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【読書ノート】論理哲学論考


序文

要約:
ウィトゲンシュタインは、本書の目的は哲学の諸問題が言語の論理の誤解に基づいていることを示すことにあると述べる。明晰に言えることは明晰に言い、言えないことについては沈黙せねばならない。本書の思想の多くは、フレーゲとラッセルから影響を受けている。諸問題の最終的解決を目指すが、その先には哲学の仕事が残ることを認識している。

重要なポイント:

  • 哲学の問題の根源は言語の論理の誤解にある

  • 明晰に語ることの限界を示すことが重要

  • フレーゲとラッセルの影響を認めつつ、独自の思想を展開

  • 諸問題の最終的解決を目指すが、哲学の価値はそこで尽きない

理解度確認のための質問:

  1. 本書の目的は何か?

  2. 本書の思想的源泉として挙げられているのは誰か?

  3. 哲学の諸問題の解決後に何が残ると著者は考えているか?

重要な概念:

  • 論理:言語と世界の構造を明らかにする学問。ウィトゲンシュタインにとって哲学の基礎となるもの。

  • 言語:論理的な構造を持ち、世界を描写する手段。その限界を見極めることが肝要。

  • 哲学:言語の論理を解明し、思考可能性の限界を画定する営み。伝統的な形而上学的問いを排除する。

考察:
ウィトゲンシュタインは、哲学の問題が言語の誤用から生じると喝破した。彼の言語観は、言語を論理的に完全なシステムとみなすフレーゲやラッセルの理想言語哲学を継承しつつ、日常言語の多義性や不定性を解明しようとする意欲に溢れている。
「語りえぬものについては沈黙せねばならない」という有名な一節には、形而上学を排した言語の限界画定という彼の思想の真髄が凝縮されている。だが同時に、沈黙の向こう側にこそ、生の根源的な意味や倫理的宗教的真理があるのではないかという含意も感じられる。
論理実証主義と ordinary language philosophy の源流となったウィトゲンシュタインだが、彼の深淵な思索の核心は単なる言語分析にとどまらない。むしろ、近代的主体の言語能力の限界を見据えつつ、言語の彼岸に開かれた神秘と畏敬の次元を示唆しているように思われる。

第1章「世界」

要約:
第1章では、世界とは何かが定義される。世界は事実の総体であり、事実とは事態の存立である。事態とは対象の結合であり、対象はその結合可能性を本質とする。世界の実体をなすのは対象であり、それは不変で単純なものである。

重要なポイント:

  • 世界は事実の総体として定義される

  • 事実は事態の存立であり、事態は対象の結合である

  • 対象は結合可能性を本質とし、世界の実体をなす

  • 対象は不変で単純なものである

理解度確認のための質問:

  1. 世界とは何と定義されているか?

  2. 事態とはどのようなものか?

  3. 世界の実体をなすものは何か?

重要な概念:

  • 事実:世界を構成する最小単位。事態の存立。

  • 事態:対象の結合。可能な事態の総体が世界を構成する。

  • 対象:固有の結合可能性を持つ単純な存在者。世界の実体。

考察:
ウィトゲンシュタインは、世界を事実の総体として定義することで、世界の論理的構造を解明しようとした。事実を事態の存立とみなし、事態を対象の結合と捉える彼の存在論は、伝統的な実体-属性の二元論を退け、関係性に基づく世界像を提示している。
彼が対象を単純で不変のものとしたのは、言語と世界の対応関係を確保するためであろう。だが、対象の単純性は論理的要請であって、経験的に確証できるものではない。むしろ、言語の論理構造から演繹された形而上学的仮説と言える。
ウィトゲンシュタインの存在論は、現代の構造実在論の先駆けとなった。だが同時に、彼の単純な対象の想定は、ラッセルのいう「論理的原子」の影響下にあり、論理実証主義の素朴な事実観を残していると言えるかもしれない。彼の洞察は画期的だが、なお検討の余地を残している。

第2章「論理」

要約:
第2章では、論理の本質が論じられる。論理は世界の鏡であり、思考可能性の限界を示す。論理命題は恒真式(トートロジー)であり、世界について何も語らない。論理的推論は同語反復に過ぎない。論理は先験的であり、経験に先立つ。論理学の目的は論理的な明晰化である。

重要なポイント:

  • 論理は世界を映し出す鏡であり、思考可能性の限界を示す

  • 論理命題は恒真式であり、世界について語らない

  • 論理的推論は同語反復であり、新しい知識をもたらさない

  • 論理は先験的であり、経験に先立つ

  • 論理学の目的は思考の論理的明晰化である

理解度確認のための質問:

  1. 論理はどのような役割を果たすものと考えられているか?

  2. 論理命題とはどのようなものか?

  3. 論理学の目的は何か?

重要な概念:

  • 論理:世界を映し出す鏡。思考可能性の限界を画定する。

  • 論理命題:恒真式。世界について語らず、論理の骨組みを示す。

  • 論理的明晰化:論理学の目的。思考を論理的に透明化すること。

考察:
ウィトゲンシュタインは、論理を言語と世界に内在する構造として捉え、論理の自律性を強調した。論理命題を恒真式とみなし、経験に先立つ先験的なものとしたのは、カントの影響を感じさせる。だが、彼は論理を形式的規則の体系とするより、世界の論理的骨組みを映し出す鏡と考えた点で独自性を発揮している。
論理的推論を同語反復とみなす彼の見解は、論理実証主義の検証原理を先取りしている。だが、彼はそこから意味の検証理論を打ち立てたのではなく、むしろ同語反復的な論理命題が言語の限界を画するものだと考えた。
ウィトゲンシュタインの論理観は、現代の分析哲学の基礎を築いた。だが同時に、論理を言語の鏡とする彼の思想は、論理を単なる形式とみなす現代論理学の主流とは一線を画している。彼にとって論理は、言語と世界の実質的な構造であり、それ自体が深い哲学的省察の対象なのである。

第3章「思想」

要約:
第3章では、思想と言語の関係が論じられる。思想は命題の論理的な像である。われわれは言語を用いて思想を表現し、他者と伝達する。思想は命題の意味であり、命題は思想を感覚的に知覚可能なものとして表現する。哲学の課題は、言語の論理的分析を通じて思想を明晰にすることである。

重要なポイント:

  • 思想は命題の論理的な像であり、言語によって表現される

  • 命題は思想を感覚的に知覚可能な形で表現する記号である

  • 思想は命題の意味であり、命題の論理構造に反映される

  • 哲学の目的は思想の論理的明晰化である

理解度確認のための質問:

  1. 思想と命題はどのような関係にあるか?

  2. 思想はどのようにして表現されるか?

  3. 哲学の課題は何か?

重要な概念:

  • 思想:命題の論理的な像。言語によって表現される心的内容。

  • 命題:思想を感覚的に表現する記号。論理構造を持つ。

  • 論理的分析:哲学の方法。言語の論理構造を解明し、思想を明晰化する。

考察:
ウィトゲンシュタインは、思想を心的実体としてではなく、命題の論理的構造として捉えた。彼にとって、思考とは言語的実践に他ならず、私的な心的状態ではない。この思想言語同一説は、現代の言語哲学や心の哲学に大きな影響を与えた。
だが同時に、彼の描く思想と言語の関係は単純ではない。命題が思想を完全に表現できるとは限らず、言語には語りえない思想内容もあるはずだ。思想を命題の論理構造に還元する彼の立場は、言葉にできない思いの言語的表現を探究する文学の実践とは対極にある。
ウィトゲンシュタインは哲学を思想の論理的明晰化と規定したが、それは同時に哲学の可能性を狭めることでもある。言葉の背後にある語りえぬものへの感受性を失わずに、なお論理の明晰さを追求する態度が、哲学には求められるだろう。彼の論理主義は鋭いが、「語りえぬもの」への沈黙の身振りもまた忘れてはならない。

第4章以降の解説も引き続きお伝えいたします。ご質問やご要望がありましたら、お知らせください。

第4章「命題」

要約:
第4章では、命題の本性が探究される。命題は事実の像であり、事実と論理的な形式を共有する。命題は要素命題の真理関数であり、要素命題は名前の結合である。命題の意味はその真理条件である。命題は世界の事実を語るが、論理的真理は語らない。論理的真理は命題の論理的性質によって示される。

重要なポイント:

  • 命題は事実の論理的な像であり、事実と形式を共有する

  • 命題は要素命題の真理関数であり、要素命題は名前の結合である

  • 命題の意味はその真理条件であり、事実との対応関係で決まる

  • 命題は世界について語るが、論理的真理は世界について語らない

  • 論理的真理は命題の論理的性質によって示される

理解度確認のための質問:

  1. 命題はどのようにして事実を表現するか?

  2. 要素命題とは何か?

  3. 論理的真理はなぜ世界について語らないのか?

重要な概念:

  • 真理関数:複合命題が要素命題の真理値によって真偽が決まる関数。

  • 要素命題:これ以上分析できない単純な命題。名前の結合からなる。

  • 真理条件:命題を真にする条件。命題の意味を規定する。

考察:
ウィトゲンシュタインは、命題を事実を描写する論理的な像とみなすことで、言語と世界の関係を解明しようとした。彼の描像理論は、言語の意味を使用ではなく真理条件に求める真理条件意味論の先駆けとなった。
だが、彼の描像理論には問題もある。命題が事実を完全に写し取れるとは限らず、言語は事実を歪めて表現することもある。むしろ言語は、事実を能動的に意味づける実践だと言えるかもしれない。
ウィトゲンシュタインは論理的真理を単なる同語反復とみなしたが、論理が世界の深層構造を反映するとも考えられる。論理的真理が事実について語らないとしても、世界の可能性の枠組みを規定しているとも言えるだろう。
彼の命題観は、言語を論理的に理想化されたシステムとみなす点で限界がある。日常言語の多義性や文脈依存性は、彼の枠組みでは十分に捉えきれない。彼の洞察を生かしつつ、言語の実践的な側面も視野に入れた理論が求められる。

第5章「真理関数」

要約:
第5章では、命題の真理関数的構造が分析される。命題は要素命題の真理関数であり、その一般形式が示される。要素命題の真理値の全ての可能な組み合わせが真理関数を構成する。複合命題の意味は要素命題の意味から構成される。論理結合子は真理関数を表現する。同語反復命題は恒真式であり、矛盾命題は恒偽式である。

重要なポイント:

  • 命題は要素命題の真理関数であり、一般形式を持つ

  • 要素命題の真理値の組み合わせが真理関数を構成する

  • 複合命題の意味は要素命題の意味から決定される

  • 論理結合子は真理関数を表現する記号である

  • 恒真式と恒偽式は世界について語らない

理解度確認のための質問:

  1. 真理関数とは何か?

  2. 複合命題の意味はどのように決まるか?

  3. 恒真式と恒偽式はなぜ世界について語らないのか?

重要な概念:

  • 真理関数:要素命題の真理値によって複合命題の真理値が決まる関数。

  • 論理結合子:真理関数を表現する記号。論理積、論理和、含意など。

  • 恒真式:どんな真理値の組み合わせでも真になる命題。

  • 恒偽式:どんな真理値の組み合わせでも偽になる命題。

考察:
ウィトゲンシュタインは、複合命題の意味が要素命題の意味から真理関数的に構成されると考えた。この考えは、フレーゲの原理を継承し、現代の意味の合成性原理の基礎となった。
だが、彼の真理関数的意味観は、言語の多様性を捉えきれないきらいがある。問いや命令など、真理条件を持たない文の意味も考慮する必要があるだろう。また、文脈に応じて意味が変化する語用論的現象も、真理関数では説明しにくい。
ウィトゲンシュタインは恒真式と恒偽式を無内容とみなしたが、これには異論もある。恒真式は論理法則を表現し、恒偽式は概念的誤謬を明示する。それらは世界の論理的構造を示すという点で、意味を持つとも言える。
彼の真理関数的意味論は、言語の論理を解明する上で強力な道具となった。だがそれは、言語の一側面を切り取ったものでしかない。意味の多様性と豊かさを失わずに、なお論理の明晰さを保つことが、哲学の課題だろう。

第6章「論理のすがた」

要約:
第6章では、論理の一般的形式が提示される。それは言語と世界の本質的な構造であり、思考や事実の可能性の限界を画定する。論理は思考の鏡であり、世界の反映である。数学は論理の一分野であり、論理的真理を表現する。論理は先験的に確実であり、経験的な妥当性を必要としない。論理学の役割は思考の論理的明晰化である。

重要なポイント:

  • 論理の一般形式は言語と世界の本質的構造を示す

  • 論理は思考と事実の可能性の限界を規定する

  • 論理は思考の鏡であり、世界を反映する

  • 数学は論理の一分野であり、論理的真理を表現する

  • 論理は先験的に妥当し、経験的検証を必要としない

理解度確認のための質問:

  1. 論理の一般形式とは何を示すものか?

  2. 論理と思考および世界の関係はどのようなものか?

  3. 数学と論理はどのような関係にあるか?

重要な概念:

  • 論理の一般形式:言語と世界の本質的構造。真理関数の一般形式。

  • 論理の先験性:論理は経験に先立って妥当する。経験的な検証を必要としない。

  • 論理的明晰化:思考を論理的に透明化すること。哲学の目的。

考察:
ウィトゲンシュタインは、論理の一般形式を言語と世界の本質的構造とみなした。彼にとって、論理は思考可能性の限界を画定し、世界を映し出す鏡である。この考えは、現代の分析哲学の基礎となった。
だが、彼の論理観には問題もある。論理を言語と世界に先立つものとみなす先験主義は、論理の実在性を説明できない。また、論理を純粋に形式的なものとする彼の立場は、論理の規範性や意味の問題を軽視しがちだ。
ウィトゲンシュタインは数学を論理の一分野とみなしたが、直観主義数学のように論理主義を批判する立場もある。数学が論理に還元できるかどうかは、論争の的となっている。
彼は論理学の役割を思考の明晰化に求めたが、それは論理学の可能性を狭めることでもある。形式的体系の探究を越えて、論理の哲学的基礎を問い直すことも重要だろう。
ウィトゲンシュタインの論理観は、言語と世界の論理を解明する上で示唆に富む。だが同時に、論理の意味と妥当性をより深く問う姿勢が求められる。彼の洞察は出発点であって、到達点ではないのである。

第7章「語りえぬもの」

要約:
第7章では、倫理的・美的・宗教的な言明が論理的に語りえないことが示される。価値は世界内の事実ではなく、世界の外にある。従って、倫理を命題として表現することはできない。世界の意味は世界の外にある。神秘的なものは語りえず、ただ示されるのみである。哲学の目的は言語の論理を明晰にし、語りえぬものについて沈黙することである。

重要なポイント:

  • 倫理的・美的・宗教的な価値は世界の外にあり、語りえない

  • 世界の意味は世界内の事実の中にはない

  • 神秘的なものは言葉で表現できず、ただ示されるのみ

  • 哲学は語りうることを明晰に語り、語りえぬものには沈黙する

理解度確認のための質問:

  1. なぜ倫理は論理的に語りえないのか?

  2. 世界の意味はどこにあるのか?

  3. 哲学の目的は何か?

重要な概念:

  • 語りえぬもの:論理や科学では捉えられない倫理的・宗教的価値。

  • 神秘的なもの:言葉を超えた深い意味。沈黙のうちに示される。

  • 沈黙:語りえぬものに対する哲学の態度。深い洞察を示唆する。

考察:
ウィトゲンシュタインは、論理の限界を画定することで、語りえぬものの領域を示そうとした。科学では捉えられない価値の次元を認め、沈黙のうちにそれを尊重する態度は、現代でも示唆に富む。
だが、彼の二元論的世界観には疑問もある。世界内の事実と世界外の価値を峻別する見方は、両者の相互関係を捉えそこなうおそれがある。事実についての理解は価値観に影響を与え、価値は事実の認識を方向づける。両者は独立ではなく、絡み合っているのではないか。
ウィトゲンシュタインは語りえぬものへの沈黙を説いたが、沈黙もまた雄弁に意味を語ることがある。むしろ私たちは、言葉の限界を自覚しつつ、なお語りえぬものを言葉で捉えようと努力することが求められるのかもしれない。
彼は哲学を言語の論理的明晰化とみなしたが、それは狭すぎる規定だろう。言葉の彼方を求め、意味の地平を切り開く営みもまた、哲学の使命だと言えるのではないか。
ウィトゲンシュタインの思索は、言語の限界を知り、その向こうを垣間見せてくれる。だがそれは、さらなる思索への誘いでもある。彼の沈黙に耳を澄まし、なお言葉を紡ぐ努力が私たちに求められている。

書評

ウィトゲンシュタインの「論理哲学論考」は、言語と世界の関係を論理的に解明することで、哲学の諸問題が言語の誤用から生じるものだと論じた野心的な著作である。彼の言語観は、現代の哲学と言語学に大きな影響を与え続けている。

彼は言語を論理的に完全な体系とみなし、その意味を使用ではなく真理条件に求めた。この発想は、現代の分析哲学における意味論の基礎となった。タルスキの真理意味論やデイヴィドソンの真理条件的意味論は、ウィトゲンシュタインの洞察なくしては生まれなかっただろう。

また、彼が論理を言語と世界に内在する構造とみなしたことは、現代の言語哲学にも大きな影響を与えている。クリプキやパトナムらによる新フレーゲ主義は、言語の意味を可能世界の観点から論じるが、その背景にはウィトゲンシュタインの言語観がある。

ただし、彼の論理観は古典的な一階述語論理に基づくものであり、現代の言語学の知見からすれば不十分な面もある。自然言語の多義性や文脈依存性を扱うためには、より柔軟で動的な意味論が求められる。認知言語学や語用論の発展は、ウィトゲンシュタインの枠組みを乗り越える試みだと言えるだろう。

とはいえ、言語の論理的構造を追究する彼のアプローチは、現代言語学の形式意味論の基礎を築いた。モンタギュー文法や範疇文法は、自然言語の論理形式を明示的に扱うが、そのモデルの原型はウィトゲンシュタインに求められる。

さらに、彼が「語りえぬもの」への沈黙を説いたことは、言語の限界を示唆する点で示唆的である。ソシュールの言語学が明らかにしたように、言語は恣意的で非実在的な記号体系である。私たちは言語の中に閉じ込められており、言語を超えた実在を直接捉えることはできない。ウィトゲンシュタインの沈黙は、この言語の限界を雄弁に物語っている。

もちろん、だからと言って言語の彼岸を探究する試みが無意味だというわけではない。「語りえぬもの」を言葉にしようとする詩的営為は、言語の豊かさと奥行きを示してくれる。「論理哲学論考」の神秘主義的側面は、論理一辺倒の解釈に抗して、言語の創造的可能性を示唆しているのだ。

以上のように、ウィトゲンシュタインの思索は、言語の論理と詩、構造と創造をめぐる現代の探究に、示唆に富む先駆けとなっている。彼の提示した問題は、現代の哲学と言語学の核心に触れるものであり、けっして古びてはいない。私たちは彼から学びつつ、言葉の限界と可能性を引き続き探究していく必要があるだろう。「論理哲学論考」の真価は、まさにそうした新たな思索を触発する点にこそあるのである。

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