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ベランダからは坂道が見えた。

うちの隣に家が建った。
家が建つことは知っていたし、大工さんの出入りが徐々に増えていることにも気づいていたけれど、会社に行って帰ってきたら、立派に「おうち」の形のものが建っていた。驚いた。

わが渡辺宅は、私が生まれた時に建てた家なので、私と同じ23歳。23年間、さいわいにして隣の空き地には何もなく、教室の窓際の席みたいで、電車の端っこの座席みたいで、とても居心地が良かった。

空き地に面したベランダからは、たいした景色は見えなかったけれど、駅に続く坂道が見えた。
子どもの頃、お勤めに出ている父の帰りが待ち遠しくて、ベランダに座り込み柵に鼻を押しつけ、宵闇に目を凝らしていたものだった。長い足(悔しいことに私には遺伝しなかった)を若干持て余したような、独特の歩き方。坂の上にそれが見えると飛び上がって手を振り、階段を転がるように駆けおりて、サンダルをつっかけて迎えに出た。

実は、父に会いたかったのではない。その頃の父はよくお土産を買って帰ってきてくれた。それが楽しみだったのだ。
だけどその真実は隠したほうがいいと子どもながらに悟っていたので、にこにこと父の帰りを歓迎していた。

大人になり、座り込んで待つことはしなくなったけれど、友人が遊びにくるとき、夫が帰ってきてくれるとき、私はベランダを気にした。


そんな坂道も、見えなくなってしまった。
たいした風景じゃないので、写真も残っていない。

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