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精神論を書きたいけど、書けない話。


今悩んでます

そういえば、今考えていたこの話を書こう!という発想に至りました。

noteのネタができた!自分えらい!!!(この記事の事)

悩んでる気持ちの話とかをnoteに書きたいけど、書けない話です。


むつかしい

「note書いてるねん」って友達とかに話して、
友「え!どんなん書いてるん?見して」となった時にですね。

私が書いてるのは、どちらかといえば物事のはっきりした、感覚的な話じゃない方ハウツーや感想文?ばかりです。

それで、あまり見ても面白くないし...ねえ?人と喋る話題になるような話が書きたいじゃないですか。でも、むつかしいです。


なぜむつかしい?

今書いてるハウツーや感想文なんかは、案外本当に記事が一つもなかったりするので、「書かなきゃ!」という使命感で書くこともはっきりしててザーッと書くのですが...。
まあそれで、なんとかここ連日投稿できてるね。という話なのです。

なぜむつかしく、書けないかというとまあ御分かりだと思うのですが、
クオリア(感覚)についての話が大半です。
経験や主観の感じ方といった、微妙な、言葉では説明できないほど情報量を内包した、話です。

ちなみにクオリアについて、ぜひお見知りおき頂けると嬉しいです。
Wikipediaからの引用です。

クオリアとは、心的生活のうち、内観によって知られうる現象的側面のこと、とりわけそれを構成する個々の質、感覚のことをいう。日本語では感覚質と訳される。この現象は主観内にのみ現れ、客観的な言語化や計測によるデータ化は行えない。従って、クオリアの説明に科学的方法が通用するかどうかも不明である。

太字は、大事かなと思うところを勝手に太くしました。
まあ要するにですよ、なぜむつかしいかというのは、

言葉にできないんですよ。(小田和正) ね~。



それでね、なんか、あとから書いた文章を見返していても、分かった気でいるのです。だからこそ、記事に書こうとも思うのでしょうが、っまー文章から伝わる傲慢さ。読んでて嫌気がさしました。noteの廃墟です。

とてもじゃないけど、デジタルタトゥーにはできません。

そういうわけで、ずるずると気持ちの話がnoteに書けずにいます。


モチベ...?

私は、あまり記事の見直しとかしないんですが、理由があるんです。

モチベです。見返すより完成させる方が大事です。見返してちゃモチベが続きません。間違えたりしてることで、自分が嫌にもなります。

だから、あとで完成してから何日か経って、自分すげえ!って思えた時に、
ざっと読み返すようにはしています。


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