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歪み

女の話ばかりしていたので、そろそろ自分の話をしよう。あまり自分語りは好きではないが、何処かに記録しないと自分のことを忘れてしまうから、ここに記そう。自分、いや僕は記憶力が悪いのだ。あらゆることから逃げるのが癖になっていて、色々な出来事を忘れるのが習慣になってしまった。だから、いつ過去を聞かれても困らないようにするため、ここで少しばかり昔話を始める。

僕は人を笑わせるのが好きだ。それは昔から今まで、ずっと変わらないことなので覚えている。多分、これからもそうだろう。僕は誰かを笑わせようと、もがきながら生き続け、そして死んでいくのだ。なぜ好きなのかという理由は、よくわからない。気づいたらそうだった。恐らく、これが僕のレゾンデートルなのだろう。存在理由であり宿命だ。

しかし残念ながら、僕には人を笑わせるユーモアもなければ、技術や才能もない。おおよそ長所と呼べるものが何もないのだ。なんと悲しい人間だろうか。そのくせ、何かを得るため頑張ろうという気がない。やけに高い目標だけはある。そんな歪な人間もどきが僕なのだ。

僕は努力をするのが嫌いだ。これも昔から今まで、ずっと変わらないことなので覚えている。これは、未来でもそうだとはっきり言い切れる。努力するくらいなら、逃げ続けて苦しみながら死んだほうがマシである。なぜなら、努力は僕を裏切るからだ。いくら努力しても結果を残せなかった人生がソースだ。僕も元々はみんなと同じ人間だったはずなのに。

ここで僕は昔人間だったのか否かを論じてしまうと、これから述べたい話が出来なくなってしまうから、昔は人間だったと仮定しよう。どうか許してほしい。

当時人間だった僕は、どうしても人を笑わせたかった。クラスを笑いで満たしたかった。だが特出した何かを持っているわけではなかったため、いまいち結果を残せなかった。僕は考える。そして、たった一つの冴えたやり方を思いついた。

道化になるのだ。

馬鹿を演じて、無能を装い、阿呆を気取る。苦戦はしなかった。座学は頓珍漢な答えを言って、運動は真面目に取り組まない。休み時間は奇天烈な行動をする。それだけのことだ。実際、その作戦は成功し、僕は間抜け役としてクラスの舞台に上がれた。その時の僕は、幸せを噛み締めていた。

しかし現実は甘くなかった。どうして誰も道化にならなかったのか、僕は理解していなかったのだ。答えはシンプルで、道化を演じてしまったら、本物の道化になってしまうからだ。一度認められると、クラスでは常に道化を求められる。真面目に物事をとらえる暇さえないほどに。それが少しずつ、ほんの少しずつだが、人間を蝕んでいくのだ。思考回路はずっと異常になり、見ている景色は常に極彩色で、耳にはパレードが鳴り響く。そして気づいた時には、本物の道化になっている。間違った答えしか出せなくなるのだ。

それを知った時には、既に手遅れだった。僕は本気が出せなくなった。何かを頑張ろうと思えなくなった。今までできていたことができなくなった。そんな自分の状態に恐怖を覚えた。しかし、誰も助けてくれなかった。それもそうだろう。道化に手を差し伸べる人間なんていないのだから。

ただ笑ってくれるだけだったクラスメイトたちも、段々と過激になっていく。最初は些細なイジリからスタートし、いつの間にかコイツにはどんな事を言っても良い、という風潮が出来上がり、遠慮が消えていく。幸運なことに、いじめまでには発展しなかったが、毎日馬鹿にされ続けた。僕が欲しかった言葉はこんなのじゃない。けれど道化に成り果てた僕には、ただ笑うことしか出来なかった。

何も持ってなかったから、大事なものを捨てる。その選択が間違いだと気付けなかった。これが僕の中で最も大きな失敗だ。

さて、話を変えようか。明るい話題にしよう。

ある日、中学生の道化は、奇怪な現場に遭遇する。クラスの学級委員が授業中、突然嘔吐したのだ。吐いてしまった理由は聞いたはずだが、もう忘れた。

学級委員は吐瀉物まみれになりながら、混乱し、泣いてしまった。しかし、生徒は誰も近付かない。声すらかけない。普段あれだけ仲良くしていても、結局はその程度の友情なのだと、現実が知らせていた。その光景は、僕にとって心地の良いものだった。

僕は吐瀉物と学級委員を観察する。吐瀉物からは、学級委員が何を食べていたのか、という情報を得られた。なんだか、知ってはいけない秘密を知ってしまったようで、胸がドキドキした。次に学級委員。吐瀉物と涙でグシャグシャになった顔面は、とても醜かった。そこそこの顔が台無しになっていた。僕はその、変わり果てた姿を見て、確かな幸せと興奮を感じていた。君は美しい、と言いそうになった。

僕の性癖が歪んでいることを、明確に気付けたのはその時だった。

その前から、女子が牛乳を吐くところを見るのが好き、という隠れた趣味はあった。それは人を笑わせるのが好きだから、という理由からの趣味だと思っていた。でも本当は、自分より優れた人間が恥をかく、というシチュエーションが好きだったのだ。

僕は自分の歪みを正そうとはしなかった。むしろ受け入れた。やっと僕も特出した何かを得られたんだと、心から喜んだ。少しだけ、道化から人間に戻れた気がした。なぜなら、僕は大事なことを手に入れたのだから。

僕を馬鹿にし続けた人間が酷い目にあうと、心が晴れる。そのシンプルな理論が、僕の基礎を形成したのだ。

全ては、僕の失敗から始まったのである。

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