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「逃げ」を否定しない、人との関わり方・自分との向き合い方〜POOLO卒業制作〜

2019年3月29日。この日から「POOLO」との関わりがスタートしました。募集要項をじっくりと読んだ後、エントリーをした日です。ここから約1ヶ月、選考結果のメールが届くまでの間、高校受験の合格発表を待つときと同じくらい緊張したのを今でも覚えています。POOLOに応募した大きな理由は、既にあるコミュニティとは違うコミュニティを築きたかったから。ここから少しずつ、POOLOに参加してからの変化や、その過程で見つけた未来像を書き綴っていきたいと思います。幼少期からの振り返りになるので、少し長くなりますが最後までお付き合い頂けましたら嬉しいです。

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【はじめに】

『誰かに寄り添える人でありたい、困っている人・悩んでいる人の力になりたい』様々な経験を経て今わたしが思っている事である。

POOLOで多くの人と出会い、過去に抱いた気持ちを思い出すきっかけとなった。
これは、特に人間関係でわたしと同じような悩みを抱えている人や、自分を見失ってしまいそうな人、何かもやもやする、そんな人に読んでもらえたら嬉しいな、と思う。

【「かじゆり」について】

わたしはごく普通のサラリーマン家庭に生まれ、両親と弟の4人で生活してきた。物心が付いた頃から、週末には温泉、長期休みには宿泊を伴った旅行に国内外問わず出かけるような家族だった。わたしの旅行好きルーツは、確実に家族旅行の思い出がベースとなっている。

そして幼少期から、特に何か生活に不自由を感じた事はなく、ある程度やりたい事をやらせてもらっていた。人並みに両親と喧嘩もしたし、弟とは取っ組み合いの喧嘩をした事もある。時にはこんな家いやだ!と飛び出したくなる事もあった。でも、総じて今を楽しいと思えるそんな家庭環境で育った。

わたしの性格はというと、器用貧乏で根っからの長女気質である。

こんな事を言うと、嫌味っぽく思われるかもしれないが、わたしは昔からわりと何でもできた。特に何かが秀でたタイプではないものの、勉強もスポーツも何をやらせてもある程度はできる。初めてチャレンジすることも、何となくできてしまい、大きな失敗をする事はほとんどなかった。常に何でも7,80点が取れて平均は超えられるけど、なかなか1番にはなれない。これが昔からの悩みであり、コンプレックスでもあった。これが俗に言う「器用貧乏」である。

そして、下に兄弟のいる長女。「お姉ちゃんだから」という無言のプレッシャーを両親からかけられた記憶は特に無かったが、幼いなりにその意識は働いていたのだと思う。

「ちゃんとしていなくちゃ、しっかりしなきゃ」は常に思っていた事。何でも自分でやって、一人で抱え込む。人に弱みを見せることが心底苦手で、頼ることもできない。変に完璧主義で、自分自身にかけるプレッシャーは強い。そのくせ怠け癖はゼロではないため、自分自身に絶望する事もしばしば。人から頼られれば全力で応えたいと思うあまりに自分の声に気がつかない、困った人を見かけたら助けてあげたくなってしまうなど、どうにもこうにも付き合いきれない性格で、いつも自分を苦しめていた気がする。

なお、この性格は今もしっかりと引き継がれているが、うまく付き合っていけたらなと思っている。

【得意な事】

あまり意識をした事は無かったが、周りを俯瞰して見る事が得意なようである。自分の事というよりは、チームや組織、自分を取り巻く全体の姿を把握して、多角的に考えていく事ができる。対自分自身になるとまた別の話になってくるのだけど。

そして人の話を聞いてあげる事や、しっかりと自分の意見を伝える事も得意である。昔からどんなジャンルでも、「相談に乗る」という経験が多かったように思う。答えを見つけてあげられたかは分からないけど、話を聞く事で、その人が少しでも楽になれるなら、いくらでも聞いてあげたいし、アドバイスを求められれば、わたしなりの考えを伝えたいとも思っている。どんな状況下においても基本的に自分の意見を臆する事なく伝える事はできる。

【苦手な事】

わたしは昔から「空気感の出来上がった環境」が苦手だ。もっと言うと「輪の中に飛び込む事」が苦手である。もしかしたら、苦手意識が先行しているだけかもしれない。しかし、空気感の出来上がったバイト先に新しく入っていくのはとても勇気が必要だったし、小さなコミュニティ内で自分の知らない話題が飛び交っているのも、何となく取り残された感じがして心がざわざわとした。

「馴染めないかもしれない」という意識が少しでも生まれると、どうしても足が竦んで自己防衛のために距離を取ってしまうのだ。これは、幼稚園の時からそうだった。空気を読みすぎて過剰反応してしまい、なかなか初めの一歩が踏み出せないのである。幼稚園の時は、入園してからしばらく、先生と折り紙をしていた。

そして「人との距離感」を認識するのも苦手。どうしても仲良くなれるまでに時間がかかってしまうのだ。「初めまして」の環境も実は苦手で、自分から話しかけにいくのが得意ではない。誰かに話しかけられれば問題なく話せるのだが「自分から」というのが滅法苦手なのである。そのせいもあって初対面の印象は「怖い」と思われがち。仲良くなった後に「あの時は怖かった」と打ち明けられる事も多々ある。。。

決して人とコミュニケーションを取るのが苦手なわけではない。この人なら大丈夫かも!と思えれば思いっきり飛び込んでいけるし、わたしから距離を急に詰めてしまう事もある。仲良くなれば不安なんてほとんどなくなるのに。嫌な思いをさせてしまった方、いたらごめんなさい!

【POOLOというコミュニティについて】

POOLOにはとっても変な人(最大の褒め言葉)がたくさんいた。それこそ同じ教室にいたら、絶対に交わらないであろうタイプの人ばかりだ。2019年6月から本格始動したこのコミュニティは、共通のワードに共感した人達が集まったと言う事もあり、この1年も至る所で色んな事があった。感情も忙しなかったな、と実感している。

社会人と学生がこんなにも一堂に介するコミュニティはきっと他にない。色んな考え方の人がいて、色んなバックグラウンドを持った人がいる。地方からの参加者や関東近郊の参加者、海外からの参加者もいた。それでも、それぞれがそれぞれを受け入れようとする姿勢が見られて、とてもいい組織だなと感じていた。

一方でここ数年、特に大学生活〜社会人になるまで忘れかけていた自分自身の「人との関わり方」や、「物事の捉え方」について久しぶりに考えるきっかけにもなった。

【昔のわたしと、人生の転機】

幼い頃から目立つ事が大好きだったわたしは、幼稚園の親子遠足のバスの中で歌を披露したり、お遊戯会では一番人目に付くナレーションを担当していた。学級委員や生徒会副会長を務めた事もあったし、体育祭では応援団長なんて肩書きを持っていた事もある。そしてバドミントン部では副部長も務めた。自分で立候補したものも、他推薦で引き受けたものもあった。

表に立つ事に何のためらいもない、まるで悩みのなさそうな、挫折知らずの人生である。しかし、わたしは「高校受験の失敗」で「挫折」を知り、「高校生活」で「絶望」を感じると共に「大切な気づき」を得た。その話しを少ししてみようと思う。

わたしが目指していた高校は、甲子園出場経験もある県内でそこそこの進学校。幼い頃から近所のお姉さんが着ていた制服を着る以外の選択肢はなく、大好きな野球に携わりたいと、志望校で野球部のマネージャーをするのが夢だった。受験が本格化してくる頃、模試の判定はC時々B程度。ちょっと厳しいと言われながらもランクを下げた受験なんて、それこそ落ちた時に恥ずかしすぎると周りを振り切って受けた。結果はダメだったけれど、この時の「志望校を貫く」という選択に後悔はしていない。

ただ、仲のいい友達も、幼馴染もみんな志望校に合格していく中、1人だけ見学にも行っていない私立高校に入学した。何でもある程度こなしてきたわたしにとって人生初めての「挫折」である。

中学までは、幼稚園や小学校から長く一緒にいる友達が大勢いたのもあり、顔見知りが大半。クラス替えは一応緊張するものの、まぁ何とかなっていた。それが同じ高校には、卒業した中学からわたしを含めて3人、内あとの2人は男子でほとんど関わった事がない。受験に失敗した負い目と、初めての挫折を受け入れきれない自分、誰も知っている人がいないという環境に相当なストレスを感じていた。

自分の表現の仕方や人との距離感が分からない、こんな事を言ったら嫌われたりするのだろうか?そんな事を毎日考えながら過ごす日々は、ただただ苦痛で仕方がなかった。

学校に行けない日もあり、高校1年の時はトータルすると1年のうち数ヶ月は登校していなかった。どんどん出来上がっていくグループ、クラスの雰囲気、全てに無理を感じて苦しくなる事が多くなったからだ。別にいじめを受けていたわけではない、一緒にいるグループもあった。でも、誰かをバカにして笑う男子、新米の担任に反抗する女子、わたしのクラスが持つ全体的な雰囲気が心底苦手で、本気で学校を辞めようか悩んだ日もあったほど。まさか自分の人生の中で高校を辞めるかどうかを考える日が来るなんて思ってもみなかった。親とも喧嘩が増えたし「どうするの?」と聞かれてもわたしが一番分からない。教えて欲しいくらいだった。

こんなはずではなかった高校生活、わたしってこんなに弱かったの・・・?何でも卒なくこなすわたしは、いつの間にか影を潜めていた。そして自分に絶望する時間が増えた。

何とか乗り切った1年目。2年目はクラス替えと共に心機一転普通の高校生活をリスタートさせた。はずだった。

ところが、仲良くなった子と毎日楽しく過ごしていたある日、クラスで一番性格のきつい女の子(裏番長的な子)が、その友人に色々と話しかけるようになった。その子が、別に誰と仲良くしようが、わたしがとやかく言う事ではない。それでも、今まで通り普通に授業を受けて、一緒に帰って・・・というのがどうも彼女の気に障ったようで、それまで仲の良かったグループに明らかな違和感が生まれた。

グループの数人が一緒に出かけた先で全員分のお土産を買ってきた。わたしが席を外している間に配り、途中でわたしが戻った瞬間、みんな一斉に隠した。わたしの分は無かったのだ。いじめとまではいかないものの、自らそのグループを離れた。初めての経験だった。

2年目も同じ感じか。。。そう思っていた矢先、別のグループの女の子が話しかけてくれるようになった。一緒にお弁当を食べ、授業間の移動も、放課後のおしゃべりも、その子たちと行動を共にするようになった。何を聞いてくるわけでもなく、最初から仲が良かったかのように接してくれたグループのみんなの優しさが心に沁みた。

居場所を変えたわたしは「休む」という選択肢を取らずに生活できるようになった。そのうちに、元いたグループの子達も何事もなかったかのようにわたしに話しかけてくるようになり、クラスが変わる頃には、ある程度普通に戻っていった。

今振り返ると、この年の経験(居場所を変える事)がわたしの人生における最大の「気づき」でもあったのだな、と思う。

3年目は、クラスのメンバーにも恵まれ、高校生活で一番楽しい時間だった。いつメン4人で学校の帰りはボウリングかカラオケ、休みの日も遊び歩いて常に一緒だった。

高校1年の途中から学校以外に居場所を求めて、お芝居やダンスレッスンにも通っていた。そのお陰もあって辞める選択肢はいつの間にか無くなっていた。絶望から始まった高校生活も、最後は楽しい思い出に変えられたし、あの時「学校を辞める」という選択をしなくて本当に良かったと今も思っている。

【「逃げ」は、重要な選択】

「逃げる」という言葉を聞くと、とてもネガティブな印象を持つ気がする。しかし、個人的に「逃げ」は重要な選択であると感じている。わたしの人生における「逃げ」は、環境(居場所)を変える事だった。今いる環境に何か違和感を覚えるのであれば、何らかの形でその環境を変えるのがベストだと思う。目の前の事から、ただ目を背ける意味での「逃げ」ではなく、それを乗り越えるために、逃げた先からパワーをもらえるのであればそれは「ネガティブな逃げ」ではなくなるのではないかと考えているからだ。

例えば、私が悩みに悩んだ高校生活、ただ逃げるためだけに「辞める」という選択をしていたら「ネガティブな逃げ」になっていたと思う。しかし、レッスンに通う自分を作った(環境を少し変えた)事で、学校も行けるようになり、一緒に過ごすグループを変えた事で、前向きに学校生活を送れるようになった。社会人になってからも、目の前の仕事がきついから辞めるのではなく、仕事以外に共通の趣味や、興味のある分野で繋がれるオンラインサロン、オンラインコミュニティに参加して、うまく自分の機嫌を取れるようになった。そして社内転職をして環境を変えることで、自分を保っていたのだと思う。

POOLOに出会った時も、ちょうど将来について考えていて、新しい環境がほしいと模索し始めたタイミングだった。自宅と会社を往復するだけの毎日に、会社以外の人との関わる時間を作りたかったのだ。結果として、この選択は間違いではなかったと感じるし、偶然の引き合わせがもたらした、POOLOのパワーは計り知れない。

【コミュニティでの自分と、人との関わりについて】

ここまでで分かるように、わたしは人との関わり方がうまい方ではないと思う。ただ、だからこそ同じように悩んでいる人の気持ちを理解してあげる事はできるのではないか、とも思っている。

時に、一気に加速する大人数のコミュニティは、一人一人捉えるスピード感が異なり、なかなか思うようにいかない事もある。POOLOでも途中からペースが掴めなくなって、参加を躊躇した人が少なからずいたはずだ。特に地方・海外からの参加者や、オフラインでの参加頻度が低くなってしまう人は、物理的な距離感がそのまま心理的な距離感にも繋がっていたように思う。

そんな人達に少しでも寄り添って、もっと何かフォローできていたら、もう少し充実した時間を過ごせる人を増やす事もできたかもしれないと、少しばかり後悔をしている。そっと寄り添って貰えることの喜びと安心感を誰よりも知っていたはずなのに。。

正直に言うと、「初めまして」が多いこのコミュニティにどんな風に関わっていこうかずーっと考えていた。わたしに何ができるだろう、わたしが還元できる事って何だろう、と。今振り返っても、ほとんど貢献なんてできなかったし、何かを残せた訳でもない。わたしの事を知らない人だっているかもしれない。当初思い描いていた事は1割も実現できなかった気がする。

それでも、Slackで名前見た事あります!や、名前は知ってます!お話ししてみたかったんです!と言ってもらえた時は、すごくすごく嬉しかった。

わたしは、自分よりも何かに秀でている人と同じ土俵に立たされると(今回で言えば運営と自分ではなく、参加者と自分を比較すると)何者かにならなければいけないような焦燥感と、何もない自分に落胆する瞬間がある。でも、何者かになる必要もないんだとこの1年の活動を通して感じた。

学びたい気持ちや、自分自身がどうしたいか、主体的にそのコミュニティを捉えられたら、それでいいのだとも思う。コミュニティの中で皆んなに向けて出来る事を考えるのはもちろん大切、でもそこにばかり気を取られてしまうと、自分のペースを乱されて苦しくなってしまう事もあるから。

つまり、これから属していくコミュニティの中で思い悩む事、苦しい事があったら、まず一度ペースを落として立て直す。そしてまたゆっくり深呼吸をしながら戻り、進んでいけたらそれでいい。しんどくなったら逃げ道を探してもいいと思う。心の声を打ち明けられる誰かがいたら、話してみるといい。その時はきっと、誰かそっと寄り添ってくれる人がいるはず。わたしはそんな誰かでありたい。

【今と、これからについて】

6月末をもって丸5年務めた会社を退職する。前々から考えていた事ではあるけれど、このタイミングを選んだ自分の感覚は良くも悪くもすごいと思う。退職を決意した時は、まだここまで世界中の人々の生活がガラリと変わってしまうなんて想像もしていなかった。

本来なら有給を取り始めた4月の頭から海外に出て、色々吸収したり、自分のペースでやりたい事を思いっきりやっていく予定だった。それも現状は厳しくなり、転職しなきゃいけないかな、なんて思ったりしている。後悔のないように今後のことは決めていきたい。

今、生活の中心になっているのは語学の習得と料理である。5月の頭(GW明けくらい)から、英語コーチングを受け始めた。元々学生時代に留学したかったけど、諦めた組。独学は続けてきたものの、何をしても理想とのギャップに限界を感じて、おうち時間の増えたタイミングでプロの力を借りる事にした。同時に、オンライン英会話も始めた。色んな国の先生と「料理」をテーマに話をしている。食文化の背景や、郷土料理、ルーツなんかを聞けてとても楽しい。そして教えてもらった料理作りも楽しんでいる。作ったもので世界一周ができたらいいな、と料理用Instagramも始めた。

上を見ればキリのない語学習得、楽しくかつ自分に厳しくやっていきたいと思う。初対面の外国人とも滞りなくコミュニケーションを取れるようにしたいし、仕事で再び使うとなった時に相手に失礼の無いレベルできちんと会話をしたい。もし密かに頑張っている人がいたら教えてほしい。一緒に頑張ろう!語学力の必要な通訳案内士の資格も取得したいと思っている。

これから挑戦してみたいこと、今後もやっていきたい事がいくつかある。

ファシリテーターや司会業に挑戦したい。元々学生時代には放送委員をやっていたり、自分自身の成人式も出席者ではなく、司会進行を任せてもらうなど、人前に立つ事に抵抗がないわたしは、この分野に昔から興味があった。小さい頃の夢が実はアナウンサーだったなんて恥ずかしくて家族しか知らないのはここだけの話。ミーティングやイベントの司会進行もこれまで何十回と機会を頂いたけれど、もっともっと勉強していきたい分野である。

そして、自分の人生をかけて長く続けていきたいことは、旅行・観光・航空業界についてもっと深く学ぶ事。『日本の旅行者人口を増やしたい』と中学・高校辺りから考え、国際観光学科を卒業したほど、強烈に興味を引かれた数少ない分野である。日本だけでなく、世界の観光事業や、小さな国で成功している事例が日本でも生かせないのか、インバウンドもアウトバウンドも、もっと向上させるために、世界の事情を勉強していきたい。

レスポンシブルツーリズムやスポーツツーリズム、スポーツマーケティング、ダークツーリズム辺りが今最も興味のある分野だ。もちろん、SDGsや世界規模で取り組むべき環境問題についても考えていきたい。

一方で、自分がこれまでに経験してきた旅の良さも、もっとたくさんの人に知ってもらいたい、と思っている。海外に行った事がない友人を連れ出して、海外旅行へのハードルの高さを拭えた時は何とも言えない喜びに包まれた。旅行会社で働きたいと考えた原体験も、もちろんここにあって、わたしの人生の中心に常にあるものでもある。旅行会社での5年の勤務経験と、旅行・旅が好きなわたしだからこそできる事も模索していきたい。

そして何よりも、『誰かに寄り添える人でありたい、困っている人・悩んでいる人の力になりたい』どんな場面でも、かじゆりがいたら安心だよね、心強いよね、と関わっていく1人でも多くの人にそう思ってもらえるような人でいたいと思う。

昔から思っている事が1つある。それは「わたしを踏み台に大きく羽ばたいてくれる人がいたら嬉しい」と言う事。大きく羽ばたくと言うのは、必ずしも飛躍する事だけを指しているわけではない。その人自身が納得のいく答えを見つけられるようにサポートできたらいいな、という思いである。旅行相談に乗って、楽しく且つ安全に帰ってきてもらう事でもいいと思っている。

わたし一人では活かしきれない考え方や、知識・経験があるかもしれない。だから、考え方を共有したり、困り悩んでいる人の相談に乗れれば何か思考のきっかけを渡せるかもしれない。と真剣に考えている。

自分が就活をしていた時の企業研究ノートや、選考の過程を細かく書いたノートのコピーをゼミの研究室に置いてきた事がある。わたし自身が、就活のスタートダッシュに躓きかけ、大きく悩んだ事から、後輩達の役に少しでも立てば嬉しいな、という思いで実行した事だ。

結果的に「かじゆりさんのノート読みました!!分からなかった事が理解できて、頭も整理する事ができました!」と連絡をくれ、◯◯ってどんな雰囲気でしたか?どうやって最終面接の対策しましたか?などと聞いてくれた子達は見事に志望企業に入社していった。

別にわたしの力なんて必要なかったのかもしれない。でも、悩んでいる時ほど簡単な事を見失いがちで、冷静になれない事もある。だから、困った時に思い出してもらえるような、相談したくなるような人でいたい。

「縁の下の力持ち」それがわたしには合っている気がする。

これらをどうやって実行していくかのアイディアはいまいち掴みきれていないのだけど。今のままのわたしでいられたら、それでいいのだろうか。

何かわたしにできる事があれば、遠慮なく声をかけてほしい。仕事を理由に断る事がなくなった今、できる事は何でもやっていきたいな、と思っている。こんな事できない?一緒にやってみない?といったお話があればそれもぜひ。フットワーク軽く生きていきたい。

【最後に】

観光マーケティングや、環境問題、SDGsにセルフブランディング、キャリア形成と他にも多岐にわたって、多くの事を学んできたこの1年の集大成を、講義内容に沿わない形で振り返っていいものか真剣に考えていた。

しかし、いつの時代においてもネガティブに作用しかねない「人間関係やメンタルヘルス」について、わたし自身も悩み、考えて来たからこそ、少しでも力になれたらいいな、との想いでこの形にした。

辛すぎて「この世で一番不幸なのはわたしではないか」と本気で思っていたくらい衝撃的だった高校時代の話なんて、するべきではなかったのかもしれない。それでも、今はこの経験を通して人の痛みを知る事ができ、人の優しさにも気づく事ができたと思っている。

ここ数年は人との関わり方についても、良くも悪くもビジネスライク。ある程度予防線を張って、うまく切り抜けてきたつもりだった。そのせいか、あまり深く考えていなかった気がする。それでも、ほぼ全員知らない大勢のコミュニティの中に自分1人というのは、結局昔から何も変わらず不安なままだったんだな、と気づくきっかけになった。

人間関係やコミュニケーションの取り方、自分との向き合い方については、人に言わずとも、きっとたくさんの人が悩むポイントだと思う。こんなわたしの考え方がほんの少しでも同じような悩みを抱える人の助けになれたら嬉しく思う。


【POOLO1期生のみんなへ】

この1年、本当にたくさんの人から様々な刺激を受けました。転職活動を頑張る人、自分の携わる事業をどう大きくするか悩む人、新しい分野に挑戦したいと学びを深める人。こんなに素敵が溢れる人達に出会えた事はわたしにとってかけがいのない宝物となりました。

もっと密に関われたらよかったな。それは今もこっそりと思っている事。去年、落ちたら格好悪いな、と悩みながらも応募して本当に良かったです。
1期生としての活動が終わった後も、細く長く関係が続いていったらいいな。

【tabippoの皆さんへ】

こんな素敵なコミュニティを作ってくださり、ありがとうございました。時には納得のいかない事、なかなか足並みが揃わなくて悩んだ事もあったけれど、時間を重ねていくうちに、困った時に相談したいと思える、助けてくれる大切な仲間ができました。こんなにも個性豊かなみんなに出会えたのは、POOLOを生み出してくれたtabippoのおかげです。

本当にありがとうございました。これからも、末長くPOOLO1期生をよろしくお願い致します。


かじゆり





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