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母の日に思うこと
母は専業主婦だった。
結婚前に少しだけ働いていたこともあったようだけど24歳で結婚してからずっとだから
「筋金入りの専業主婦」
(この言い方が合っているのかわからないけど)
家で待ってくれていることが当たり前で、ホットケーキやさつまいものレモン煮、ポテトチップスなんかを手作りしてくれていた。
カレーライスの日は家に入らなくても夕ご飯のメニューがわかって嬉しかったな。
思い出すとふんわりと優しい気持ちに包まれ、できることなら若かった母と幼い私をぎゅっと抱きしめたくなる。
学校行事はいつも早めに来てくれてと嬉しかったけど、反抗期を迎えた中学生くらいから鬱陶しさを感じるようになったっけ。
母はどんな気持ちでいたんだろう。
本当にひどいことを言っていたと思い出すだけで胸が締め付けられる。
共働き家庭がまだそんなに多くなくて家長である父は外で仕事、母は子育て家事全部を引き受けていた昭和のあの頃。
私が反抗的な態度をとると母は父から「お前の育て方が悪い」と言われ、
テストの点が悪いと「お前が勉強を見てやらないからだ」
少し帰りが遅くなると「お前がちゃんと言わないからだ」
ことあるごとに父は母を物凄い剣幕で怒鳴り散らしていたことが脳裏に焼き付きついて離れない。
アラフォーの今も鮮明に覚えているくらいだから、私の人格形成に相当な影響を与えているのは間違いない。絶対的に。
そう、だから私は結婚しても夫に頼らずとも生きていける仕事をするんだって決めたんだった。
父の収入に頼って生きてきた母は他に生活していく術を知らない。
あいかわらずそのままの関係が続いている。
ご飯の配膳だったり、お風呂の着替えだったり、薬の管理だったり
「なんでそんなことまで」とこちらが思わず声を荒げてしまうくらい、子供に対してするかのように甲斐甲斐しく世話をやく。
父は今、若い頃からの不摂生がたたり入退院を繰り返している。
病院にいながらもあいかわらず母は父の遠隔操作を受けているかのように振り回されている。
人間はいつか必ず死ぬ。
残された方が父だった場合、正直、どうしていいかわからない。
母の日を前に、実家に行ってきた。
母の判断能力がまだしっかりしているうちに、父のこと、家のこと、土地のことなんかをしっかりと話し合いたい気持ちが先走り「ありがとう」って言うのを忘れてしまっていた。
過去の記憶が脳裏に焼き付き、現実を直視できずにいる私の心はずっと揺れたままでいる。
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