25年を振り返って
ごきげんよう、諸兄ならびに諸姉。今日はエロないよ。
自分は今年の3月29日、25歳になる。同い年は橋本環奈、齋藤飛鳥、電ボとかなり豪華だ。ゲームだとFF8が挙げられる。
コスモス、ファイズ、アバレンジャー、ナージャで世界を学び、ダイヤモンドパール、モンハン3rd、MGSPWで友情を育み、俺ガイル、とある、ニャル子で拗らせ、デレマス、FGO、プリコネで到達し、そして何者にもなれなかった現在に絶望している。
マシュ、クー子、コッコロ、俺はここだ、ここにいるんだ。世界から過去形にされそうなんだ、助けてくれ。
なんて言葉も、そろそろ冗談ではなく本気の様相を呈してきた。
SNSで同い年が楽しそうな人生をおくっている様子を、羨望と嫉妬と劣等感で狂いそうになりながら観察し、周りの声が聞こえないように大声で笑いながら、胸の奥にある大事な何かが腐り落ちていくのを感じる毎日だ。このまま身体まで腐敗してくれたら、どれだけ楽なのだろうかと思わざるを得ない。
そんな自分ができることは、せめて、他人に傷跡を残すことだけだ。肥大した自意識をぶつけて、強烈な被害妄想を突き刺す。諸君らが少しでも傷ついてくれることが、この世界を生きていた証になるのだから。
故に、今回は誇張と嘘にまみれた思い出話をしよう。いつものような明るい冗談の要素はないが、冷笑くらいはしてほしい。
ようやく本題に入るのだが、実を言うと、自分は最初から壊れていたわけではない。
人より劣っているので、リレーでは万年最下位だし、勉学では下から数えた方が早かったが、幼少期は真っ直ぐだった。周りに馴染んで、多数派に紛れ、角の立たない会話をして、問題が起こりそうならその場から去る。どこにでもいる事なかれ主義の少年だった。小学校の通信簿にも落ち着きのある子だと書かれていた。
思い出すと、中学生の頃から少しずつ狂っていったような気がする。
入学してすぐに、数学の教師とクラスメイトの数人に無視され続けた時期がある。自分の能力が足りていない結果からの扱いだと思っていたが、今振り返ると、アレはもしかしたらイジメだったのかもしれない。
まあイジメか否かはさておき、当時は宿題を提出しても未提出扱いになっていたので、中々に困っていた。親や担任に訴えても真面目に取り扱ってもらえない。よくある話である。
どうしようかと悩んだ結果、無視できない存在になれば良いと気づいた。そのために、クラスで一番の人気者を観察した。その一挙手一投足を見て、思考を予測し、そのアルゴリズムを導き出す。所詮同じ中学生の考えというのもあり、クラスを盛り上げる法則をモノにするのは、そこまで難しくはなかった。道化になる云々の話は過去のnoteで語った記憶があるので、今回は割愛させていただく。
そんなこんなで、クラスの中ではやや浮いた存在にはなったものの、無視はされなくなった。能力のない者の役割を理解し、こなしつづける。思春期の少年少女は一度思い込んだら、なかなか考えを改める事ができない。ある程度予想を外す行動をしても、向こうが勝手に都合の良い解釈をするので楽だ。
道化は簡単とは言い切れないが、難しくもない役割である。けれど、道化は道化以外にはなれない。
冗談の域を超えた侮辱を言われても、理不尽にイジメられているクラスメイトを見た時も、目の前で殴り合いの喧嘩が起きようとも、好きな女の子ができた時でも、いつも通り滑稽な言動をつづけた。道化の本質とは尽くす事だと誰かが言っていたが、全くその通りである。
そんなワンパターンで窮屈な学校生活に嫌気がさした時、通学路の途中にある公園でライトノベルを読んだりゲームをしてサボるのが、自分の幸せだった。高校生になると、そこにゲームセンターという選択肢が追加された。この時間がなかったら、今の自分はもう少しだけまともでつまらない人間になっていただろう。昔の自分に感謝したい。
思春期の人間というのは実に残酷な生き物で、一度下に見た相手は壊れるまで潰しても良いと思いこむ癖がある。
おはようと挨拶したらバカと返され、ごめんと謝ったらクズと罵られ、どうしてと質問したらゴミと言われる。
馬鹿になることしか学ばなかった自分は、高校でも同じ役割を遂行した。エスカレートした言動に慣れるまで随分と時間を要し、クラスに馴染んだ頃には高校を卒業していたので、あまり語ることがない。
別に、嫌な記憶のみだったわけではない。文化祭で本を出した時や、一緒に馬鹿なことをした時は、確かに楽しかった。けれど、それ以上に苦い思い出が多かっただけである。
周りの大人たちも必ず、お前だから仕方ないという扱いをしてきたあたり、教師というのは勝ち組が選ぶ職業なのだと身をもってわからされた。まあ、嫌な思い出のある場所で働きたい人間なぞ居ないので、当たり前ではあるが。
少し疲れたので、大学ではあまり人と関わらないようにした。良くも悪くも大学とは自由な場所で、5日程度だったら声を発さなくても全く問題なかった。楽ではあったが、本当に欲しかったものはもう手に入らないことを同時に気付かされた。高い入学金を払って学べたことは、これくらいである。
ちなみに、最も親睦を深めたのは教授である。次点は自分を魔除けとして使おうとした人間。
こうして振り返ってみると、なかなかロクでもない人生だった気がする。まあ、あくまで自分の視点からの話なので、実際はもう少し優しい人間が居たはずに違いない。知らんけど。
やはり人類は滅びるべき存在なのだろう。しかし自分には力や知識がないので諦めるしかない。
けれど、一人くらいは滅ぼしたい。
実は少し前、本気で人を殺そうとした事がある。それは衝動的なもので、計画性や確実性は皆無だし実際フィジカル不足で失敗に終わった。この件に関しては少々デリケートかつまだ解決していない問題なので、詳細は言わないし言いたくない。墓まで持っていく。
そんなこんなで一度失敗したので、次は計画を立てて他の人間を殺すことにした。
先ほども述べた通り、小説や漫画、アニメ、ゲームなどの娯楽のおかげで、自分は自分を壊さずにすんだ。学校から逃げ出した自分に、生きることを肯定してくれたのは、いつだって創作物だったのだ。
では、その逆も可能ではないだろうか。
だから自分は絶対に作家になろうと誓った。人を殺すために、哀しみの連鎖を生み出すために、こうやって無様に死に損ないながら、失敗を何度も繰り返し、夢のために反吐を吐く。今まで人々が築き上げてきたものを否定するために。
生きる希望なんてやらない。死ぬ勇気だけあげる。それが自分の創作のモットーである。
……なんて述べてみたが、なかなか上手く行かないのが現実である。そもそも、当たり前の話ではあるが、馬鹿が考えた物語で人は動かせない。
しかし、人間に不可能はないと本で読んだ事があるので、性懲りも無く新人賞に挑む日々なのであった。
いつか、人を殺すために。
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