中間報告
こんばんは。
2023年12月14日 サークルクラッシュ同好会のアドベントカレンダーを担当するのは、わたくしLです!
2週間くらい前に京都大学の文化祭、所謂NFでサークルクラッシュ同好会に勧誘されまして、まだ何のイベントにも参加していない新参者なのです。
(↑12/13に例会に参加させていただいたので嘘になりました。謹んでお詫び申し上げておきますね!)
今日は私の半生(ある種のメンヘラの寿命は30歳であることが知られていますね)をピュアっピュアに、ダイジェストで!お送りします!
普段140字超過の文を書かない生物のため、どうぞ温かい目で。
じゃ、私はここらで。
殺したいほど
私にはきょうだいがいる。4,5歳年上の姉が。彼女のこだわりのせいで毎日のように家には怒号が鳴り響いていた。醜い暴力沙汰をただ茫然と眺めて無力感に浸っていた出来事も記憶に新しい。今でも銃刀法の大切さは刷り込まれて色褪せることのない教えとなっている。いつからか、私は彼女だけでなく親も恨むようになっていた。もちろんただ恨んでいただけではない。彼女と両親のことを深く深く、愛していたのだ。それでも家庭は鼎立と対立を繰り返す。幼少期にしては重いね。そんな家庭環境で育ったからか、彼女のような異常性を持った人間との交流もいつの間にか意識せずともできるようになっていた、感覚が麻痺していったのだ。
空で満たす
私は当時、私立の幼稚園に通っていた。それは一番楽しかった時期だった。クラスメイトのいじめっ子に暴言を吐かれたり、そのいじめっ子と私の友人が、私と遊ぶ権利を奪い合うために私の肉体で綱引きをしたり。私はそれをそこまで気にしておらず、園で飼っていたウサギをひたすら眺めたり、ピアノを弾いたり、気ままに過ごしていた。それでも最低限のコミュニケーション方法は家庭でスパルタ式に叩き込まれて知っていたから園児にはなぜか好かれたし、先生にも厚く信頼されていた。そのせいで演劇の主役やら、はじめの言葉やら、色々な雑用を押し付けられていた気がする。そんな出来事もあって、幼稚園ではよく私が「頑張り屋さん」であると言われていた。その呼称にふさわしくあるためにロールプレーしていた部分は大きい。例えそれがお世辞であったとて、自分の枷になっていたことは確かだ。こんなことを言っているが、私は模倣遊びができなかった。真面目に学べばできただろうが、その楽しさがわからなかった。正解のない答えに怖気付いていた。家庭の在り方がわからなかった。
可哀想。
読んでいてわかるように、私は所謂「早熟」だった。そのおかげで自分は早生まれであるが、能力面では他の人間と同等かそれ以上だったと思う。この時期の自己肯定感の育成はそれを全能感たらしめるほど過剰だった気がする。
絶対的な正しさ。
数年後、私は小学校に入学する。入学式後、良好に友達はできていた。そこでの1番の収穫は「天才」と一言で片付けるのが惜しいような友人に出会ったことだった。彼は親からの彼自身への投資と期待に押しつぶされていた、言語能力に秀でたメンヘラだった。彼とたわいもない話をしている時間がとても楽しかったのを覚えている。それと打って変わって、担任の言っていることにも合理性を求めた私は憧れだった学校に入学1週間で打ち砕かれた。安定の障害ムーヴである。でも、今思い返してもあれはまともな人間ではなかった。私の通った小学校にはまともだと思える人間は10人もいなかったのだ。まともの基準が高すぎることと、私の構築するコミュニティーが狭いことが主因だが、それでも学年の70人ほどとはいつでも話せるほどに関わっていたし、休み時間の過ごし方さえ他人と同じようにしていたし、学校の成績も8〜9割がた「たいへんよい」だったことを鑑みれば、不思議である。いや、この基準で自分の異常性を正当化していることから察せられる異常性は当然ある。理解しているつもりだよ。
こんな風に「自分が学校の異物である」という信念に苛まれながら学校に通い続けた私をどうか褒めてほしい。
こんな私にも現実は非情なもので、姉の中学受験が差し迫ってくる。それに伴って無論、家庭環境は悪化し、暴言と暴力が私の世界に常駐していく。私の大切なものが消えていく、物理的に破壊されていく。そして何より、私の対人関係において、他者に暴力を振るうという行為が選択肢に上がってきてしまう。今まで押さえつけてきた、普通の人なら選択肢にすら上がらないような加害性が私に植え付けられていくのを実感して、ここでただ発狂するのなら自殺したほうが良いのではないかと酷く悩んでいた、そんな病的な思考とともに小学校時代は幕を閉じた。
沈黙、嗚咽、罵倒
中学校に上がる。私は中学に小学校で見つけた天才とともに進学した。そこで私は新たな天才2人に出会った。1人は教育虐待を受けてきた典型的なメンヘラだった。その真っ直ぐに正しさを追いながら、それでいて自己矛盾に葛藤する姿に生を感じたのか、はたまた学校という閉鎖的な、試験の点数だけが絶対的評価となりうるコミュニティーにおいて、自己の価値基準を振りかざそうとする姿に憧れたのか、今となってはもうわからない。その彼女と私は共依存関係に陥っていき、それは彼女の自殺未遂にまで発展するのだが、その話はもっとこの出来事が風化してからにしよう。私はまだそれに見合う誠意を持ち合わせていないのだから。
もう1人の天才は言語化能力と共感能力に長けた人物だった。それは障害と化し、彼女の精神を蝕んでいたのだろう、あまり私は彼女に対して特定の個人の愚痴などを言わなかったことを覚えている。彼女は頼りになる真面目な人物であったが、他者との交流を苦手としていた。事実彼女の友人は私と同様に少なかった。しかし彼女の中には確固たる信念があるように思えた。私はその輪郭を辿るのが好きだった。彼女は私の関わった天才の中でも互いに一番に主張をぶつけ合った天才だった。こうして過去形で語っているけれど、この関係はありがたいことに現在でも続いているんだ。感謝しなきゃね。
未熟な懺悔
これら3人の天才の慈悲によって私は生かされていた。しかし、自分が人間と関わることによって発生しうる加害性は常に心の奥に居座っていたのだ。彼らと関わることでその原罪を強く意識し、それをもって自罰としていた側面は大いにある。それでも私はそんなことをしていないと、生きていけない。
分かり合えない
ここで私の半生は終わりか。これだけ強調すればもう君は僕の醜い部分を理解できただろう?
私が事故死するまでの後半も乞うご期待!
明日はExE_TxT_ExEさんです!お楽しみに。