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2022年田中圭誕生祭によせて~もう一つの物語2~

Side1

街の喧騒など知らないかのように街角にその花屋はあった。バリの花屋の様な狭いのだけど花いっぱいの花屋だった。店内に入るとすぐそこの喧騒が別世界のように落ち着いた雰囲気があった。わたしはその花屋に寄るのが大好きだった。

店主は珍しく男性で、だからこそ花が本当に好きなんだなとわかる。お花のチョイスはどれもセンスがあって、もちろん普通のバラやカーネーションやカスミソウだったりもあるんだけど、その時々で名前も知らないけど素敵なお花が店内を彩るのだった。

店主は寡黙でいつも柔和な顔をしている。我が兄は175cmあるがそれよりも高いだろう。すらっとしているのだけどその胸板は厚いのだった。花屋って力仕事だからかな?水の入った容器を持ち上げるんだもんな。わたしはそんなことをふと思った。時々座って作業しているときをみかけると唇にほくろがあるのに気が付きドキドキする。

花が好きな母の影響で私は花が好きだ。庭の花も飾るけど、時々花屋でも花を買うのだ。表向きは花目当てにみせかけているけれど、その店主の横画ををみるのが最近の本当の目的になりつつある。あまりしゃべらない彼のことが私は好きだった。もちろん向こうには視野にも入っていないし、永遠の持続可能な片恋なんだけれども。

そんな彼があるときいつもと違った面を見せたことがあった。

あれは雨の日だった。優しい春の雨を杏花雨というらしい。そんな杏花雨の日だった。

カランコロン。ドアを開けるとドアベルが鳴るようになっていてレトロな音色はまさに私好みだった。

先客がいた。その女の人はドアベルにも振り返らず、店主と話していた。結構大きな音なので初めてのお客さんは振り返ることもあるのになとおもって見つめてはっと気がついた。

その人の手が動いていた。

ああ、これが手話なんだと認識するのに一瞬間が開いた。

そしてその手話は店主に向けられていて、うなづきながら「聞いて」いる店主に驚愕した。えええ!手話がわかるの?まさに私はぽかんとしてしまった。その女の人は店主と「相談」の上、きれいな繊細な花びらのピンクのバラを買って出ていった。バラだけ数本のシンプルな花束だった。

店主は見送るときに左手の甲に右手を直角に当て、はねあげた。あれは。

「ありがとう」の手話だ。学校で手話の歌を覚えたときに習った気がする。

彼女をあんぐり見送って、それから思わず言ってしまった。「手話ができるんですか?すごーい!」すると店主は憂いをおびた微笑を浮かべ。「覚えてたのは昔だけどね。ある人のために覚えたんだ」

‹『ある人』という響きが、意味ありげで。次の瞬間すごい大切な人だったんだろうという事に気が付いた。もしかして昔付き合ってた人・・・?

「あるひと・・・?」と私が震えるような声でつぶやくと店主は目を伏せるようにして答えた、「いまはもういないけどね」。もう聞いていけない気がした。「そうなんですね、びっくりしました」「久々に使ったけど覚えてるもんだね」と手荒れがちなその手を彼はそっと見やった。

思わず私はその手を握った。長い長い指。「どこかいっちゃわない?ずっとここにいますよね?」店主は驚いた顔をしたけれど、やがてにっこり笑って「いかないよ」とふわっと笑った。

Side2

いくもんか。あいつとの思い出がここには残ってる。初めて会った日のこと、今でも鮮明に覚えている。勝気なあいつが聞こえないと分かった時の衝撃。

話したくて。気持ちを隠しながら、俺はあいつに尋ねたんだ。

「一番最初に覚えたほうがいい手話はなんだ?」

あいつはびっくりして俺を見上げたけど。そう、あいつは小柄だった。

「そうね・・・『ありがとう』かな。気持ちを伝えるって大事じゃない?」

意外な言葉だったけど。こうして一番最初に覚えたのは『ありがとう』だった。

目を見ながら話すという事が職業柄苦手だったけど、きちんと目を合わせること、いかに手をゆっくり上にあげるか、いかに表情に感情をのせるかで相手に伝わる感謝の度合いが変わるということを初めて知った。氷の様な心の俺には新鮮な思いだった。あいつと話していることで俺は感情を取り戻した気がする。そしてそれは向こうも同じだったはずだ。

『ありがとう』

世界でいちばんやさしい言葉。

米  米   米

「もしもし?聞いてますー?」

ハッとする。よく来てくれる女の子だ。よく花を買ってくれる。

いかんいかん物思いにふけってた。

「さっきの人と同じバラが欲しいです」

花好きなその常連さんは、さっきのお客さんのこと見てたんだな。あれはたしかにきれいなバラだった。

自宅用だという事で白い紙にそっとくるんで手渡す。

その時彼女がふっと笑った。

「お花をさばく手つきは早いのに、花を包むときはゆっくり丁寧でむしろ不器用?ってみえるんですよね」

本当は不器用なのがばれてグッとした。

次の瞬間。彼女はにっこり笑ってこう言った。手で。

「ありがとう」

はっとした。あいつかと思った。そういえば目の前のこの彼女も小柄だ。しかし、まだまだ子供だと思っていたその子は気が付いたら女の子から女性への階段を上ろうとしていた。はじめてそのことに気が付き、狼狽した。発すべき言葉が出なくなり代わりに自分も手をうごかしていた。

「ありがとう・・ございました」

カランコロン。常連の彼女がドアを開けて出て行っても俺は茫然としていた。そのとき一陣の風を感じた。

・・・もしかしてお前、かえってきたのか・・・?

止まっていた時が動き出したような、気がした。

                        FIN









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