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マイケル・ジャクソンのはなしをしよう③ 高くて低いMJの敷居 KING OF POP

先日本屋でジョン・レノンの偉人伝を見かけた。

ジョンが偉大なのはもちろんなのだが、偉人伝になっているというのは私にとってはいささか不思議な感覚だった。

伝記になるというのは素晴らしいことである。
ただ同時に、存在の真実味が薄れていくようにも感じる。
なんだか自分とは関係のない、とても遠い存在のように思えてしまう。

マイケルが亡くなって、今年で12年が経つ。

いまでも、私のようにある日突然マイケルにボディーブローを食らう人が無数にいる反面、世間の「マイケル・ジャクソン」という存在は徐々に薄れているのだろう。

マイケルがまだ存命だったころは、TVでもラジオでも、クラスメイトの物まねでも、ともかく形はなんであれ、彼の話題は尽きなかった。だから彼のファンでなくても彼の存在をリアルに認識できた。当時ファンでなかった私でも、2001年のInvincible発売当時、CD屋には彼のCDが並び、ラジオでは繰り返しYou Rock My Worldが流れていたのを覚えている。

そんな最中でさえ、わたしはマイケルのことを「なんかよくわからないけど敷居が高い歌手」だと思っていた。

死後12年が経った現在、キングだ。レジェンドだ。と評されている彼は、若い世代にとっては、きっとなんだか遠い存在のように思えるのかもしれない。限りなく「伝記の人」に近い存在なのではないだろうか。

もちろん、マイケルはキングであり、レジェンドだ。神かな?とすら思う。彼が音楽業界に残した功績は計り知れない。10年に1度の逸材とかそんなんじゃなくて、唯一無二なのだ。今後、彼のような人が現れるのかどうかすらわからない。

だけど 彼はなによりも ポップスター だ。

マイケルがキングなのはそれだけ多くの人に愛されたからなのだ。スリラーがいまだにのアルバムセールス、ダントツ一位なのも、みんながこぞってレコードを買ったからなのだと私は思う。

身構えて聞くようなものではなくて、すぐそばにある、身近な音楽だったからなのだと思う。

マイケルの音楽は素晴らしい。だけど、私のような非音楽インテリには技術的なことは、まったくわからない。それでもなお心地よく、心が求めてしまう。

真剣に聞くも良し。
パーティーのBGMにするも良し。
寝起きの景気づけにするも良し。
何気ないひと時を演出するも良し。
眠れない夜のお供にするも良し。

His music is next door.

KING OF POPという冠に身構えず、小難しいこともほっぽりだして、めちゃくちゃゆるい気持ちで軽率にマイケルのボディーブローを食らいに行ってほしい、と思う。

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