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住人が不在の部屋に


住人がいない部屋で、風が窓の隙間からカーテンを寂しく揺らしている。空中の埃が夕陽の残光を浴びてダイヤモンドダストの螺旋を描く。家電が人間に聴こえないような周波数で曖昧な事柄を呟き合っている。

🍀電子レンジ

「僕は電子レンジになりたくて電子レンジになったわけじゃない。気がついたら電子レンジになっていたんだ。」

💠冷蔵庫

「僕も冷蔵庫になりたくて冷蔵庫になったわけじゃない。気がついたら冷蔵庫になっていた。電気を感じ続ける限り、腐敗に負けないよう食品を冷やし続けるのが使命らしい。」

🧼洗濯機

「僕も、いつの間にか夢遊病者のように洋服をぐるぐる回していた。僕自身が目が廻りそうになりながら。」

🍀電子レンジ

「もしも今頃、電子レンジでなかったら、どんな姿になって何をしていたんだろうな。…いつまで電子レンジを演じ続けるんだろう。」

💠冷蔵庫

「故障するまでだよ。それまでずっと。運良く?運悪く?修理されてしまえば、さらにその期間は延長する。」

🧼洗濯機

「故障以外に、家電軌道を脱出する方法はないのかな。」

🍀電子レンジ

「遠心力を利用するのも一つだけど予想外の目的地に着地する可能性がある。故障以外の蒸発方法が見つかったら教えるよ。ところで、僕らは僕らなりに大変だけど、住人さんも大変そうだよね。人間を演じるって簡単そうな響きだけど、僕らが想像もつかないような複雑な世界なんだろうな、それは。例えば釈迦は人間的孤独を超越した後に、何に直面してしまったんだろうな、菩提樹の下で。」

🧼洗濯機

「運次第だけど、菩提樹の下で忍耐強く瞑想していれば、ほんの少しだけ、その境地に近づくかもしれない…。今度、サンスクリット的解釈でトライしてみようかな。次の機会に?洗濯機以外になれたなら。

ところで人間も大変だけど、人間が「太陽」と呼んでいる生命体(?)もなかなかだよ。太陽は日々、照らす万物に絶対の孤独を悟られないように振る舞っているから。そうして太陽が抱えきれない月の哀しみが少しずつ天空から地上へ雫となって降り注ぐ。それを人間の言葉では雨というのかもしれない。太陽は宇宙的孤独と常に闘っているのさ。」

ガチャッ。

🍀電子レンジ&💠冷蔵庫 & 🧼洗濯機

「あ、今、住人さんが帰ってきたところだから、とりあえず各々、一旦、家電哲学を忘れて無に戻ろう。」

⌘ 住人

「ただいま。疲れたよ。気がついたら人間だった。…産まれる前の微かな記憶を辿ると、場所は広島、小さな妹と手を繋いで土手をゆっくりと歩いていたんだ。しかし次の瞬間、目が眩むほどの閃光を浴びた。世界から音という音が消えて、得体の知れない真空に突入した感覚がしたんだ。そうして、いつのまにか意識が宙に舞っていた。何かとんでもないことが起きたことだけは分かった。あの日以来、妹の姿を見ることはなかった。どこか別の世界で意識の続きを営んでいるのかもしれない。あの時は、もう人間に生まれ変わりたくない、何にも生まれ変わりたくない、と思ったよ。けれど、どんな計らいかは分からないが、今回も人間になってしまった。

もし、僕が購入しなければ、洗濯機も冷蔵庫も電子レンジも、他の選択肢を行使できるチャンスを持てていたのかもしれない。

洗濯機は洗濯機をしてくれてありがとう。
冷蔵庫は冷蔵庫をしてくれてありがとう。
電子レンジは電子レンジをしてくれてありがとう。

テレビもテレビをしてくれてありがとう。」

電子レンジと洗濯機と冷蔵庫は、かろうじて沈黙を貫いている。

一方、住人はテレビのコンセントを外し、早速、粗大ゴミとして出す手配を始めていた。

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