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動物愛護とヴィーガンについて思うこと、続き。

つい先日、アニマルウェルフェアとか環境問題とか、現代の畜産について思うことを初めて書いてみて、今日はその続きを書きます。

この1週間、色々と考えた結果私は今日からヴィーガンになることを決めました。

先に書くと、私は自分の考えこそが正義だとは思わない、ことにしました。

動物は1匹も無駄に殺したくない、という気持ちはあるけど、その感情は捨てます、捨てた上でヴィーガンになることを決めました。

ヴィーガンが正義だと云う考えを、
色々な角度から説明することは出来るし、何より感情として動物を人間のために産み出し殺すことは嫌だ、苦しい、だけど
物事を善悪で考え出すと必ずそれは勧善懲悪の世界を産み出すと思ったから、
ヴィーガンが正義だからヴィーガンになる、のはやめました。
ただなりたいし、動物の権利について考え続けたいからヴィーガンになることにしました。

私がヴィーガンになる理由と、

でも周りにヴィーガンを押し付けずに出来る努力について、
以下に書いてみます。

先に、なる理由。

ひとつめ。
動物がひたすら好きだからです。

人間より動物が好きです。格好つけて言ってるのではなく、私はコミュ障で人とコミュニケーションを取るのが苦手です。いつも誤解されます。
だから、小さい頃から人より虫や動物が好きでした。言葉でコミュニケーションを取らないで済むし、動物は基本的に嘘をつかないから、一緒にいて癒され助けてもらってきたからです。


ふたつめ。

自分が社会に対して持っている罪悪感、
家族に対して持っている罪悪感を薄めるためです。

前にも少し書きましたが、私は子供の頃から精神の病を持って産まれました。
大人になるまで騙し騙し働くことはできましたが、33歳になった時から継続して勤めることは出来なくなりました。
今も一年のうち1/3くらいは寝ているだけの生活です。どんな怠け者で家族に迷惑かけてるのかと思うと、生きるのが苦しい時があります。
お金の面でも役に立たなければ、家事も完璧じゃないわ、病気だわ、自分はお荷物の屑だと毎日思ってしまいます。

しかしながら、私がヴィーガンになれば、
地球温暖化の原因の一つであると言われる畜産を減らすことにほんの少しですが役に立てます。寝ているだけでも出来る、消極的な社会貢献です。
幸いなことに私は食べ物にあまり興味がありません、普通に食欲がある人が、卵や乳製品や肉食や魚を止めるのは相当辛いと思いますが、
幸いにも私にはあまり辛くありません。

勤めていた時は忙し過ぎて、
毎晩シャケおにぎりとからあげくんを食べていて、それに不満を持ったことがないくらいです。美味しいものを食べたいという発想がありません、相当変わり者かもしれません。

ヴィーガンになれば社会の一員として少しは自分を肯定出来るなら、お安い御用だと思いました。

ヴィーガンを周りに押し付けない理由。

ひとつめ。

たいていの働き者の人たちは、
食べることが大きな喜びで、動物の権利について考える余裕なんかないくらい忙しいから。

まだほとんどの人は動物がどんな扱いを受けて肉や乳製品を産み出しているか知らないし、
環境にどんな影響を与えるか知らないし、知るのが怖いと思うからです。

もし知ったとしても、その事実をなかったことにしたいと思うのは良心がある人ほど、
そうなると思うから。

私が動物について考えることができ、
小さいですが行動できるのは、

病気のために膨大な寝たきりの時間があり、
かつ病気のせいかあまり食に執着がないからです。

逆に言うと、私は健康な人と違い、

自分ひとりで生きていけるほど、
自分の力で稼ぐことはできません。
子供を産んで育てる力もありません。
大抵の人には、その両方か片方がきちんと出来ます。私には出来ません。
これは、生きてるだけですごい罪悪感です。

人に頼って生きているのに、
一生懸命働いて、食べるのが大好きだ、という当たり前の欲を持った人を批判することは出来ないと気付きました。

私はたいていの人が出来る、働く、起きている、ということが出来ません。

そのかわり、たいていの人が持ってる欲があまりないです。トレードオフかもしれない。

だから、寝たきりのときは、
動物も幸せで人間も美味しいものを食べる方法はないかを考えて、旦那が一生懸命働いたお金をどこかに寄付したり、
元気で起きていられた時に作ったジュエリーで少しは知名度が出来たら、
動物の権利について少しでも考えてもらえる活動をしたいな、と思います。

ふたつめ。

色々調べる中で、本気で情熱と愛情を持って畜産に取り組んでいる人達がいると知ったからです。

世の中の畜産が全部なくなったら、
その人たちは仕事が無くなります。
そして、愛情を持って育てているということは、もっとお金が儲かり消費者の理解さえあれば、動物にとってより良い環境を実現したいと思うはずだからです。

安くて美味しくて便利な食を、
と言い続けた私を含め消費者にも問題があるとすれば、私達が環境にも動物にも配慮出来るだけのお金や労力を払えば、
私達も、動物も、真面目に畜産やってる人も、環境問題も全てを満たす環境が出来るかもしれません。

だいたい、地球温暖化の問題は、ファーストフードのハンバーガーなどのお肉を植物性肉に置き換えれば(味はほぼ変わらないとこまできてるらしい)解決に向かうかもしれないし、

畜産動物が屠畜のその時まで大事に育てられ、屠畜の時も一切の恐怖を感じなければ(安楽死など)、もしかしたら、
人間が肉食を続けながら動物も幸せに出来る方法があるかもしれない。
そんなことを言うのは倫理違反だろうか。

最後に、余談になりますが、
西欧と違い日本は勧善懲悪の文化ではありません。私は、自分自身に勧善懲悪的な潔癖さがありながらも、時に残酷さも孕む、日本の文化や風土に魅せられてきました。
だから、東洋的なジュエリーを作ろうとしてます。(あ、EDENというジュエリーブランドを作りまして、東洋のジュエリーがコンセプトです)

日本は元々肉食文化じゃないかもしれないけど、その歴史は勧善懲悪ではないし、その懐の深さは神秘です。
死ぬことは恐怖だろうか、殺戮は悪だろうか、ということをふと考えます。
そして、命をコントロールすることは、悪なのでしょうか。悪だとすれば、悪とはなんでしょうか。

肉食とは宗教観の話にすらなるかもしれない。


最後の最後。
コミュ障で人が怖い私を子供の時に支えてくれたコテツという犬と、
今も病気の私を支えてくれているポムに感謝して、動物愛護について生涯考え続けることを誓います。
ポムもコテツもお肉が大好きです。雑食!
飼い主はヴィーガン。ポムは時々虫を殺して食べます、私は生涯で一度も、蚊もゴキブリも殺したことはありません。正義とは。


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