ライン

前のエッセイでは、自分のコンピュータ依存を嘆いたが、
この線が消えたらエライコッチャ!と詠んだ歌が水甕の9月号に載ったのだった。
しかも、巻頭の銀鈴集欄のそれも1番目に。

ライフラインとか、アプリのラインとか、線の意味のラインとか盛り込んだのだけど、
読み返してみると、自分の四肢が見えない糸(線)で繋がれていること、
そして、そういう糸で雁字搦めの生活がディフォルトであること、
その線で自分の領域を囲っていることに気付く。
自分で自分を飼い慣らすとはこのことだろうなぁ。はぁ。


「ライン」 シンタニ優子  水甕2020年9月号掲載 

夏霞はり付く心地この部屋の窓いつぱいに開け放ちても

エアライン減便欠航未定なり 隔絶進む世界地図見る

点と点結ぶラインは切れ切れにやがて生き物のみの青空

また一人ライフラインの切断をニュースは語る餓死といふ字で

異国にて会誌を待てる愉しみを捥ぎ取る如しライン通知は