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りみっとのちょっとだけ秘密基地の話|#ちょっとだけコンテスト

みょーさん主催の『ちょっとだけコンテスト』が開催されました。テーマが第一回は『スケベ』、第二回『青春』、第三回『自慢』と来て、第四回の『やらかし』から私は参加し始めて…「第五回めはなんだろう?」とワクワクしていたら、意外にも『皆さんご自由に』、つまりフリーテーマとなりました。

さぁ、どうしましょう?

半世紀以上前の思い出の中から、秘密基地のことを書いてみようと思います。よろしかったら、思い出話しにおつきあいくださいませ。



<秘密基地第1号>
小学校3年の6月くらいまで、東京の新宿、神楽坂界隈に住んでいました。父が銀行員で、そこに社宅があったからです。社宅は団地で、A棟〜G棟までありました。団地の棟と棟の間には、芝生が植っており、周りを低木で囲む…そんな作りでした。

幼稚園児の頃は、この低木の下にゴザを敷いて、ままごと遊びをするのが常でした。低木1本が一世帯みたいな感じで、友達はそれぞれが好きな木の下に住まいを構えて遊んでいました。

そのうちに、誰の家が一番家らしいか… となり、低木の枝のところに段ボールの切れ端や何かの板を拾ってきて棚みたいなものを作り始め、急に所帯じみてきたのです。で、一番上手にできた家に、みんながなだれ込むという… 多分これが、秘密基地っぽいものの第1号だと思います。

元々、低木一本が一世帯分みたいなものだから、全員が入れません。二人くらいは中に入れず「私も入りたい〜!!」と泣く人が出たり… 家を作った当人が締め出されることもあったり。


<秘密基地第2号>
小学生くらいになると、団地の外へ遊びの世界が広がりました。親が「団地の外へ子どもだけで出たらダメよ。」なんて言っても「みんなで行くから平気だよ!」と答えて、探検の毎日でした。

神楽坂界隈でも古い街並みや空き地も残っていて、そんな空き地の一つに男子たちと共によく出かけました。有刺鉄線で囲まれていましたが、小学生には無効です。楽々くぐり抜けて中に入れました。草ぼうぼうの迷路の世界は、春から夏にかけての秘密の遊び場でした。秋になると草が枯れ、オナモミやイノコヅチのような種が服にひっつきまくるので足が遠のきました。


<秘密基地第3号>
小学3年の時に東京中野区へ引っ越しました。中野も空き地がたくさん残っていて、ドラえもんの世界のような土管が積んである所もありました。もちろん、危険と書かれた立札とかありましたが、すぐに秘密基地と化しました。道端で見つけたキラキラ光るガラスの欠片とか、誰かの落としたキーホルダーのチェーンとか、銀玉鉄炮の玉とか… 今思うとガラクタやゴミみたいなものだけれど、戦利品のように拾い集めて秘密基地に隠してましたね。秘密基地に秘密の宝物持ってきてみんなに披露して… 全然、秘密じゃないんだけれどもね。


<秘密基地第4号>
小学4年の時だったか…女子の仲良し5人組で、『サブルシーの森』と呼ばれる所へ行きました。「サブルシーの森って何?」と聞いても「サブルシーっていう人の家があった跡らしいよ。」という情報しか知らされず、珍しい名前の外人さんの住んでいた廃墟でもあるのかとドキドキして行ってみたら…秘密基地第2号と同じような、草ぼうぼうの世界。森もあります。家屋は撤去されていて、土管も置かれていない広い空き地でした。私たち女子5人は、そこで気になる男子の話しとかして過ごしていました。わざわざそんな所まで行かなくても話せる内容だとは思うけれど、そこで話すことで秘密っぽさと自分達の仲間の結束が倍増するというか… そんな感じでした。後でわかったのですが、サブルシーの森って、佐分利 信さぶり しんという俳優の別荘?があった所みたいです。


秘密基地っぽい遊びをしたのは、小学生時代まででしょうか。

自宅の中でも、押入れの中で過ごしてみたり、マットレスを三角に折り畳んでテントのようにしてみたり、カーテンの端っこにくるまり魔女になりきって塔に閉じ込められているふりをしたり…

そんな妄想の世界に包まれて、幼少期を過ごしていました。

ゲゲゲの鬼太郎の家みたいなツリーハウスが最高ですけれど、一度でいいからちゃんと家の形をした秘密基地で遊んでみたかった… かな。もっと理想を言えば、自分達の手で作りたい!みたいな。

機会があれば、そういう遊び場を作ってみたい…というのが、今の夢だったりもします。


#ちょっとだけコンテスト
#エッセイ
#秘密基地

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