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つくる惑星

いつも何かつくってる。
音楽活動でも、それ以外でも。

本編の制作だけじゃなく、みえない周辺のこと、発信…   つくる、表現する要素は常にあふれてるもの。
部分だけ完成度たかくてもほかがフヌケっていうのは落ち着かない。
トータルで表現だとおもうから、手抜きできず果てしない。

たまにはすきまをーとおもうのに、ひらめいたら試さずにいられず、たとえ寝ていても起きあがる。

ひとつのキラン💡はシナプスのように伝わり、他のところもピカりヒカって、次のひらめき💡に。ふときづけばますますつくってる。

つくるってそんなかんじ。つくる種族ってみんなそうなのかな。
どんなに忙しくてもおなかがすけばごはんもつくるし。

あぁ、南の島の水上コテージにでも行ったらつくることは止まるんだろうか。いや、それはそれで貝とか木とか拾って何かつくりはじめるな。
ただぼんやり海を眺め、遊び、レストランでお食事、なんて優雅なだけの休日はわたしには数日が限界かも。

すてきだし、いいなっておもうんだけれども。

森に住んでいたときも、起きている間はずっとつくり続けていた。
庭を、集めた実で果実酒を、お菓子を、枝をひろって細工を。
友人が近くでお店をはじめたときには装飾を。看板までつくったな。
夜はなかば気絶するように眠り、また早朝からつくる日々。

わたしにとって生きる=つくる

と、いうとかっこいいけど、それ以外のことは不得手ばかり。極端な脳。
時間がゆるす限りはつくる+つくることにつながることをしていたいから、むやみに遊び歩くこともなく、約束も、予約もあんまり得意じゃない。

といっても職人さんのようにカッチリ製造とか、満点のゴールを目指すことが目的ではなく、

絶えず脳内に みえる 湧いてくる ことのアウトプットが
つくるという手段
になってるだけ。

脳内世界の片鱗を可視化して精神のバランスを保ってるのかな。

うまく表現できないときももちろんあるけど、オシゴト以外の創作ではアドバイスも no thank you 体制。自身できづいて直すことは、はしごをつかむグリップの強さがちがうようなきがする。
自由な創作は瞑想的であり強力な癒しでもあるから、なんとなくほめてくれるだけでいいよ。

提案をされたり、こんなやりかたもありますよ、と
先回りされた途端に義務にかわってしまう

Stop bugging me. 🐝

余談だけど、こどもがart方面得意、将来に向け伸ばしてあげたい、どうしたらよいかしらと、熱く相談されたことが何度かある。
そういうのってたいてい先回りしないほうがよくて、すきなら自発的に続けるし伸びるんじゃ?なんておもいつつも、熱いまなざしビームを前に迂闊な返事もできず、その場しのぎを言ってやりすごした。

後日どうなったかきくと、あるとき急にやらなくなってしまったと。そうだよね。わかるわかる(こども目線)

ちなみにわたしはどうだったかといえば、ほぼ放置だった。
それが正解という意味じゃなく、たまたまそうだっただけ。
これどうしてもやりたいおかねだして、とプレゼンしたときだけ、吟味の末に認可がおりる的な。音楽も家のなかでは特に褒められることもなく家族は無関心(というより騒音扱い)、外でだけ評価をもらえたから、客観性を身につけたのは早かったかもしれない。

余談長くなり。

つくる原動力は、ひらめき、みつけ、工夫し、うまくいく、そのプロセスのよろこびにあるんだとおもう。

もしも。
つくることをぜんぶ取り上げられ、消費だけの世界にぽとんと落とされたとしたら。贅沢な生活を約束されていたとしても、工夫することすら許されなかったとしたら… 想像するとおそろしい。

こんなにつくることが多いと、ショートすることもよくある。
でも、放電ばかりのようで、つくりながら充電してるのかもしれない。
創作を通して、まったく関係ない物事への理解や、意識の精度が高くなる感覚もある。
つくることをやめたとしたら、砂浜に打ち寄せられたくらげのように、透明で得体のしれない物体になってしまうかもしれないな。

この惑星は、わたしにとってはつくるための工房でパーツ、たぶん。
Thank you, planet  Earth.


最新シングル「星空とクランベリー」でも歌詞をつくりうたっています。


リリィミンツ
SSMP
* ずっとウタうシゴトしています*

セザンヌのアトリエ。窓の外は木々が生い茂ってる。
映画『パフューム  ある人殺しの物語』でいちばんすきなシーン。
調香師の美しい「オルガン」がある部屋。つくるための空間は大好物。

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