GOTCHA!考察(今更)

n番煎じであることを恐れるな。真に忌むべきは、世に出ないことだ。



という言い訳を前提に、もう既に誰かが考察しているであろうポケモンスペシャルMV「Gotcha!」について、とあることに思い至ったので、試運転も兼ねて初投稿です。

興味のない方、ネタバレが苦手な方はトンボルターン推奨です。











本MVのオリジナル主人公として男女一人ずつ描かれているが、これはそれぞれポケモンというコンテンツにどう向き合ったかを描いたものではないかと考えた。

きっかけとなったのは冒頭の4枚の写真による回想シーンの男の子側。描かれている4枚は順に


幼少期:生まれて間もない頃。ポケモンも写っていない(=まだ初代発売前?)

保育園:ピカチュウとの出会い。無邪気な笑顔で接する男の子と仏頂面なピカチュウの対比が印象的。

小学校:勉強中にノートの上で寛いでしまうピカチュウに対し邪魔そうな顔をする男の子。

中学校:おそらく卒業式の写真。頭に乗り相変わらず邪魔な位置にいるピカチュウを無視してカメラに向けてポーズしている。


この写真のシーンの後、青年にまで成長した現在の男の子が写るのだが、まるでピカチュウが見えていないかのようなシカトっぷりだった。

注目すべきは小学校と中学校の写真であり、この2枚は「勉強のためにポケモンは卒業した」ということを表してるのではないだろうか。
そう考えると、もう一人の主人公である女の子との対比やこの後のシーンでのそれぞれの描写についても見方が変わってくる。

まず女の子について。こちらは4枚の写真すべてにおいて笑顔のイーブイが写り、対する女の子も嬉しい時も悲しい時も傍にいてくれたイーブイへの愛情がこれでもかと伝わってくる。これは所謂「キャラ愛が強いタイプ」のユーザーを描いているのではないだろうか。そして彼女は成長しても変わらずにイーブイ(ポケモンというコンテンツ)を愛していた。

大人になる前にポケモンを卒業した男の子と、大人になってもポケモンを好きでい続けた女の子。これはそのまんま、現実のユーザーによく見られる傾向を描いているのだと思われる。

(言うまでもないが、あくまで傾向である。すべての男の子・女の子がポケモンについてこうである、という話では一切ない)

というのも、この考えに至った時に個人的なとある経験を思い出したのだ。

まだ自分が大学生だった頃、塾の時間講師のアルバイトをしていた際に個別指導で受け持っていた生徒の一人とゲームの話になった。
その時のポケモンの最新作は確かXYであり、中学生だったその子にポケモンをやっているか聞いたところ「やってない。ポケモンは子供がやるものだから」と返ってきた。それだけでもなかなか凄まじいジェネレーションギャップというか価値観の相違というものに襲われたものだが、なんとそのあと「ていうか、DSなんて小学生がやるものだよ」と続いたものだからゲーム好きの身としては未知との遭遇レベルに衝撃だった。
(そのあと「じゃあ中学生は何やるの?」と聞いたら「PSP(当時モンハンが流行っていた)」と返ってきたので、何かしらの形で大人ぶりたいお年頃なだけなのだなと気付いたのだが。あの子は今頃どうしてるだろうか、もう名前も覚えてないけど←)

閑話休題。男の子と女の子、それぞれの「ポケモンとの付き合い方」を描いた次に、歴代のジムリーダーや四天王、島キング・クイーンが登場し古参ファンであればある程ついそちらに目がいってしまうシーンに移るのだが、ここで注目したいのはMV主人公、特に女の子の方だ。ここの描写については既に様々な人が「このシーンは歴代の中ボスを描くことで主人公にも人生において様々な困難が襲ってくること(その過酷さはイーブイが受けている仕打ちを見れば明らか)を描いている。ポケモンと冒険するゲームなのだから」という解釈を述べており、もちろんそれも充分納得のいくものだと思う。

が、このシーンはよく見ると「苦難の道を歩んでいるのは女の子の方だけで、男の子は比較的に大したことも起きていない」という違いに気付く。たらいが顔面に直撃するのは大したことじゃないのかという議論はさておき。

ここで前述の「女の子はキャラ愛が強いタイプではないか」という推測を当てはめたとき、ここのシーンはおそらく「自分の好きなキャラで戦いたい派のユーザー」を描いているのではないか、という解釈に思い至った。そう考えると後半で女の子の「座り込みからの『あーもう!』って言わんばかりに駆け去る(嫌になる?)」という行為が、まさに自分のお気に入りが環境トップの強ポケモンにズタボロにされて苦悩する様と重なって見えなくもない。(それでも終始あの笑顔で耐え続けるあのイーブイ健気過ぎて泣ける……)

この後、歴代の伝説・準伝説や悪役のボス(の影)、歴代チャンピオンやライバル達が登場するシーンとなり、古参からのファンであればあるほど滾る演出が素晴らしいのは言うまでもないのだが、最後にシロガネ山での決戦の場面から再び男の子と女の子のシーンに戻る。
ここのシーンで、何故か背景の影にカイオーガとグラードンが映っている。というのも、伝説ポケモンの影はこれより前のシーンで既に出ているのに、この2匹だけ別枠で映っている。しかも、この2匹と対を為すレックウザは映っていない。
初見の時は単にオメガルビー・アルファサファイアを表しているのだろう程度にしか思っていなかったのだが、ある人が「このシーンで青色の丸い光と赤い色の丸い光が映っており、これがそれぞれ藍色の玉と紅色の玉を表現しているのではないか」という解釈をしているのを見てピンときた。

オメガルビー・アルファサファイアでのカイオーガおよびグラードンは、レックウザを含めたメガ進化ポケモンと違い、「ゲンシカイキ」と明確に区別されている。そのキーとなるアイテムが藍色の玉および紅色の玉なのだ。

ゲンシカイキ→原始回帰……つまり、「初心に帰る」ということを表しているのではないだろうか。

そう考えると、原点にして頂点と言われるトレーナー・レッドの帽子の飛ぶ行き先や、このすぐ後のシーンでガラルっぽい文字が光った方向へ駆け出しているのが女の子の方――ずっとポケモンを好きで居続けた方だということにも納得がいく。
そして、最新作でのチャンピオンであるダンデの帽子は男の子の方に飛んでいくのだが、これはソード・シールドにおけるポケモンバトルがスポーツに近い扱いになっていることから、子供の頃の純粋にポケモンという娯楽を楽しんでいた気持ちを思い出したことを表現しているのではないだろうか。だからこそ、女の子と対面したときにようやくピカチュウの姿を再認識できたのだろう。

(ちなみに、このシーンよりも前にイーブイは見えていることについてだが、これは「子供の頃に卒業はしたが、ポケモンというコンテンツ自体は認識している」ということだと解釈すると納得できるのではなかろうか。そう考えると、再会時にピカチュウを見て「あー!おまえ何処行ってたんだよ!?」と言ってるような口や顔の動き方をしているのがなんだか微笑ましい。ずっと側にいたんだよなぁ……)

この後の歴代博士と歴代御三家が「画面に映っている」ということから、この男の子と女の子が現実のポケモン(元)ユーザーを表現していたことが裏付けられる。そしてお互いに持っていた(飛んできた)帽子を交換――思えば「トレード」もポケモンの重要な要素の一つである――し、再び長い道のりを歩きだす。初代主人公の帽子は、かつてポケモンが好きだったことを思い出した男の子に。ガラルチャンピオンの帽子は、これからもポケモンを好きで居続けるであろう女の子に。その傍らには、あのころと同じパートナーがいる。背景にサブウェイマスターやバトルシャトレーゼなどが映っていることから、多くの人が解釈したように「冒険はこれからも続いていく」というメッセージが描かれているのだろう。

……ここで終わるかと思いきや、最後にミュウが現れての終了となる。ここの「ミュウの登場」については軽く流している人がほとんどだったのだが、上記のような妄想に至るまでの情報が詰め込まれたこのMVに、無意味なサービスカットが存在するとは考えにくい。そこで「ミュウの公式設定」について考えてみると、あのシーンは開発陣からのメッセージが込められているのではないかという可能性に思い至った。

ミュウは図鑑説明の中で「全てのポケモンの遺伝子を持つ」とされている。ここから「ポケモンというコンテンツは、すべてのユーザーの想いを受け継いでいる」ということを表現しているのではないだろうか。そしてその想いは、これからもずっと受け継がれ続けるのだ、と。

以上が、Gotcha!に対する自分の考察である。上記はあくまで自分の個人的な考えであり、これが正解であるなどと主張するものではない。
公式からの明言がないので、もしかしたら当たっているかもしれないし、全然見当違いな解釈をしているかもしれないが、「そういう幻覚が見えたんだろうな」と軽く流してもらえるとこちらとしても気楽である。ここまで書いた後にピクシブ百科事典のGotcha!のページ見たら割と既出で被ってる解釈が多くて全消ししようかと思ったが、冒頭の言い訳を前提に置いてから書いたので、恥と知りながらも投稿しておくこととする。


n番煎じであることを恐れるな。真に忌むべきは、世に出ないことだ。


それはさておき、この程度の字数ならもう少し早く書けるようになりたい……。

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