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タルコフスキー『ノスタルジア』4K修復版再映

先日渋谷で久しぶりにタルコフスキー『ノスタルジア』を観た。なんと、30数年ぶりくらいか。80年代半ばに今は亡き六本木のCINE VIVANTで観た記憶が。

高校時代映画に目覚め、よく大阪のSABホールで関西エキプドシネマ(岩波ホール系)の映画を観に行っていた。そこで彼の『鏡』を観たのが最初か。ベルイマンやアンゲロプロス、ルイ・マル、ロメール等をを知ったのもここでの上映。ヨーロッパ系の映画を観るきっかけにもなった。まるで小説を読むかのようにに映画(映像)を体験していた時代だ。系列の神保町の岩波ホールは既に閉館してしまった。

彼の卓抜した映像・編集技術やセンスは、今では世界中の無数のフォロワー達によって応用・洗練されているが、当時はかなり衝撃を持って迎え入れられた。『ノスタルジア』はその一連の作品群の完成型とも言える作品。

冒頭の車が入り込んでくるシーン。
教会で鳥が解き放たれるシーン。
ホテルの部屋での陰影と雨の音。
広場の温泉の湯気。
「狂人」ドメニコの部屋での廃墟と水。
ドメニコの演説と死。
ろうそくの火を守りながら温泉を歩行する旅行者の主人公(タルコフスキー)。
そして圧倒的なラストシーン。映画は円環の記憶のように閉じられてゆく。

深い望郷の念に捕らわれた亡命監督タルコフスキー自身の告白のような映画。

まるで静止画かと見紛うばかりの固定フレームと長回しの中、水と火、光と影を多用し、過去と現在の記憶を交錯させる幻影のような映像。そして声や水音や自然のすべての音も全てこの映画にとってはこれは音楽のように響く。暗闇で浸る映画館じゃないとなかなか堪能できない体験。同年代が多いのかなと思っていたら、意外と若い客層もいた。ショートムービー、ファストムービーに囲まれた現代の若者に、この夢のような「退屈で贅沢な時間」はどう映るのだろうか。


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