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「諦める」の語源

October.2020

大人になり、年々、夢や希望、そして努力ではどうにもならないことが増えてきました。

もう1人子供を授かり育てたいという私たち夫婦の望み。第二子の妊娠が叶い、出産を待ち侘びていたのに、道半ばの妊娠30週で娘を亡くすという悲しい現実。命のことは非情にも努力ではどうにもならないことを突きつけられました。

2020年の10月は、本来だったら産休が終わって仕事復帰するはずでしたが、職場の理解もあり、休職を選びました。涙はまだまだ出るし、お空にいる娘へ想いを馳せ、「ごめんね」「ありがとう」を伝える日々を過ごしながら、新しい生活のリズムを模索していました。

そんな悲しみとともに、再び望んでること。

また、赤ちゃんがほしい。
ともに生きたい。

でも、死産を経験してしまうと、授かったとしても、また同じことが起きるんではないかと、とても不安になります。

こんなに悲しいならば、赤ちゃんを授かることを諦めるという選択も頭をよぎります…でも、私は諦められませんでした。

そして、そんな想いが強いために、授からなかった未来になった時、私はどう自分の気持ちを整理するのか想像ができず、不安と焦りが強く出ていました。

そんなことを考えていた頃、マインドフルネスのクラスで先生からシェアされた話を聞き、腑に落ちました。「諦める」の語源について。 

「諦める」って、なんだか敗北感満載で、意に反して手放すような…ネガティブな言葉として、私は受け取ってました。

でも、実はネガティブな言葉ではないとのことでした。

諸説あるそうですが、諦めるの語源は、

明らかに見極める

と言われているそうです。

物事の状態を見て、受け入れること。すなわち、自己受容なんだそうです。

自分を取り巻く状況を受け入れて、否定せず、自分を認めてあげることであれば、そこには自分への愛があるので、とても救われると思いました。

勝ちとか負けではない。手放すのではなく、受け入れること。けしてネガティブではなくポジティブなこと。そこには、真逆の価値観が存在してました。

だから、選択肢がある今は、迷ったり不安にもなるけど、今できることに丁寧に向き合うだけ。その先には、希望する未来であってほしいけど、希望しない未来だったとしても、もがき苦しんだ上で、きっと明らかに見極められる時がくるんだろうなと思いました。

自分で見極めた先の未来は、どのような未来であったとしても、ワタシらしく歩きたい。

「諦めるの語源」を知り、焦る気持ちは少し落ち着き、今できることに集中しやすくなりました。

今やれることを丁寧に。ワタシらしく。

お読みいただき、ありがとうございます。

lily

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