今の時代は、行政に何かしてもらうのを待つのではなく、そうして行政を動かしてゆく時代なのかもしれません。

今年は、日野町で2つのたたら遺跡を調査してくれています。

どちらも道路工事現場。

調査予算は5000万円近い!

どうせ調査するのなら、地元の人たちにも興味を持ってもらうこと。
それを地元のPRにも使うこと。

を提案しました。

今年は2回の見学会が開かれました。

次回は、たたら遺跡見学会の様子を書いてみます。

少し学術的で難しいかもしれませんが、昔の人が鉄を苦労して作っていた跡なのだと思うと、じんとしてしまいます。



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