見出し画像

豊かさを拒む罪悪感に気づいた話

豊かになりたい。

心の豊かさはもちろん、金銭的に。
表には出さなくても、きっと多くの人が思っていますよね。

私もその一人。
自分で言うのもなんだけど、
毎日お金のことを考えています。

ふとしたときに、何も考えることがないときに、
浮かんでくるのはお金のこと。

まぁ今私はほぼ無職の身なので(前の職場を辞めた)、
これからの生活費どうしようって考えるのは当たり前ではある。

でもそうじゃなくて働いて一人で生計を立てられていた時ですら
毎日毎日お金のことを考えていて、
しかもお金に対して「足りない」「もっとほしい」という
「不足」の目でばかり見ていました。

別にお給料が少ないわけではなく、
普通に生活して、時々ちょっとした旅行や趣味も楽しめるくらい十分。
それなのにいつも足りないと思っていた。

おかしいなぁ…。

別に今すぐ大豪邸を買いたいとか、
毎日毎日高級レストランに行きたいとか、
派手に豪遊したいとかじゃない。

私が欲しいと思っている金銭的豊かさとは、
好きな場所で暮らして、好きなものを食べて。
好きなものを身に着けて、思い立ったときに行きたい場所に行けて、
やりたいと思ったことを我慢せずにいたい。

というもっと規模の小さいことのはず。

そしてこれらのことは、
多少の我慢はあったにしてもだいたいは叶えられていたはず。

それなのにどうして足りないと思ってしまっていたんだろう。

今、当時のお給料をもらっていたら
どれほどやりたいことができるだろうと思う。
どれほど不便な思いをせずに済むだろう、
電車代を我慢せず行きたい場所に行けるだろう、
美容院代もケチらずに済むだろう。
どれほど「幸せ」だろう…。

当時は、行きたい場所へ行くために自由に電車に乗ることができて、
よっぽど高額なコースでなければ定期的に美容院に行けて、
友人に外食に誘われてもいくらかかるかなぁなんて心配する必要なかった。

それなのに、私はまったく「満たされている」と思えていなかった。

その時に存在していたはずの金銭的「豊かさ」、
そしてそれによって得られる物質的、経験的、精神的「豊かさ」を、
私はまったく受け取れていなかった。

それどころか拒んで、
気づかないようにすらしていた。

なんで私は豊かさを感じることができなかったんだろう。
当時も、そして仕事を辞めてからも、
ずっとその答えを探していた。

そして本当に最近、「あぁ、そうか」と気づいた。

私が豊かさを感じることができなかった原因。それは、

「罪悪感」

だった。

ここから先は

2,234字

¥ 100

この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?