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イタロ・カルヴィーノ、米川良夫・訳『見えない都市』

ずいぶんむかしに読んだ本を再読。

高校生のときかな。モグが図書室から借りて読んでいたのを、彼女が読み終えると同時に私が借りて読んだんだ。柳瀬尚紀さんが巻末の解説で「確かブルーを基調としたデザインで、地球か気球のような球体と、確か刳り抜かれた円形の穴…」と書かれていた、その本だ。

私が手にとったときはすでに相当古びていた。モグによると、書架の下のほうにあって、本の天にはうっすら埃が積もっていたらしい。高校図書室の配架でのイタリア文学の扱いなんて、たぶんどこでもそんなものだったと思う。

当時の私は宮沢賢治に夢中で、全集を隅っこからかたっぱしに読んでいたけど、モグがずいぶん眉根を寄せて読んでいたから、私も気になって読んでみたというところだった。

案の定、私にはさっぱりわからなかった。
筋らしい筋もなく、マルコ・ポーロが語る奇妙な(あまりに観念的過ぎて視覚的なイメージも抱きにくい)都市の報告を延々と読まされる。その報告には人間らしい共感や情緒が感じられず(死者が住まう都市アデルマの話は例外か)、挿入されるポーロとフビライの会話もなんだかあまりに作り物めいていて、そもそもこの本がいったい何について書かれたものなのか、文学と言えるものなのかもよくわからなかった。私もモグと同じく、最初から最後まで眉根を寄せたままなんとなく読了した。

でも、それで完全に私の脳から消え去ってしまったわけでもない。「フビライ汗は一冊の地図帖をもっており…」、この「地図帖」という語に「アトラス」とルビがふってあった。かっこよかった。中二病がうずいてそこだけはノートに書き抜いたりした。

宮沢賢治熱が冷めはじめると、私はラテン語圏の幻想文学を好んで読むようになったけれど、ラテン文学圏の人たちって「一冊の本のなかに世界の全体が書き込まれている」というイメージが大層好きなんだなと、この本を想いながらあとになって気がついたりした。ボルヘスの著作すべてしかり。また、私にとってはガルシア=マルケス『百年の孤独』もそういう本だ。この種の「アトラス」に私が最初に触れたのが、『見えない都市』だったってわけ(いまでは、ラテン・カトリック文化のなかで『聖書』こそが、世界最初の「アトラス」だったことくらいは私だって知っている)。

こんなふうに文庫本が出版されている現在、母校の図書室のあの本も、とっくのむかしに除籍され廃棄されていると思う。モグと私が眉根を寄せて、よくわからないまま読んだあの本は、ポーロの報告のように、フビライが心のどこかで感じてしまう大元帝国が退嬰していく気配のように、もうこの世にないだろう。



カルヴィーノが試みたのは、都市の定義というか、都市を構成している観念的な諸要素をできるだけ細かく分解して、それらを任意に組み合わせ、純粋なのに何かが決定的に足りない奇妙な都市を紙のうえに築く試みだったろう。訳者あとがきでも示唆されているように、その作業は数学的だ。

この本が幻想文学であるというのは正しい。
幻想文学は、過剰でありながらなにかが不足している文学だと私は思っている。この55もの都市についての報告は、なにも大事なものを伝えない。「ただこのような試みが為された」という記録だ。そこにそれとない寓意が込められているようでもあるが、寓意というのは過剰さの産物で幻想文学にはつきものだ。むしろこの作品のもっとも大事なことは、「ただこのような試みが為された」という文学の(書物の)ありようそのものにある。

ポーロとフビライの記録/記憶をめぐる堂々巡りの会話は、この豊かでむなしい行為をめぐる話であったような気がする。そして同時に、単なる試みの記録のなかにひっそり挿入された以下の引用部分だけは、幻想文学者であり寓話作家カルヴィーノ自身の、心からの独白であるような気がする。高校生の頃には読み飛ばしてしまっていた記憶について書かれたこの部分、いまの私は、深く同意する。

ポーロは答えて――「どの都市のお話を申し上げるときにも、私は何かしらヴェネツィアのことを申し上げておるのでございます。」
「朕が他の都市について訊ねておるときには、朕が聞きたいのはその都市の話である。」
「他の都市の長所を知るためには、言外には明らかにされぬ最初の都市から出発しなければなりません。私にとっては、それはヴェネツィアでございます。」
「それならばそちの旅の話はいつもそもそもの出発から始めて、あるがままのヴェネツィアの様子を、残らず、そちが思い出すことを何一つ省略することなしに描かなくてはならないぞ。」
湖水はかすかに小波を立てていた、ふるい宋代の王宮の青銅の照り返しが、湖水に浮く木の葉のように燦めく光となってゆれ砕けていた。
「思い出のなかの姿というものは、一たび言葉によって定着されるや、消えてなくなるものでございます」と、ポーロは言った。「恐らく、ヴェネツィアを、もしもお話申し上げますならば、一遍に失うことになるのを私は恐れているのでございましょう。それとも、他の都市のことを申し上げながら、私はすでに少しずつ、故国の都市を失っているのかもしれません。」

イタロ・カルヴィーノ、米川良夫・訳『見えない都市』(河出文庫) pp.112-113


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