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85→117 南紀乗るだけの旅



知らなかったことにする

西日本旅客鉄道(JR西日本)は2016年、「気軽に鉄道の旅を楽しめる観光列車を作る」と発表した。2015年に運転を終了した「トワイライトエクスプレス」が高級志向の長距離列車で、きっぷが取りづらかったことを意識した発想だろう。

3年過ぎて、具体的な概要が発表された。
列車名は「WEST EXPRESS 銀河」。新快速用車両として1980年に作られた117系電車を改造したという。

このニュースを見て、複雑な心境を抱いた。
私は寝台急行「銀河」を”愛用”していた。神戸はじめ関西方面からの帰途に最も都合のよい交通機関だった。とりわけA寝台は静かでゆったりしていて、まさに”穴場”。仕事に疲れてくると「そうだ、銀河乗ろう」と思い立ち、帰りにみどりの窓口に並ぶ。寝台券を手にする瞬間、ささやかな幸せをかみしめていた。

ベッドの上に荷物を置き、「ハイケンスのセレナーデ」に始まる放送を聞き、新大阪で下りホームに停車する国鉄色の特急「雷鳥」を見たら歯みがきして横になる。
目が覚めてカーテンを開けると夜明け前の相模湾。
顔を洗い、大船で真横に停車する静岡行き普通電車を見る。結構混雑している車内に新しい一日を感じる。
京浜急行の生麦や花月園前を横目に荷物をまとめ、多摩川橋梁を渡ると下車体勢を整え、品川駅5番ホームに降り立つ。
そんな”旅のリズム”を身体が覚えている。

まさかJRがこの列車をなくそうと考えているなど思いもよらなかったので、なくなる時は自分の身体の一部をもぎ取られた思いさえ湧き起こった。今でも旅行の計画を立てていて、「あー、銀河があれば…」とため息をつくことがある。「WEST EXPRESS 銀河」は関東方面には来ないはずで、その名前は正直勘弁してほしい、が第一印象だった。

117系電車にも思い入れがある。初乗車は1983年春、初めてのひとり旅で浜松から名古屋まで。まだ新しい高架駅3番ホームにピカピカの新車が入線してきた時の新鮮な驚きは忘れられない。東京近郊の電車よりはるかに高級感漂う内装と転換クロスシートにはため息が出るほどだった。その後関西の新快速で数えきれないほどお世話になった。2004年秋の「117系新快速さよなら運転」の時も乗車している。

それが観光列車に…月並みだが、時の流れを思った。

次いで運転計画が発表される。大阪-下関間の運転もあると聞いて、”山陽本線特急全盛時代”に間に合わなかった身として食指が動きかけたが…。

当面の間提携旅行会社のパックツアーのみ。旅行会社が指定する下関市内などのホテル宿泊とセット。それに大阪発着時刻も東京方面からアプローチするには微妙な設定。東京始発もしくは最終東京行きの新幹線と乗り継ぎできないので、大阪市内などでもう1泊しなければならない。それでも幾度か抽選に応募してみた。くじ運の悪さには定評のある(?)人生ゆえ、もちろん当選するはずはない。

これではe5489で申し込んで1号車1番スイートまでゲットできた「トワイライトエクスプレス」より、よほどハードルが高い。「どこが”気軽に楽しめる列車”かいな。」とツッコミを入れつつ、この列車については”最初から知らなかったこと”にしよう、と気持ちを整理した。

それから数年過ぎた2023年秋、「今は指定券を一般発売している」という情報を見かけた。e5489のサイトを見たら、確かにラインアップされている。2024年2月まで和歌山県の新宮から紀勢本線・阪和線経由で新大阪・京都へ向かう”紀南コース”で運転されるとのこと。

紀勢本線は1986年から1990年にかけて幾度か旅したが、その後30年以上ご無沙汰している。若い頃の旅の記憶は鮮烈で、それに上書きするのは自分自身に対して申し訳ないような気もしたが、せっかく空席があるのだから、一度試してみようと思い立った。調べてみたら東京を早朝に出ればアプローチ可能。乗車後はどこかで宿泊するのが常道だろうが、準備が面倒なので「1日中、ただ乗るだけの旅」にしてしまった。

悲しきWhite Harbour Café

2023年11月某日、東京6時15分発の新幹線に乗車。名古屋着7時50分。関西本線ホームに移ると特急「南紀1号」が真新しい車両で待っていた。

名古屋駅にて HC85系「南紀」(右)と中央線高蔵寺行き

JR東海が開発した「HC85系」という。HCはHybrid Carの略で、蓄電池を搭載した気動車とのこと。気動車ではあるが、「クモハ85」と電車流の記号がつけられている。

HC85系 行先表示(上)と車両番号

4両編成で、一番後ろの自由席に座る。十分余裕があった。内装はブラウン基調で明るすぎず暗すぎず、座席の座り心地もよい。新幹線より幅が狭いはずだが、新幹線よりゆとりある空間と感じる。全席コンセントつきはうれしい。

HC85系車内
あかねさすような座席
デッキには「アマビエ」の木彫りが飾られている

8時02分、名古屋を定刻発車。きれいにアレンジされた「アルプスの牧場」のチャイムが流れた。「アルプスの牧場」は国鉄気動車特急・急行車内放送チャイムで用いられていた曲。昔はゼンマイを巻くオルゴールで、エンジンがうなる中古いスピーカーごしに息も絶え絶えにかかり、旅の疲れを盛り上げていたが、さすがに新車、音質がとてもよい。

「アルプスの牧場」といえば、2021年に大滝詠一さんの代表作「A LONG VACATION」発表40周年を記念して発売されたCDボックスセットを思い出す。アルバム制作過程でレコーディングされた音源資料がたくさん収録されている。その中に「悲しきWhite Harbour Cafe」と題されたセッションがある。数十人のミュージシャンをスタジオに集めた”一発録音"で、大滝さんは演奏を始める前に各楽器の奏者を一巡して「それではよろしくお願いします」と声をかける。その間待っているミュージシャンは準備運動よろしく各自チューニングしたり適当に弾いたり。

よく聴くとピアノ奏者が「赤とんぼ」→「アルプスの牧場」→新幹線途中駅到着案内4点チャイム→「鉄道唱歌」と演奏しているではないか。この奏者さんも多分”お好き”だったのだろう。

このセッションは1980年4月25日に行われたとのこと。この時代、駅の発車メロディーや列車接近メロディーはまだ存在していないが、車内放送では既に音楽が使われていた。プロの音楽家としてしっかり聞いていたのだろう。「赤とんぼ」は車内放送というよりも、当時テレビでよく流れていた

「週刊新潮は、あした発売されまーす!」

のCMをふまえているのだろう、きっと。

「悲しきWhite Harbour Cafe」の本番演奏は同じフレーズを数度繰り返すだけで終わる。「A LONG VACATION」には収録されなかったが、大滝さんは後にこのセッションに基づいて「白い港」という曲を作っている。

ここまで書いて、ふと気づく。
大滝詠一さんのファン、いわゆる「ナイアガラー」と鉄道好きはほとんど重なっていない。大滝さんがやったことならばどんな細かいことでも見逃そうとしない熱心なファンが何十人といながら、これに気がついた人はまだいない模様。ヒットした1980年代には「ドライブでかけるカセットテープの定番のひとつ」とされていて、一般的には自動車のイメージのほうが強いのだろう。

元・天王寺局

雲の中から時折薄日が差す名古屋市内を後にして、近鉄名古屋線とともに木曽川、長良川、揖斐川の長い橋梁を渡る。車窓風景は1970年万国博オーストラリア館を移築した四日市市内の施設が解体されたこと以外、1980年代とほとんど変わっていない。

四日市を過ぎて伊勢鉄道に入る。9時00分津に到着、見覚えある駅ビルが出迎えた。案内表示以外ほぼ1980年代のままである。

遠目には視力検査記号のように見える「つ」

津からは紀勢本線。車内通路扉上の液晶パネルではエネルギーの流れが絶えず表示されている。私にはさっぱりわからない世界だが、加速や勾配区間走行など高い出力が必要な時は蓄電池からのアシストを受けて、ブレーキをかける際蓄電池にチャージするという理解でよいのだろうか。

(上)通常走行(中)蓄電池アシスト(下)蓄電池チャージ

走行音は完全に気動車。ハイブリッド鉄道車両は以前喜多方に行った際乗車したが、そちらは電車風の音だった。仕組みが異なるのだろうか。

紀勢本線三重県内は、JRでは東海だが元は天王寺鉄道管理局の管轄だった。ゆえに”中京風”と”関西風”が混然一体となったふんいきが漂う。それは時を隔ててもあまり変わらない。

三瀬谷を過ぎて、紀伊半島の深い山の中を駆け抜ける。昔の鉄道の本に「駅員が毎日掃除する際、寺院の石庭のように、ホームに縞模様を描いている」と紹介されていた大内山も、今はただの荒れた駅。こういうところに、ここ40年の人心変化が見て取れる。

列車は海に向かって駆け下りる。10時18分紀伊長島着。6分停車する。

紀伊長島駅にて

続いて尾鷲、10時45分着。この駅もほぼ昔のままのたたずまいだった。

1986年夏、初めて紀勢本線に乗った際、この駅で昼休みを取るかのように長時間停車した。当時の時刻表を見ると新宮10時00分発の亀山行き普通122列車で、尾鷲11時37分着。12時18分発車まで41分停車している。よく晴れてうだるような夏の日、赤い客車の扇風機にあたりながらホームをぼんやり見ていたら正午になり、「若者たち」のメロディーが静かに聞こえてきた。防災無線を使ったお昼のチャイムだったのだろう。今日は晩秋、曇り空。

尾鷲から先は長いトンネルと海辺の集落の繰り返し。あの時乗り合わせた、素足に草履履き、開襟シャツに黒ぶちメガネの大柄なおじいさんはもう亡くなっているはず、と不意に思う。何十年も前の体験がよみがえっては消えていく。まるで他人の記憶に触れているかのように。

熊野川を渡って和歌山県に入り、11時34分到着の新宮で下車。地下道へ続くスリバチ状の階段を見て、またひとつ記憶が目覚めた。かつては改札口脇に早朝から営業するそば屋があったが、既に閉じられている。

鮪のおいしいレストラン

隣のホームに停車している11時44分発紀伊田辺行き普通列車に乗り換える。ロングシート2両編成、まだ新しい車両。広々とした床面に目をみはったが、地元の学生や観光客グループが次々乗り込んで、賑やかになった。遠い昔の夏の朝、紀伊天満駅で眼前の蚊を叩きつぶし、手のひらを赤く染めた感触を思い起こしつつ海を眺める。どこかで血を吸ってきた帰りだったのだろう。12時04分着の那智で下車した。

この駅も案内表示以外は昔と寸分違わない。かつては急行停車駅だったが、今は無人駅に格下げされている。しかし駅前の熊野御坊南海バス停はきれいに整備されていて、新宮市中心部・紀伊勝浦・那智山と3方面の路線が集まる拠点となっている。本数も結構ある。晴れていたら那智の滝へ行こうかとも思ったが、バスの時刻が微妙に合わないし、曇り空なので今回はパスして、駅前の小さなレストランに入る。かつては駅前旅館だったのか、古い建物の1階を改装したお店である。

この店はマグロがとてもおいしいという。オーブン焼きをいただきたかったが、あいにくメニューから外されていた。マグロカツにしたが、タルタルソースがかけられている。私はタルタルソースが苦手なので、慎重にどかしながらいただく。(だからオーブン焼きを頼みたかったのに。)せっかく作ってくださったのに申し訳ない。しかし揚げたてあつあつのマグロはすばらしいおいしさ!以前、宮城県気仙沼市のレストランでいただいたメカジキカツカレーに匹敵する。漁師町で魚を食べる機会が巡るたび、魚の鮮度はいかに大切か、身をもって叩き込まれる思いがする。ごちそうさまでした。

お店の前には英文の看板が掲げられている。読んでみると

「ラーメンやうどんはありません。支払いは現金のみです。英語のメニューはありません。食べ物飲み物を持ち出さないでください。」

無茶を言う外国人観光客がさぞ多いのだろうと、同情を禁じ得なかった。

Indigo Train

那智から紀伊勝浦へ向かう普通列車はしばらく来ないので、那智駅12時39分発の熊野御坊南海バスに乗る。結構混雑していた。

10分ほどで那智勝浦町の中心街に入るが、見事なまでのシャッター通り。1980年代のまま潮騒に閉じ込められたかのよう。

那智駅前のレストランでは、注文方法に慣れていなかったこともあり、ライスを頼まなかった。紀伊勝浦には以前「さんま寿司」の駅弁があり、安くておいしかった記憶を持っているので、今回も当てにしていた。

が、駅構内には弁当屋らしきブースが見当たらない。販売ワゴンが出そうな気配もない。駅前を歩いてみたら、弁当製造も兼ねている食堂がそもそも閉まっていた。開いている店に入ったらおみやげ店で、海産物は干物や宅配便で送る家庭調理用の魚のみ。他は珍味瓶詰め、和菓子。

ここでは何も食べられないと悟った途端、ひときわ空腹を感じる。近くのコンビニエンスストアまで出向いて食料を確保した。

駅の隣に足湯ができていたが、バスタオルを持参してこなかったので眺めるだけに留めた。観光協会オフィスで乗車記念クリアファイルをいただく。

これ以上街歩きしても意味を見い出せなさそうなので、早めに改札を通り、ホームへ。旧天王寺鉄道管理局管内の主要駅は反転フラップ式(いわゆるパタパタ)列車案内表示機を多く備え付けていて、紀伊勝浦にもあったが、今はLEDに取り替えられている。

「銀河」はあくまで”急行”であってほしい

「特急銀河」はどうしても落ち着かない。手元の指定券には「特急券 銀河紀南クシェット・昼」と記されている。到着時刻が近づくと家族連れなど数名がホームにやってきた。近くの踏切警報器が鳴り、「WEST EXPRESS 銀河」が姿を現す。濃い藍色で、Blue TrainならぬIndigo Trainだった。

WEST EXPRESS 銀河と対面

13時30分、紀伊勝浦定刻発車。今までどこにいたのか、地元観光協会の人たちが横断幕を持ちつつ手を振っていた。117系の懐かしい音を立てながら加速していった。

あの船を思い出す

「WEST EXPRESS銀河」は117系6両編成。車両設備は下記写真参照。

「WEST EXPRESS 銀河」編成案内

夜行運転を主眼としていて、「明星」「彗星」と、かつての寝台特急にちなんだ名称のコーナーが設けられている。サロンスペース「遊星」は「You Say」との掛詞を意識したらしい。新幹線開業前、東海道線東京-大阪・神戸間寝台急行全盛期に使われていた列車愛称は他に「月光」「金星」「あかつき」「すばる」がある。「すばる」は1963年10月に増発された寝台急行で、翌年10月新幹線が開業するまで1年間の運転だった。交通業界では自動車のイメージが強いせいか、「すばる」のみ後年復活する機会はなかったので、この列車で使ってあげてもよいと思う。

いろいろな設備の車両を作っているが、6両編成ではやや欲張りすぎの感もする。グリーン車は1号車にまとめて個室として、5号車・6号車をクシェットで統一すれば、いくらかはきっぷを取りやすくなるのではなかろうか。

指定された席を探して、まず荷物を置く。往年の客車2段式B寝台と同じ形状。1スペースの中に2段ベッドが向い合せに設置されている。上段へは梯子で上る。

「WEST EXPRESS 銀河」クシェット(下段)
「WEST EXPRESS 銀河」クシェット(上段)

客車B寝台では梯子が窓際に設置されていて、左右2つの上段共用だったが、この列車ではベッドごとに梯子がある。

客車B寝台上段通路側には結構広い荷物収納スペースがあったが、この列車には相当する設備がない。もともと寝台を置く前提の設計ではなく、天井が低いためだろう。下段に座ると結構低く、足を投げ出す形となる。床からの距離も客車寝台に比べて余裕に乏しい。

カーテンは白く薄いレースのみ。昼間の座席としてはこれで十分だが、夜行寝台として使う場合は外から透けて見えてしまうはずで、治安が気にかかる。

中が透けて見えてしまうカーテン
照明は右下の星型ツマミで調節。コンセントもある

座席記号はAとBが下段、CとDが上段。紀勢本線で運転される場合、B席が和歌山方面の進行向き下段で、窓際にも寄れるので、座席として最も良好なポジションとなる。通常の座席列車でB席は通路側なので、予約する際幾度も確認した。

インテリアカラーはグリーンと薄いブラウンを基本としている。どこかで見たような。ジャンボフェリー「あおい」と似通っている。

関東方面に来ることなく、西日本電化区間のみの運転ならば、フェリーとも競合になる。外から覗かれることのないバストイレつき完全個室、広々としたロビースペース、本格的レストラン、展望テラス、足湯…近年登場したフェリーの設備を思い浮かべると、この列車はいささか旗色が悪くなる。運転できる区間は山陽本線、伯備線・山陰本線、紀勢本線にほぼ限られることも勘案すれば、「WSET EXPRESS 銀河」よりも「WEST EXPRESSしおじ」として、海辺を走る昼行中心の列車と位置づけるほうがよろしいのではないかと、ふと感じた。「しおじ」はかつて山陽本線で運転されていたL特急の名称で、その面においても急行に由来する「銀河」よりふさわしい。

通路端やデッキは円形を多くあしらったデザイン。

通路端には鏡のような金属板で矢印が作られている
5号車デッキ

紀伊勝浦の次は静かな入江の淵にある湯川。新宮行き普通列車と行き違い待ち合わせのため運転停車する。

なかなかに名乗らざるこそゆかしかれ 
ゆかし潟とぞ呼ばま呼ばまし

と、この地を愛した佐藤春夫氏が詠んだ短歌から名付けられた”ゆかし潟”が近い。

湯川駅にて(1990年8月)

1990年夏に訪れた際、列車を待つ間入江を滑る真っ赤な水上オートバイに見とれていた思い出があるが、今回はコンビニで買ったおにぎりを食べるのに夢中で、駅の様子を見逃した。上記の歌は今も時折思い出すので、不覚を取った。13時38分、普通列車と同時に出発。

おにぎりをいただきながら海を眺める

13時45分太地発、再び海岸沿いを走る。海が近づくと和歌山大学の学生が紹介アナウンスを入れる。私にとっては懐かしい風景が続く。

4号車の「遊星」スペースを覗く。中央部に円形クッションつきの大きなベンチがあり、記念撮影用顔はめパネルが用意されている。カウンターでは”熊野マルシェ”と称した物品販売が行われている。クジラの缶詰とソーセージを購入した。おまけとしてアロマオイルと、パンダ車両をあしらったマスクケースをつけてくれた。

クジラ肉は戦後日本人にとって身近な栄養源で、ある面復興を支えてきたが、今や地域の特産品。「竜田揚げ」という言葉を小学校のクジラ肉給食で初めて覚えた経験も既に昔語り。今思えばクジラ竜田揚げにパンと牛乳はすごい取り合わせだけど。帰宅後ソーセージを炒めると懐かしい味がした。

熊野マルシェでは特製コロッケバーガーも販売していた。これは「おでかけネット」のHPに掲載されていない。事前に情報をつかんでいればコンビニおにぎりをひとつ減らしてこちらを購入したところで、惜しい。交通費以外はなるべく節約したい。

紀伊田原で約10分運転停車、後発の「くろしお26号」通過待ちを行う。パンダをあしらった白い車両がヌッと現れ、消えていった。

14時23分発の古座(こざ)を過ぎると橋杭岩が近づいてきた。30年以上過ぎても変わらない車窓だが、今後は南海トラフ地震の発生が予想されていて、いつ大きく変わってしまうやもしれない。

瑠璃色の想い出

14時31分串本着。15時07分まで36分間停車する。駅舎では地元特産品の販売が行われているらしい。
ここのホームもほとんど昔と変わらない。今にも客車普通列車が機関車に牽かれてやってきそうである。列車の脇で記念撮影する若いカップルに、運転士が制帽を貸し出していた。

串本駅にて (上)1986年8月 普通126列車 (下)2023年11月
串本駅にて (上)1986年8月 (下)2023年11月
特別急行彗星です 車両の性能上都城までは参りません

1986年夏の夜明け前、私はこの駅から潮岬まで歩いた。どんどん明るくなっていく空の下歩みを早め、たどり着いた時目の前に広がったまぶしい海の思い出は、自分の記憶が機能する限り永遠である。

その頃「瑠璃色の地球」という楽曲が話題になっていた。今では合唱曲にアレンジされて広く歌われている。私としては格調が高すぎてかえってピンと来ない作品だが、

朝陽が水平線から
光の矢を放ち

の一節を耳にすると、たまにこの時を思い出す。その頃は東海道・山陽本線のエースだった117系が紀勢本線に来て、観光列車に改造される未来が来るなど夢にも思っていなかった。

15時07分串本発。雲が次第に薄くなり、日が差してきた。
海が見渡せる和深で運転停車した。客車列車の窓を開け、潮騒に耳を傾けた感触を想う。ここで新宮行き特急「くろしお11号」と行き違い。海がきらめきを見せ始めた。できたらホームに降りて深呼吸したい。

…客車列車で初めてこの駅に来た頃、私の近くにはとんでもなく凶暴な人間がいて、毎日怯えていた。今ならばパワハラ、セクハラで告発可能かもしれないレベル。たまに行ける旅がどれほど救いになっただろうか。

小さい頃からほとんどをいじめや親の怒声、辛い人間関係の中で過ごしてきた人生、よくここまで生きてこられた、ようやく穏やかな時を得ることができたと、しみじみ思いを馳せたい。

秋は、夕暮

和深付近

和深からしばらくは紀勢本線一番の見どころ。海を見下ろすように進んでいく。沖合には大きな船が浮かんでいる。

15時46分周参見着、18分停車。ここは駅舎が改装されて、すさみ町観光協会が入っているらしい。”銀河オリジナルブレンドコーヒー”が販売されているとかで、ホームは購入する人たちで賑わっていたが、私は日本茶派なので買わない。「銀河」の名はここで使ってほしくないという意識も働く。私は無言で往時に思いを巡らせた。

周参見駅にて 126列車新宮行き(1986年8月)

この先はしばらく海から離れる。久しぶりに本格的な市街地が見えてきて、16時26分白浜着。昔から有名な観光地だが、近年は”パンダの町”で、何から何までパンダ推し。

紀伊新庄の列車行き違い運転停車を経て、16時48分紀伊田辺着。中辺路の入口として古くから栄えた町で、熊野詣での皇族方も度々通過している。客車列車はここで機関車の付け替えを行い、長時間停車していた。

冠婚葬祭の帰りなのか、黒いスーツを着た年配の人が改札駅員と何やら話す姿が目に入った。発車するとその人が私のいるクシェットにやってきてびっくり。「Dというのはどこだ?」とご下問があり、「この上のベッドですよ」と答えると驚いていた。たまたまこの列車が来る時間に駅に来て、「すぐ乗れるのはないか」と駅員に聞いて、空いている席を発券してもらったと見受けられる。今どきこの時間帯に”寝台車”が走っているなど想定外だったのだろう。和歌山まで行くそうで、車掌に事情を話して、フリースペースに座っていた模様。

紀伊田辺からは複線になり、行き違い停車の必要がなくなる。海に沈む夕陽をガソリンスタンド越しに見かけた。

「エポック芳養SS」らしい

「万葉集」の和歌

岩代の浜松が枝を引き結ぶ真幸くあらばまた還りみむ

で知られ、「大鏡」や「枕草子」に”千里の浜”として記され、近年は谷山浩子さんの詞にも登場する岩代と切目の間はあかね雲と海を見下ろしながら進む。秋は、夕暮。夕日のさして、海の面いと近うなりたるに、車の、寝どころ(車両基地)へ行くとて、千里の浜など、走り急ぐさへ、あはれなり…と言うところか。複線区間でレールの質もよいのか、スピード感がまるで違う。

17時24分御坊発、一気にあたりが暗くなる。ベッドに横たわり、ひと眠りしていたら走行音が変わった。窓の外を見ると高架を走っている。海南駅が高架になっているとは!と驚くだけで、年齢を重ねた証拠になってしまう。

「空から日本を見てみよう」で和歌山県を取り上げた回では、海南市のスポンジ工場やフリースなどを作る繊維工場が紹介されていた。このあたりは日用品を生産するメーカーが多い。

18時02分海南着、20分停車。特急「くろしお28号」と待ち合わせる。

かつて夜明けの沼津で急行「銀河」常務車掌が
腕時計を見て発車合図を送った光景を思い出す

4号車「遊星」を覗いてみたら、熊野マルシェは既に店じまいしていた。明るい時間帯は談笑する人や外を撮影する人もいたが、もう誰もいない。

4号車「遊星」フリースペース

よく見たらテーブルには、それぞれ異なる大きさのマス目が刻まれている。碁、将棋、オセロ、チェスなどができるらしい、というが、揺れが大きい環境でどれほど楽しめるだろう。また、例えばオセロを持っていったらそこは先客でふさがれていて、チェス盤しか空いていないなどで、揉めたりしないだろうか。

チェス盤が刻まれているテーブル

夜行運転をするのならば「サンライズ瀬戸」のようにシャワールーム…と言いたいところだが、もともと近郊用車両ゆえ設備がつけられないのだろう。

18時33分和歌山着。終点京都(20時53分着)まで乗車しても東京行きの新幹線に接続できるが、東京に着いた後帰宅するまでの乗り継ぎを勘案して、ここで下車する。後続の「くろしお32号」に乗れば阪和線内でこの列車を追い抜き、新大阪に30分早く着く。551蓬莱の豚まんを買って帰りたい。

和歌山駅は通勤通学帰りとみられる人たちが大勢行き交っていて、珍しい列車に視線を向ける人や、スマートフォンで写真を撮る人もみられた。この駅も私の記憶にある通りで、良いのだかよろしくないのだか。

最後に1号車ファーストシートを覗く。新快速時代「かぶりつき」だった運転台後ろはラウンジになっていた。木星を思わせるブラウンのストライプが印象的な内装だった。

1号車ラウンジ
木星風ストライプ

「旅を楽しんでもらおう」とするJRの心意気はこの列車からよく伝わってきた。乗ってみたらそれなりに楽しく、懐かしい車窓に十分満足できた。首都圏や東北のJR在来線を思えば贅沢は言っていられない。しかし、全体的にどこか中途半端感が漂う。今後山陽本線で運転される機会があっても、きっぷを取りたいと思うかどうかは、正直微妙なところである。















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