人生の空虚さも美しさも全部いただきます、うん美味しい
空っぽです。たいしたものはありません。人生の美しさを感じたくて生きていたんだと思うけど、それもよく分からないな。分からなくてもそれはそれで仕方のないことでしょうね。一歩進んで、それからまた一歩進んで、忘れ去って、また一歩進む……。どこへ行っても、何をしても、私の心はいつも目的地不明で、でもそれでいいって思っていたんだった。私はやっぱり愛されたいね。そしたら何か報われるような気がしてならない。ひとりで寂しくなって、心細くなって、自分を支える心の柱はいつも確かなものじゃないような気がして。それでもいくらかは生存本能を見せてくれるわけで、そうしていつの間にか何となくで生きられている不思議。じゃあそれで良かったじゃないって思うにも思えないね。
私の好きな人が私を愛してくれたら、なんてね。
残念ながら、これは全部妄言であり、言ってどうなることでもないのです。
現実というのは、私の頭の中にあるものでもなく、私によって言語化されるものでもない。
私が何を考えようと、何を言おうと、何を思おうと、それとは別で現実というものは進行するのです。
それが今の私の現実観です。
人生で何をしたらいいかというテーマは、私の中でいつもぐるぐるしている。
フランクルの『夜と霧』で言ってた気がするな。
私たちが人生の意味を問うのではなく、人生が私たちに絶えず瞬間瞬間にどう生きるかを問いかけてきている。
的なことを。
最近、それを実感している。
毎秒が人生であり、どう生きるかも毎秒問われている。
私はどこへ行ったのか?
私が消える。私の心はどこにあるんだ?これは喪失感のような。
「これをしたところで別に何かあるわけじゃないんだ」という言葉がよく自分の中に現れる。
生き直しじゃ!生き直しじゃ!
そして踊るんだろ?
ええじゃないか、ええじゃないかって。
自分の心の漠然とした空虚さが怖い。
曖昧で、なかなか決まらなかったり、あるいは逆に、適当なくらいすぐ決まったり。
いつの間にか人生が進んでいて、時が進んでいて、それで私は何か不安らしい。
お悩みはここまでにしておいて、私はおねんねするのです。ぽやしみ。
美しい人生がありますように。美しい日々が訪れますように。人生の美しさと面白さを芳醇に感じられますように。
私は好きに食う。
美しい。美しい。
とても、あまりにも。
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