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最近のもやもや

noteを通していろんな方の記事を見ていると、みなさん素敵にまとめられていたり、自分の考えを言語化するのが上手で、尊敬の気持ちと共に自分にはなぜ上手く書けないんだろうと気持ちが沈んでしまい、なかなか記事が書けない期間が続きました。
でも、別に好きに書いたらいいですよね。
自分のnoteですし。
うまく書こうと思うとなかなか書けないから、人に伝えるには上手ではないかもしれないけど、まず書くことに取り組んでみようと思います。

最近のもやもや

いつの間にかもう年の瀬ですね。
今年もたくさん楽しいことや大変なこともあったけど、こう1年が過ぎようとしていると、気持ちに謎の焦りが生まれます。
周りの友人が、知り合いが新たなライフステージに突入するのを一歩引いた目で見て、1人だけ取り残された気持ちになります。
いつか来る決断に怯えているのかもしれません。
1人で生きていくのか、誰かと生きていくのか。

例えば自分にパートナーができたとしたら?
「相手のことを束縛したくないし、されたくない。一人の人間として必要な時間は、尊重し合いたい。同じ家だとしても、個々人の部屋を持ち、適切なパーソナルスペースで生活を共にしたい。」

20代も半ばを過ぎ、いつかはわかると思っていた恋愛感情も結局この年齢になっても分かりませんでした。勝手に人様の恋愛に憧れて、羨ましさと焦りに挟まれていた20代前半。
アロマンティックアセクシャルという言葉に出会い、ここ数年は恋愛をしない自分も認められるようになってきました。
無理にしようと思ってもできないものはできないので。

昔から恋愛において相手を独占したい気持ちが全く分からず、連絡の頻度も無理して相手に合わせていました。
「それって相手に興味がないんだよ」って言われることもありましたが、そこからまず理解できませんでした。別に独占欲と相手への興味ってイコールじゃなくないですか?

おはようからおやすみまで連絡しなくても。
繋がっていられる関係。
ただ何かいいことがあったり、素敵なことがあったら共有したい。
美味しいご飯を一緒に食べてくれたらより幸せ。
そんなパートナーをいつか見つけられるでしょうか…?
人生の中でパートナーは必須事項ではないかもしれないけど…絶対必要ではないとも言い切れません。
将来1人で生きていくには自信がまだない…
それは自分自身が人との関わりに喜びを感じるからでしょうか。

知人・友人が人生の転機を迎え、家族が増えたりパートナーを見つけたりしているのを最近痛感することが増えてきました。
家族とまではいかなくても助け合えるパートナーがいてくれることを今は望んでいます。
でもこれってエゴなんでしょうか?
自分の気持ちを押し付けてはいないだろうかと思う時もあります。結局答えは見つかりません…

理解者

わたしの大好きな尊敬する友人は最近婚約をしました。
パートナーと生活を共にしようと決めた決め手はなんだったのか聞いたら、
「この人ならきっと自分を理解してくれると思ったから」だそうです。

「理解者」って難しい言葉ですね。
昔から、「結局は自分以外、他人だから、本質的な部分で完璧に自分を理解できる人間なんていない」と思っています。
冷たいことと捉えられるかもしれないけれど、家族でも所詮は他人。
自分のことを100%理解しているとは思いません。
それでもセクシャリティだったり、考え方を理解してくれる他人がそばにいてくれるのは確かに心強いと思いました。

同じセクシャリティ同士でも人間だから相性があるし、考え方や価値観も人それぞれで。
こうして私のnoteを読んでくださって、同じ思いを持っている人や今でも連絡を取ってくれる友人に感謝をしてこの記事は一旦ここで終わらせようかなと思います。

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