「コーラはかき混ぜるとうまい」 それが伯父のさいごの言葉だった。 【KUKUMU】
「おじさん」と発音できなかったのか、周りの大人がそう呼ばせたのか、きっかけは覚えていないけれど、小さい頃、私は伯父のことを「おいちゃん」と呼んでいた。
母の兄で、四十代半ばになっても独身のまま、親元を離れなかったおいちゃん。天然パーマで体格が良く、四角いメガネレンズの奥の目付きは鋭かったから、一見なかなか怖そうに見える。実際、口も酒癖も悪くて喧嘩っ早かった。
だけど姪っ子・甥っ子にあたる私と弟には、すこぶるやさしかった。
私たちが訪ねると、口の端を歪めてニヤリと笑い、「おう、来たか」と言って遊んでくれる。その頃の私は、まだ小学校にすら上がっていなかったと思う。
にもかかわらず、おいちゃんは私を全然子ども扱いをしない。一人の遊び相手として、全力で遊んでくれた。そこがおいちゃんの素晴らしいところだった。
ババ抜きで負けると「今のはナシだ」とトランプをよくよく切って手札を配り直し、自分が勝つまでやる。勝ったら満足げに横になり、寝てしまう。私たちが再戦を申し込んでも聞く耳を持たず、寝たふりを決め込む。
バトミントンで遊べば、思いっきりラケットを振り下ろし、子どもの手では到底届かない遠くまでシャトルを飛ばして勝ち誇る。
敵チームになってしまうと忌々しいかぎりだったが、同じチームであれば、これほど頼もしい味方はいなかった。
おいちゃんを取り合ってチーム決めで揉める私たち姉弟を、おいちゃんは嬉しそうに見ていた。
それから、おいちゃんの親指はこれ以上ない遊び道具だった。引っ張ると、いつ何時であってもおならをしてくれるのだ。
食事の席でも、買い物中であっても、お構いなしにぶっ放してくれる。
その豪快で清々しいほどの発破には、彼なりの美学があったのだろう。残弾が尽きると、おいちゃんは親指を隠してしまう。拳やポケットの中にしまいこみ、私たちに触らせない。
そよ風程度のケチなおならを出すくらいなら、親指自体引っ張らせない。
親指を引き金に、したたかな一発をかます。
そのメカニズムは死守する。
おいちゃんはそうして自らのおならのクオリティを維持し、価値を守った。
弾数が限られていることを学んだ私たち姉弟は、一回一回大事においちゃんの指を引っ張る。そして爆ぜる放屁音を聞いて、こちらも弾けるように笑う。
他の大人たちは眉をひそめたけれど、私と弟があまりに喜ぶものだから、誰もたしなめはしなかった。おいちゃんも愉快そうにニヤリと笑う。
そんなおいちゃんが、私は大好きだった。
ある日、祖父母の家のリビングで、おいちゃんと一緒に過ごしていた時のこと。
コーラをちびちびと飲んでいると、おいちゃんが割り箸をこちらへ手渡して言った。
「これでコーラをよくかき混ぜて飲んでみろ。炭酸が抜けてうまいんだぜ」
背伸びして買ってもらったものの、慣れない刺激になかなか飲み進められずにいた。渋い顔をしているのを見かねて、助け舟を出してくれたのだろう。
うなずいてグラスに割り箸を突っ込み、コーラをぐるぐるかき混ぜる。シュワァァとささやくような音がして泡が湧きたち、コップのふちギリギリまで盛り上がる。あふれないようそこで手を止め、じっと見つめつつ耳を澄ます。
爽やかで、心地良い音だ。
やがて音は落ち着き、ふたたび黒い水面が現れて、完全に凪ぐ。
おいちゃんをちらりと見ると、飲んでみろという顔でうなずく。両手でグラスを持ち、コーラを口に含んだ。
わぁ、あまい。
舌を感電させるかのような強炭酸が消え、はじめてコーラの味をしっかりと捉えることができた。
「コーラってコーラ味のガムみたいな味がするんだな」と当たり前のことを思い、納得した。
微炭酸は口の中を軽快に跳ねまわり、心地良い刺激を与えながら喉を滑り落ちてゆく。
あぁ、おいしい。コーラっておいしい!
目を輝かせる私を見て、おいちゃんはいつもの不敵な笑みを浮かべ、満足そうに部屋から出て行った。
そしてそれがおいちゃんとの最後の思い出になった。
次に会ったおいちゃんは病院のベッドで横たわり、冷たくなっていた。
「コーラはかき混ぜると、炭酸が抜けてうまいんだぜ」--その言葉を最後に、おいちゃんはいなくなった。
47歳の早すぎる死だった。
死因は腎臓がんだったという。
病院に通ったり、もしかしたら余命を宣告されたりもしていたのかもしれないけれど、当時6歳だった私には、おいちゃんも周りの大人も何も教えてくれなかった。
私の覚えている限りでは、おいちゃんが具合悪そうにしていた記憶はないし、お見舞いに行った記憶もない。ただ、ある日突然いなくなった。
まだ死というものをよくわかっていなかった私は、悲しみを感じることができなかった。ただ周りの大人の口ぶりから察するに、もうおいちゃんとは遊べないらしい。それは残念だなと、少しがっかりした。
葬儀帰りの食事会でコーラを注文した私は、お箸で炭酸を抜こうとして、初めて会ったような親戚のおじさんに「やめなさい」と叱られた。おいちゃんが死んでも泣かなかったくせに、私は叱られて泣いた。
ベソをかきながら飲んだコーラは炭酸が強くて、ちっともおいしくなかった。
あれから17年の歳月が過ぎ、自分ではまだそんな気がしないけど、今の私はもう大人だ。成人もしたし、コーラをかき回すのはお行儀が悪いということも理解した。
相変わらず炭酸は得意じゃないけれど、乾杯の一杯は周りに合わせてビールを頼んだりすることもある。この振る舞いはなかなか大人らしいんじゃなかろうか。おいちゃんならきっと、そういう空気の読み方はしない。
母がたまに、兄であるおいちゃんの思い出話をしてくれることがある。
自分の両親が営んでいたラーメン屋さんを気まぐれに手伝うだけで、定職につかずフラフラしていたおいちゃん。
よく大人たちにお説教をされては、ケンカしてふて腐れていたおいちゃん。
大人になって改めて聞くおいちゃんの生き方は、反抗期の男の子みたいだ。
ひょっとすると、幼い私たちについてずっと遊んでくれていた一番の理由は、大人の世界に居場所がなかったからかもしれない。
子どものリズムに合わせてくれていたのではなく、おいちゃんは本当に少年の心で一緒に遊んでいたのかもしれない。
少年漫画が好きで、プロレスが好きで、絵を描いたり笛を吹いたりするのが好きで、死ぬまで本当の意味で大人にはならなかったおいちゃん。
でも、だからこそ確信が持てる。おいちゃんは私たち姉弟のことを、心の底から大切に思ってくれていた。
だって、「伯父だから面倒を見る」なんていう責任感は、あの人にはないだろうから。
今でもたまに、周りに人がいない時、私はこっそりコーラをかき回す。
炭酸の抜けたコーラも、おいちゃんのことも、大人になっても大好きなままだ。
文・イラスト:渡辺 凜々子
編集:栗田真希
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編集後記も、もしよければ!
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