光が差して私を見つける。
ここ最近、いや長い間日記を書く気分になれなかった。
何故なら漠然とした、形の無い、浮遊した暗い何かが私を阻止していたからである。
noteを書き始めたときは、些細な事でも書き留められたらなあなんて思っていたのに。
でもこうやって文章を書いているうちに
その「何か」はとてもシンプルで単純な物だと気づいた。
行き場を失った恐怖、不安や怒りだった。
普段私は文章を書くときに、1ミリの嘘偽りも無い、正直な気持ちや、自身の思考を書かないと気が済まない。
自分に嘘はつきたく無いし、人にも嘘をつきたくないから。
文面上でもフェアな関係でいたいから。
それからもう1つ、ネガティブな感情を文章に起こす事に抵抗がある。
私の書いた文章が誰かに伝わった時、傷ついたりネガティブな感情に支配されてしまう可能性が頭の中をよぎるから。
それなら胸の内にしまっておいた方がいい、と。
しかし今思えば、ただこの感情と対峙したく無かっただけなのかもしれない。
3月に学校を卒業してから、さあこれからどう生きていこうという期待と不安が入り混じった状況の中、コロナがあっという間に世界中に浸透してしまった。
当時の私の期待と不安の比率は半々で、
風が吹いたらすぐよろけてしまう、弱くて不安定な状態を維持していた。
コロナが浸透した事で、私が今手伝っている家業の行先は一気に不透明になった。
もし感染したら?もし自分がウイルスを持っていたら?という大きな恐怖。
そして、それと矛盾してstayhomeがきっかけで、私達の生活が変わってしまうんじゃないかという不安。
国民の声を反映してくれているようには見えない政府に対して積もる怒り。
毎日冷たい雨に打たれながら、
先の見えない道を手探りで進む感覚だった。
いつもの私なら何とかなるよ、とスルーしていた事も、コロナウイルスが発生してから一つ一つの事が私の脳内を麻痺させて混乱させた。
そんな自分に嫌気がさして、
とにかく何か動いていたくて、
今までしてこなかったことにチャレンジした。
その時間は楽しくて、漠然とした何かを振り払えた。
そして気がつくと、先の見えない道に
じわじわと光が差して、視界が開けてきた。
季節がいつのまにか変わっていることに気がついた。
鮮やかな花が咲いていて、
光の色が優しいオレンジ色に変わっていて
遠くから鳥の鳴き声が聞こえてきた。
足下を見ると、泥で汚れた靴を履いている事に気がつく。
こんなにも日常は豊かさで溢れている。
怒りや不安、恐怖に支配された心は
ここまで自分を見失うのか。
私はどうやら弱い自分を認めたくなかったらしい。文章を書くとき、自分の心と対話しなければならない。
弱い自分がいる事を無視する事は出来ない、
でもそれを認めたくはない。
なんという矛盾!
皮肉にもコロナウイルスによって
私はその矛盾に気がつき、
普段生きている事への幸せを噛み締める事ができたのだ。
私の人生だから、どう生きるかは私次第。
目の前の事に囚われず、
日々感じる豊かさを大切にしたい。
だとしたら、もっと肩の力を抜いていいはず。
その日ちゃんと生きた自分を褒めていいはず。
豊かさを数える石はいつも握っていられるように。
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