Yuri's room

徒然なるままに。 日々あったことを綴る。 人生は美しく、楽しいものであるのだから、一瞬…

Yuri's room

徒然なるままに。 日々あったことを綴る。 人生は美しく、楽しいものであるのだから、一瞬一瞬を見逃さず。

最近の記事

ちょっと思い出しただけ

また映画を見てきた。いい映画だった。 過去があるから未来がある。 たまに思い出す、美しい思い出。 恋愛以外もね。 あまりもう会えなくなってしまった人たちを思い出した。 私はあまり神社仏閣には人と一緒に行かないのだけど、たまたま仲間と遊んでいたらきれいな神社があって入ってみたところがあった。 今日立ち寄ってみた、一人で。 遠くへ旅立つ仲間と過ごした日々を思い出した。 もう頻繁には会えなくなるな。けれど、またよろしく。

    • 冷え切った心と身体にエッグベネディクトを

      冷える、寒い。 ブランチたべたい。 夢の中で、エッグベネディクトが食べたい。  ということでエッグベネディクトを食べに都会まで。 いつもはスニーカー生活だけれど、ちゃんとパンプスで。 あたたかい。心が。 満たされた。

      • 「うっせぃわ」は私にとって浄化ソングです。

        「うっせぃわ」はいい子で、優等生で育った人のための、パンクソング。 ある程度、そういう人多いのではないだろうか。 学校でもいい子、社会でも、、、。 たまには爆発も大事。 ライブでぜひともみたい。

        • 泣きながらご飯食べたことある人は生きていけます

          この時間帯に泣きながらご飯を食べている。 ふとした瞬間、涙が溢れてきた。 ドラマ「カルテット」で「泣きながらご飯食べたことがある人は生きていけます」というあまりにも有名なセリフがある。 食欲とこの感情がまざったご飯は不思議な味がする。涙の味。けれど暖かい。 前に進もうとする力を感じる。

        ちょっと思い出しただけ

          私は鳥になりたい

          きれいな鳥の声で目が覚める。 地に足をつけること、人間はそれが美徳とされている。生きてる間は少なくとも。 生まれ変わったら、私は鳥になりたい。 風の歌を聞いて、一緒に歌って、世界中の大空を飛び回って、ゆったり過ごしたい。

          私は鳥になりたい

          Bara no Hana

          「雨降りの朝で今日も会えないや。なんとなく。」 会わないことで、安心してしまう関係性もある。少なからず。 コロナ禍で、 遠く、遠くなっていく。

          Bara no Hana

          失って初めて気づいた、大切なものに囲まれた

          ここ数日、体調を崩してた。 食事が一切取れない。 食事をしなくても空腹感がない。 コロナ禍で不摂生がたたったのだ。 ずっと幸せだから、気づいていかなった。 回復してから食べた味噌汁、卵焼きの美味しさ。夏野菜の美味しさ。 空の青さ。夏雲の綺麗さ。夏の空気の美味しさ。 周りの人ってこんなに優しかったんだ。 当たり前だったことが、当たり前ではないことに気づいた。 その瞬間空気が調和し始めた。 まず、原点に立ち返って周りに、ありがとうって伝えてみよう。

          失って初めて気づいた、大切なものに囲まれた

          今日は、許し、手放し、名前も知らない人の幸せを願う日だった

          手放そうと思っていたことを手放したり、許した。 そして、それとは別に気遣ってくれた名前も知らない人の幸せを祈った。 1日で別の角度から色んなことがあった。 そうすると、一気に景色は鮮やかになった。 自然と心が、背中と胸のあたりが暖かくなって、 生きててよかった!という気分。 https://youtu.be/HtUH9z_Oey8

          今日は、許し、手放し、名前も知らない人の幸せを願う日だった

          三峯神社での不思議体験(回想)

          かつての話。 私は一時期、夜中にレンガで殴られたような頭痛が続くことがあった。 これは「なにか間違った方向に進んでたり、思考が違うという警笛なのではないか」という風にインスピレーションで感じ取った。 何かに導かれるように「そうだ、三峯神社にいこう、奥宮には絶対いこう」ということになり、弾丸で行ってきた。 最初に、熊よけの鈴と杖を購入しようと、三峯神社の麓の商店街の方に訪ねたところ「お店のものを貸します」ということで、貸していただいた。購入しますと言っても大丈夫と言われ、

          三峯神社での不思議体験(回想)

          空にまいあがれ

          「風の中で、きみがほくを見て笑った」 天国にいる大切な人たちは、見て笑ってくれてるかな。 今日は気分が軽くて、心が温かい気がする。

          空にまいあがれ

          バラの棘を見ていたら、あなたの心の寂しさが

          発信し続けることは、誰かの救いになるかもしれない。 ものを作り続けることも。 自分が存在し続けることも。 時間をかけてものを作って、簡単に批評されることもある。 作品は見るより、作るほうが時間がかかるってこと、忘れちゃいけない。作ることは産みの苦しみが発生することが多いので。 心軽やかに、何かを作れたらな。

          バラの棘を見ていたら、あなたの心の寂しさが

          太陽は見上げる人を撰ばない

          太陽が落ちると、あたりは暗くなって、人も少なくなって、ようやく少しだけマスクを外して外の空気が吸える。 夏がやってきた。 これはまさに夏の匂い。 誰にも邪魔されずに、初夏の夜の道を歩く。

          太陽は見上げる人を撰ばない

          ヤングケアラーであったこと

          一生懸命やっていたことに名前が付くと、報われた気分になる。 「当たり前」ってその組織とか所属してる家族とかコミュニティで変わって当たり前だけれど、思春期で家族の介護をしていたことは、その時は当たり前だった。 その時期、部活を休部したのだけど、大切な人と残り僅かな時間を一緒に過ごせたのは、貴重だった。もうその時しなかったから。笑い合ったり喧嘩したり。 後々困ったことは、亡くなったあとに私自身が燃え尽きてしまったこと。 頑張ったあとにやってくる、それだ。 思春期だったから、余

          ヤングケアラーであったこと

          2ちゃんねるに助けられてた時代

          早リモートワーク生活が2年目に突入。 そんなこんなで、初対面でも顔が見えなかったり、なかなかお互い知らない相手といきなりオンラインとか、重なった。 過去を振り返ると、2ちゃんねるで顔も知らない人と話してた時代を思い出す。 全然荒れることもない、平和な洋楽の話ができる環境だった。 周りに、洋楽好きな人もいなかったし、なかなかアーティストの来日情報とか得るツールがなかったので重宝した。 また、文字オンリーで、顔も知らない人とコミュニケーションは成立してた。 そしてめったにないけ

          2ちゃんねるに助けられてた時代

          花束みたいな恋をした

          ※ネタバレ注意 「花束みたいな恋をした」という映画を以前観て。 好きでパンフレットを買ってしまった。 世の中、様々な恋愛があって、付き合うまでいかないとか、途中で別れてしまったカップルもいる。 「そのような恋愛も運命であることは変わりない」と称賛している映画に思えた。 それにしても、ドラマとか映画見るたびに、マスクをしてる生活の自分と、スクリーンの中のマスクをしていない登場人物と、どうしてこんな違う世界に生きてるだろうと思わざるおえない。 どちらが本当の世界なんだろう。

          花束みたいな恋をした

          風の歌を聴け

          休日は朝早く起きてバードウォッチングにいってきた。 電車も車も使わない場所へ。 風が揺れる音と、鳥の歌と、葉っぱからこぼれ落ちる光と。 なんて幸せなんだろうと思った。 ちょっとした贅沢は、まるでお菓子の国にきたみたいに、わくわくする。

          風の歌を聴け