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親と別れてから

親と絶縁してからというもの、私はわかりやすく病んだと思います。10代前半きりやってなかった自傷も再開しちゃったし、サブカルに戻ってきたし、いい歳してなにやってんだろうと自己嫌悪。夜職を始めたのも自分を消耗させる自傷手段のひとつだと思います。

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親の存在が意外と大きかった、という文言はふつう親が死んでから聞くものですかね。私はもういい大人だというのに親を見放したことをぐずぐずぐずぐず悩んでいます。自ら離れたのに、ときどき無性に声が聞きたくなります。他愛もない話しをしたくなります。しょうもない話を笑って聞いてくれた思い出くらいはあるので、どうしようもなくその記憶にすがってしまいます。

両親は確かに私を愛してくれていたと思います。感謝もしています。だからこそ、たかが人形程度にしか思われていないどうでもいい存在だと思われていたと知ってショックでした。顔も見たくないほどだと知って、それを言葉にできてしまう親のデリカシーのなさに落ち込みました。愛されていたという感覚と、蔑ろにされていた感覚とがあって、そういう二律背反なメッセージに混乱してしまう。どのメッセージが本当なのかわからないんです。

死をよぎったことは何度もありました。でも大金はたいて作った私のこの体を自殺で終わらせてしまうのは惜しいという気持ちもあります。愛するパートナーもいます。メンタルは平穏とはいえませんが、ある程度お金を稼いで食うものに困らない生活も送れています。となれば親の仕打ち如きで死ぬわけにはいいません。生きるしかない。

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