流産
あるとき私は流産をした。
流産 という言葉には、重苦しく辛い響きがある。
もっと生きていたかった赤ちゃんが、
無理矢理外に流れ出されてしまう響き。
抗うことのでにない流れに、
何もできずに呆然とする母親の響き。
確かに我が子は流れるように生まれてきた。
我が子の心臓が止まり、
私のお腹に鈍い痛みの波が始まる。
ずるりと出てきた我が子の感触。
可愛い我が子と対面し、
両親にお別れを言わせてくれた時間。
濡れたズボンを脱いでお風呂に向かう。
しばらくして胎盤がごそっと出てきて、
止まらぬ血がお風呂場を赤く染めた。
不妊治療に悩んだ私に、
メスとして機能したこの体に、
母親としての感動を味わえと言わんばかりに、
自然に流れるように生まれてきた。
流産の直後、
私の視界はしばらく灰色がかり、
お天道様でさえうっとうしく感じた。
それでも時間は流れ、
私の中をたくさんの感情が駆け巡り、
やっと、やさしい木洩れ陽から、
お天道様の力を
少しずつ浴びられるようになった。
太古の昔から、人は生まれ、人は死ぬ。
妊娠をして、流産をする。
それは大きな流れの中にある自然の摂理。
私も我が子も自然の一部となり、
その流れに気持ちよく身を任せる。
あるとき私は流産をした。
幸せをもたらしてくれた我が子の
その短い人生を讃えたい。
軽やかに
流れるように
生まれてきた我が子への愛を込めて、
流産という言葉の響きを味わう。
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