『ライオンのおやつ』を読んで
半年前くらい、
小川糸さんの『ライオンのおやつ』を読みました。
わたしはよく本を読みながら
頭の中で考えること広がる感情が止まらなくなって、
ぶわあぁぁとメモに残す時があります。
この時も読み進めるページに対してものすごい勢いで
メモをとっていた覚えがあります
読書記録として
noteに残しておこうと思います
ページ数でメモしていたりするので、
一緒に読みながら、見てもらえたらうれしいです
今ライオンのおやつを読んでいる。
一向にページが進まない。
作者小川糸さんの表現が美味しくて仕方がない。1ページずつ栞を挟んでおきたい文章が並んでいて、きっと読み終わった頃には、お腹がいっぱいで、その都度感じたことが心の押入れの奥の奥に押し込まれてしまって、取り出したくても大変になりそう。だから私はメモをしながら読み進めている。でもその度に思考が膨らんで膨らんで、自分の言葉を残す時間が必要で。
…もっとどんどん読みたいのに…!
だけどやっぱり、その時の自分の頭に浮かんだことを見ないふりして読み進めていくのが、少し勿体無い気がして、というより読み終わった時、自分自身で、この本の何がこんなに心を温めたり綺麗にしてくれたのかを上手く言葉で表せなくなってしまうのが勿体無くて。
ここに残そうと思う。
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この本を73ページまで読んだ。73/276ページ。
1/3も進んでない…?
小川糸さんの本は本屋さんで見かけることが多く、勧められたこともあったけど、この本が初めて読んだ本だった。
だから、はじめましてだけど、73ページ読んで、なんか分からないけど、小川糸さんの中の何かと、ちょっと仲良くなった気がしている。
よく行くお店で3回くらい顔を合わせてて、あ😮(いつもの人だ、!)ニコッ、ってするくらい…?別に喋らないけど、食べてるものは気になっちゃうくらい。
なんでって言われると、ここまでの小川糸さんの言葉を聞いて、会話を重ねた、みたいな感じなんだと思うけど、たぶん、わたしが親しみを感じているのは、距離の詰め方の感覚が心地良いんだと思う。
このお話では、マドンナと呼ばれる女性が登場する。
最初、その女性の、細い目(笑うともっと細くなるような)を、『優しく微笑んで三日月の形になっている。』と何回か三日月という表現で描いているが、気づいたら、"三日月アイ"の5文字になっていた。
ほわん、とちょっと嬉しくなった。鏡を見た訳ではないけど、口角も少し緩んでいたと思う。
さっき、本を読むことを"作者の言葉を聞いて、会話を重ねた"って書いたのだけれど、たぶんそれは私が作者の素敵な表現に、いちいち独り言のように反応する癖がそうさせているのだと思う。
作者の目で見たものをなんの言葉を使って表現するか、が好きで、面白くて、つい書き残してしまう。
(、、、!そんな表現、日常では普通できないぞ、、、?、、!)
一瞬時が止まる。表現を頭の中に思い浮かべて、(あぁ、私のあの時の感情はこれに似てたんだ)と、過去の自分ダイジェストが上映される時もある。
"手のひらで優しく揉みほぐした柔らかい風"、が吹いていたらしい。
美味しいお粥を食べた時の気持ちを、"食べれば食べるほど、お腹の底がぬくぬくする"と表現していた。
正月の百合根粥を食べながら、素敵な年越しを思い描けなかったのに、図らずも、夢のような年越しをし、新しい名前の書かれた匙を使っている、色んな幸せの感情を、主人公の雫は、お粥を食べながら、"幸福感が花火のように弾け飛ぶ"と感じたらしい。
大事な初恋の人の名前を呟くシスターが照れる様子を、"甘酸っぱい飴でも口に含んでいるみたいに、恥ずかしげに顔を両手で覆い隠した""箸が転がっても笑いが止まらない十代の女の子そのものだった"と見ていた。
小川糸さんの目に映る、人に、囲まれていた、光景が私の目の裏のスクリーンにプロジェクターのように投影され、幸せそうだな、と人の温かみを感じて、ほっこりした。小川糸さんの過去まで、感じて、ほっこりした。
言ってしまえば、勝手に想像して勝手にほっこりしているだけなんだけど、これも私の癖なんだと思う。だから、日記とか日々の記録とか考えたこと、みたいな文章が好きだったりする。その人が選ぶ言葉が私の癖(へき)に刺さると、胸の上をぎゅーーーーーっと掴まれた感じになる。
とりあえずこのあたりにしておこう…。
こういう、見た目には分からない、
言葉が好きな人の読み方とか感じ方を
私も知ってみたいなと、そう思います。
ˎˊ˗ Thank you for readingˎˊ˗
lila
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