楽しいを具体化する方法 その1

<楽しいを具体化する方法 その1>


楽しいは楽しいだよ・・・

それ以上でもそれいかでもないと

先に進まない人と一緒にを考えていきます。

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私は私の人生をあきらめない vol.008
~自分の幸せは自分で決める~

人生の中で今日は一番若い!
をモットーに、

自分の人生を変化させていく方法を発信しています。

http://ameblo.jp/lilia-nalu/
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さて、昨日書いた

具体的に「理想の自分」を考える

について、

そうは言われても、じゃあどうすればいいんだ。

と思うのは当たり前なので、

実際に私がやったことをあげていきます。

3年前までの私は、

・子育てで失敗したくなかった

・子どものことは全て自分のせい

・本当は仕事ができるはずなのに子どものせいで能力が発揮できない

・旦那に理解ある妻である

・旦那の実家にいい嫁であると思ってもらう

・自分の両親に恩返しをしないといけない

・仕事場では率先して動かないといけない

・できなくてもできないと言ってはいけない

・努力すれば大抵のことはできる

・幼稚園のママ友と仲良くしなくてはいけない


挙げればきりがない。


この気持ち、

分かる人いませんか・・・?


**


まず、最初に再確認しておかなければ

ならないこと。


それは、

私はどうなりたかったのか。


むしろ、

自分はこうあるべきと

自分自身に向けて乱射し、

私は穴だらけになり、

どんどんこぼれ落ちていっていることに気づかなかった。


いい妻であること。

いい母であること。

いい嫁であること。

いい娘であること。

いい仕事人間であること。


これらにはすべて「都合の」いい。

という言葉がつく。


例えば

「子どもにとって都合がいい母」

「旦那にとって都合のいい妻」

「義実家にとって都合のいい嫁」

「両親にとって都合のいい娘」

これらは私が「勝手に」

相手がのぞんでいるであろうことを

「勝手に」自分が想像している

行動しているのである。


想像しているだけなので、

それがそれが噛み合わないときもあるし、

できていないと不機嫌になる

「めんどくさい」人になってしまう。

すなわち

「ありがた迷惑」というやつだ。

※ちなみに相手の理想と自分の理想が

奇跡的にもマッチすれば

「めちゃくちゃいい人」

になる場合があるが、

それはごく稀なのでここでは

考えません。

具体化すると、

私の考える「いい妻」「いい母」のイメージは

正しく自分の母親であった。


毎日掃除機をかけ、

毎日お弁当を作り、

子どもの園生活や学校生活には積極的に参加し、

旦那が忙しくても、帰りが遅くても、

特に何も文句は言わない。

同居している義父母にいじめられても、

それは仕方ないと受け入れる。


結婚した頃、私はそうでなければならないと思っていた。


朝早くに掃除機をかけ、

毎日お弁当を作る。

幸いにも私は同居ではなかったので、

その点は少し違う。


朝5時に起き、家事をして、

7時前に家を出る。

仕事が終わるのは、20時を過ぎ、

家に帰ると、22時になり、

そこから食事を作り、食べ、

残りの仕事をして、

1時頃に就寝する。


今考えたら、罰ゲーム以外の何物でもない。


だんだん、元気でなくなる私が

最初に手放したものは、

掃除だった。


「毎日掃除機をかけなくても死なない」


小さなアパートだったので、

ルンバを買うという選択肢もなく、

週末に掃除機をかければいい。

なんなら、家にいる時間も短いし、

そんなに汚れることはない。


確かに、毎日かければ気持ちいいし、綺麗だろう。

でも、それと同時に私の心が汚れていくなら、

手放してもいいと思った。


こういった問題を解決しようとすると、

どうしても

「〇〇しなければならない」教

という、いわば

「先入観」

が邪魔をする。

この「先入観」こそが、

まさに自分自身に「罰ゲーム」の4文字を

与えるのだ。

自分に非があるわけでもないのに、

自分自身に責め立てられる。

「できない」「やっていない」「疲れた」

こういったマイナスのフレーズが次々と

出てきて、やる気すら

なくなってしまう。

生まれたときからの環境こそ、

先入観を作り出し、致命傷となり得る。

これらを捨てることは

大変難しい。

言うならば、家族を捨てることにも等しい。


そんな時、次の条件にあてはめてみて欲しい。


(1)それをしないと困る人はいるか

(2)それをしないと怒る人はいるか

(3)それをしないと死ぬ人はいるか


大体の場合、


・でも〜

・だって〜


と出てきて、本当に誰がという人が出てこない。



実際のところ、それをしないと

・私ができない人と思われて困る。

・私ができてない人と思われないようにしようとしていたのにできずに怒る



人の考えを変えるのはとても大変なことだ。

どのくらい難しいかというと、

まるまる違う人になるくらい大変だ。



なので、

私以外の誰かが困るなら、

自分でやってもらおう。


私以外の誰かが怒るなら、

自分でやってもらおう。


私以外の誰かが死んでしまうなら、

自分でやってもらおう。


もし自分でできないなら、

私はお手伝いはしますよ。

というスタンスでいいのではないか。




もしここまで読んで、

・でも、そうは言っても

・だって、その人は



とか

逆説で押し通すことも可能である。


でも、変わりたいのであれば、

「自分の優先順位を考える」術である。



私の幸せは

掃除機をかけることによって生まれるか。

掃除機をかけて、部屋が綺麗であれば生まれるのか。

掃除機をかける時間をなんとか捻出したら生まれるのか。

私が無理やり掃除機をかけて疲れていても生まれるのか。


これを見て、もし違う!と思ったら

「今すぐやめよう!」

そう思おう。


私が掃除機をかけるのを頑張っても

私の幸せにはならない。



しかし、掃除機をかけるのを頑張っている人は

自分の中では「こんなに家族のために頑張っている」

ということにしかなっていないため、

自分の幸せ度は上がっていない。


私の幸せは

私が幸せになることなのである。


ではどうするのか。

予想外にかなり長くなってしまったので、


続きは次回に。

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