誰にも言ってはいけない

気が動転してDMしようかと思いましたが今は全く冷静じゃない、落ち着いたら手紙を出そうと……ちゃんとレターセット持ってきた自分、なんか分かっていたのかな

月曜日から長野県にいます。実家です。父の仕事場ではないほうの、市内ではないほうです。
お婆は病院にいて、父と母と私。お婆の部屋は無性に広くて、東京の服に埋もれた部屋がとても狭く感じる
そりゃ思考も狭まるわけで、私にあてがわれた8畳は殺風景で広い。

そういえば、ずっと私泣いていた
いつからだろうな
度々帰ってきなさいと両親から促されるようになり、やっと機会ができて喪服を持って帰ってきた。
お婆はそういうタイミングを作ってくれたんだと思う。自分の死をきっかけにして私を実家に帰らせたかった。
お婆は素直じゃない。
だから殴ったり蹴ったりした。
最期をそんな形にするか?
ほんと馬鹿だよ。昔みたいに嫌味でも言って帰らせろよ……なんなんだよ……

でも私は今帰ったことにより、かなり落ち着いている部分はある。ずっとずっと手放せなかった安定剤も眠剤も飲まなくても大丈夫そう。
3月になってからはもうシートで飲んでいた。効かなくてお酒で散らしていた。お酒の飲み方がかなり無茶苦茶になっていて外にいるときはずっと飲んでいた
薬とお酒、両方使った上で精神状態がやっと普通になっていた
毒にも薬にもならないこの行為は情けないくらいに、ただの依存症でした

薬は確かに副作用が肝機能や腎機能に出るし臓器が機能不全になる
脳もおかしくなっていく
向精神薬なんてろくな副作用がない
精神治療をする薬のはずが更に精神を蝕んでいく

多分それが芥さんなんだろうか

無理した明るさが私には辛すぎる。
私が空振りしているときの、その状態、そのままの文章を綴られている

とにかく私は無事を祈るしかなく、私も私で乱れすぎた精神状態を律しないとならないと思った。
まずファンがしっかりしないと、無限ループに陥ってしまう

なんとなくこの1ヶ月は必要時オフィスに出向き、あとはもう実家でお婆の最期を見届けて両親と過ごす。休日は庭に花を植えたり、手入れをしたり
今日みたいにご飯を振る舞おうと思う、買い物に行ったり、家族3人で外食もいい。


……限界だったみたい

自分で自分の限界を把握できていなかった

……だからね、今、私は芥さんに何も言えない。

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