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トリセツから、はじめます。

みなさま、はじめまして。

noteという存在は知っていて、モノを書くことが好きな人間としては何か書きたい!!
と思いつつ、わたしの周りのnote愛用者はとってもクリエイティブな方が多くて、こんな薄っぺらい人間がしゃしゃりでて良いものか…と考えあぐねて早1年と数ヶ月。

今日は仕事終わりに、とあるイベントに参加しまして。
そこでかなり触発されたので、その勢いではじめてみることにしました。

毎日書くぞー!とか、そんな高尚な目標を立てるとすぐに挫けることは目に見えているので、
ゆるく、雑多なことを書き綴りたいと思います。

本当に雑多なことを取り留めもなく書くつもりですが、基本的には

参加したワークショップや、感銘を受けた言葉の感想を皆さまにシェアすること。

リリーという人間が感じていることを表現すること。

が中心になると思います。
表現は、感想文かもしれないし、小説や、時には詩のようなものになるかもしれません。

一般人の拙い文章ですが、なにか1つでも、貴方の心にひっかかれば、幸いです。


手はじめに、リリーって何者?というところからスタートします。

【リリーの生い立ち】
*生まれは京都の田舎ですが、わたしが生まれてすぐ、父の都合で千葉県で暮らします。

*小学校入学のタイミングで、京都へ越してきます。当時、関西弁男子に

「うわー!お前、関西弁ちゃうやんけー!標準語やキャッキャ」

とからかわれたことから、「関西人にならないと殺されるかもしれない」
という謎の恐怖を抱きながら生活することに。

多分この頃から、自分は何者なのか、他者から自分はどう見えるのか、を考えていました。

*小学校生活はそれなりに楽しかったですが、中学校はわたしの人生の黒歴史になりました。一度、本気で死んでしまおうかと考えたこともありました。この辺りのお話は、また改めて。

*そんな中学校時代の居場所が、塾でした。愛すべき仲間、愛すべき先生。
この時、わたしの人生の師匠となる方と出会います。
当時大学2年生だった哲学部の彼は、わたしにとっては神とイコールな存在です。
彼の影響で、わたしは本の世界へ誘われたのです。

*高校受験で彼の出身校を推薦で受験しました。
受験前日、彼が「これ、オレの受験票。お守りにして。」と、わざわざ最寄の駅まで持ってきてくれました!!

結果は、、
不合格。絶望に苛まれながら、泣くのを堪えて彼にお守りを返しにいきました。

*幸か不幸か、その年の推薦入試は、わたしの仲の良い友達は軒並み不合格で、みんな仲良く別の同じ学校に通うことになりました。

*大学受験で必死に某国立大学に入ろうとしましたが、センター試験で、得意の国語でマークミスという失態をおかし、茫然としたまま国公立を断念することに。

*私立大学と予備校のパンフレットを見比べ、家庭のことを考えたうえで関西の私立大学に進学します。

*最初は「こんなとこ、3年次編入で抜けてやる。それまでは我慢や。」と鼻息荒く入学しましたが、
そこで出会った仲間や先生方の魅力に惹かれ、
最終的にはこの大学が大好きになりました。

*大学で最初に学んだことは「平和学・発展途上国の貧困問題」。

*大学1年が終わった春休み、フィリピンのスタディツアーに単独参加しました。(親には大反対されたけど、チケットを取って押し切った)
孤児院や病院、スラムなどでお話を聞くツアー。
そこでわたしは感じました。
「わたしはなんて無力な人間だ。」
モヤモヤした感情のまま、日本へ帰ります。

*帰国後、中学の同級生から連絡がありました。
「東日本大地震の復興支援団体で活動していて、今度、観光を含めて被災地を巡るツアーがあるんやけど、よかったら来ない?」
と、お誘いいただきました。

フィリピンから帰ってきて、腑抜けていたわたしは「目の前で苦しんでいる人に対して、自分ができることはなんだろう?」と感じるようになっていました。その答えが、被災地にあるかもしれない。二つ返事で参加することにしました。

*フィリピンでも、被災地・福島県でも、自分では到底解決できない問題を目の当たりにして、無力感に押し潰されそうになりました。
そんなとき、被災地の高校生から、こんなことを言われました。
「ボクたちは、かわいそうではありません。前を向いて、生きています。それを、周りの人に知らせてほしい。東北は元気だよ、と。
そして、ボクらと同じ状況になる可能性が、残念ながらみなさんにもあります。そんなとき、同じ惨事は繰り返したくない。どうか、東日本大地震の現状も、語り継いでほしいです。」

*わたし個人の力は弱くても、人に知らせることはできる、今を見て、発信することこそ、わたしでもできることなのでは。そう強く感じ、ゼミはメディアリテラシーを専門とする先生につきました。

*ゼミは3.4回生ですが、3回生のタイミングで1年間、スロバキアという国に交換留学しました。(これも親の承諾を得ず強行突破(笑))

*ヨーロッパの国々を渡り歩き、まぁそれは遊んでばかりの1年間でした。でも、今でもスロバキアはとても懐かしいし、もう一度住みたいと思える国です。機会があれば、スロバキアについて書きたい。

*帰国後、ゼミと同時に書店員のバイトをします。

*本来なら留学してても4年で卒業できるのですが、色々考えて5年通うことにしました。
このとき、書店を辞めて、某テレビ局で報道カメラマンのアシスタントのアルバイトをはじめます。

*5月頃までろくに就活をせず、バイトで報道の世界にのめり込む日々でした。ただ、いろいろ考えた結果(この辺りもまた後日)、地域に根差し活動できそうな、滋賀県内の会社に就職。

*現在社会人2年目。

長くなりましたが、今後、わたしのルーツも含めて、この場でいろいろ表現できたらな、と思っていますので、お付き合いいただけると幸いです。

どうぞよろしくお願いします。

#日記 #エッセイ #トリセツ

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