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忘れがたきうどん店(11) 山下うどん<香川県坂出市>



フラッグシップ・バイアス

香川県の讃岐うどん店を評価する個人ブログがある。
筆者さんは県内の400店以上を訪れ、実際に食して、麺・だし・天ぷら各3点満点、計9点満点で評価をつけている。合計4点以上を合格基準として、対象のお店について訪問記事を載せている。

あくまで個人の主観と断っているが、大手サイトのように忖度があったり、もしくはGoogleクチコミのように納得がいかない対応を受けた店に対する不満のはけ口にされたりとかはなく、かなり信頼できる情報とみなせる。私が実際に行って「おいしい!」と感じ、このnoteでも紹介したお店の評価が高い、逆に「うーん、微妙かも?」と正直思った店がランク圏外(合計3点以下)とされている、などを発見するたびに胸をなでおろしている。2005年発行のガイド本「まっぷるポケット 高松・琴平&さぬきうどん」(昭文社)や、JAL機内誌「SKYWARD」で紹介されている店のうちいくつかはばっさりランク外としていて、本気度が窺える。

筆者さんは評価に際してバイアスがかかっていることを自覚していらっしゃる。それでもなお、丁寧に見ていくと「あら?」と首を傾げる記事に行きあたる。

ひとつは釜あげうどんに定評があるお店。
私はまだ行っていないが、いつも行列ができていて、お店の人の接客もとても丁寧で感じがよいという。どこのグルメサイトを見ても悪い評価がほとんどない。おそらく本当においしくて好感が持てるお店なのだろう。

このお店は釜あげに特化していて、サイドメニューはおにぎりやお寿司のみ。天ぷらは出していない。お店のホームページに明記されている。なのにブログでは存在しないはずの天ぷらに3点満点をつけていて、総合9点満点でSランクとしている。筆者さんの採点基準を厳格に適用すれば麺3点、だし3点で計6点、B++ランク止まりになるはずである。おそらく意識から外れてしまっているのだろう。

もうひとつは山奥にあるお店。ロケーションの意外性ゆえか、県外からの観光客にも人気という。しかし数年前に、長年店を切り盛りしていた店主が引退して息子夫婦が後を継ぐと、子供連れのお客さんにも平気で怒鳴るなど雰囲気が悪くなり、味も低下していったという。やがて若店主が不祥事を起こして、讃岐うどん愛好者の間に衝撃が走った。Googleでは失望のコメントにあふれている。

それでもブログでは9点満点のSランクにしている。このお店でも天ぷらは出していないのでB++ランクが上限のはずであるが。

この2店は「讃岐うどんの旗艦店」的な位置づけになっている。冷静に評価しているはずのブログ筆者さんが自らの評価基準を度外視して、手放しでSランク扱いにしているのは「旗艦店のサービスがよろしくないはずはない、そうであってほしい」という無意識のバイアス、”フラッグシップ・バイアス”が潜んでいるがゆえではないだろうか。正式な心理学用語ではなく、私が作った言葉である。

他県の話となるが、2023年の春にある老舗温泉旅館で定められた衛生管理が行われておらず、社長以下スタッフの衛生に対する認識が著しく不足していると明るみに出た。「不潔!ありえない!」というコメントにあふれる中、「こういう時だからこそ支えてあげたい」という地元の人の談話が報じられた。すると「そうやって甘やかすから田舎はダメなのだ。お客さんの健康や命に関わる事態とわかっていない。廃業一択。」と辛らつなコメントが早速飛んできた。この件も「あの温泉はわが町の誇り。不祥事など起こすはずがない。」というフラッグシップ・バイアスで説明できるだろう。

前置きが長くなった。
フラッグシップ・バイアスが潜在意識に巣食っていると、副作用としてそれ以外の評価が必要以上に厳しくなる現象が起きる。今回紹介する坂出市加茂町にある「山下うどん」も、割りを食っているように思える。前述のブログでは総合5点でB+ランク。他のブログでも「近隣のがもううどんが臨時にお休みしたり、売切れたりしている時にお勧め」と補欠扱い。地元の人の肥えた舌には訴求しきれていないのかもしれないが、私はもう少し評価してあげたいと思う。

リアル・レトロ

香川県には「山下うどん」を名乗る店が2つある。もうひとつの山下うどんは善通寺市にあり、ぶっかけうどんの元祖として人気がある。従って「坂出の山下うどん」とはっきり言わないと通じない。2023年6月下旬、「サンライズ瀬戸」の寝台券が取れたので行ってみた。

坂出の山下うどんは1959年創業。坂出市東部を流れる綾川の岸辺にある。公共交通機関利用の場合は予讃線の讃岐府中駅から約1km、鴨川駅から約1.7km。徒歩でそれぞれ15分、25分見ておけばよいだろう。前述した通り、がもううどんにも近い。

外観はまるで町工場。

良く言えば素朴

川のほうから入っていくと、店外のテーブル席の背後を通る格好となる。ボクシングのサンドバッグが吊るしてある。お店の人の趣味だろうか。

店外テーブル席
篆書体の一枚板看板が印象的

開店は8時30分。後述するが「サンライズ瀬戸」を降りてから寄り道したので、到着した時には既に4人ほど店外に並んでいた。それゆえ写真に撮り損ねたが、入口扉の脇には「郵便局集配職員休息所」の札が掲げられている。近隣の郵便局で昼食休憩推薦店とされていたのだろう。地元にしっかり根を下ろす店とうかがえる。入口の反対側には広々としたスペースがあり、薪が積まれていた。

店内に入ると目の前に大きな釜。

山下うどんの心臓部

お湯と麺が直接触れる釜自体は数年おきに新調しているそうだが、薪をくべるレンガの台座や脇の水色タイル貼り水槽は開店当時からのものと思われる。今は右のステンレス流しを使っている。

まさに”リアル・レトロ”。
レトロブームと言われるようになって久しいが、今の時代を生きる人が好むレトロは、清潔感優先で再現された「レトロもどき」がほとんどである。本物のレトロが醸し出す経年変化の味わいは好き嫌いが大きく分かれるだろう。

使われている食器はいかにも1960年代風

お店の人が釜の前まで来ると口頭で麺の種類を注文する。かけうどん(温・冷)、釜あげうどん(温)、ざるうどん(冷)。それぞれ1玉~3玉を選べる。私の前には近所住まいだろうか、持ち帰りの麺を大量に頼んでいる人がいて、若干待たされた。地元の人にとってはスーパーマーケットのお惣菜と同じような感覚だろう。顔なじみが現れるとつい話し込んでしまうのは”田舎あるある”にカウントされる。

注文を受けて、お店の人が麺を丼に入れて渡してくれる。右に動き、お好みのトッピングを選ぶ。スタッフ最年長のおばあさんが作る芝海老のかき揚げが一番人気だが、それ以外の天ぷら、おあげ、コロッケと種類が豊富である。

トッピングコーナー 右端が芝海老のかき揚げ

さらに右に動くとかけだしと薬味のコーナー。だしは自分ですくう。暑い季節なので冷たいだしが用意されている。氷で涼しげに冷やされていた。暑くない季節に行った人のレポート写真によれば温かいだし鍋だけが置かれている模様。

冷たいかけだし。
右には温かいかけだしがホテルバイキングのような鍋に入れられている

冷かけうどん・芝海老かき揚げ

この日はかけうどん冷の小(1玉)と芝海老かき揚げ、かにかま天を注文した。セルフでかけるだしが臨場感を盛り上げる。

麺の艶やかさ、かき揚げの大きさが印象的

店内には8人がけテーブル×2、カウンター席があり20人ほど座れる。席に余裕はあったが、あえて店外のテーブル席でいただいた。

庭の灯篭を眺めつついただく

さぬきうどんとしては細いほうだろうか。特にコシが強いというほどでもなかったが、エッジはしっかりと立っていた。やさしい味わいのうどんである。

だしの冷たさがうれしい

だしの色はさぬきうどんとしては濃いめで関東風に近いが、イリコでしっかりと取られている。香川県に来ていると実感できる。かくこそありしか往時のさぬきうどん、といった趣の一品。芝海老のかき揚げはパリパリで食べごたえ十分。私はとても気に入った。ごちそうさまでした。

店主さんはお店のブログでさぬきうどん本来の特徴について詳しく記している。近年の人気店ファンの人たちも一度目を通しておいて損はないだろう。芝海老かき揚げを作るおばあさんも、あと何年店頭に立てるだろうか。今のうちに行ってみてほしいお店である。

新しくスマートな人気店も大いに結構だが、昔ながらを忠実に守るお店にも適度に脚光があたってほしいと思う。

お会計は自己申告

食べ終わると店内に戻り、食器を返却してお会計。
スタッフに食べたもの(麺の種類、取ったトッピング)を伝える。スタッフはそろばんで計算して価格を伝え、その額を支払う。昔ながらの手法であるが、お客さんに対する信頼というか性善説が前提となっている。その一方でPayPay支払いにも対応している。過去と未来が出会う場でもあった。

この日いただいたメニューは660円。支払いを済ませて改めて店内を見回すと、実に様々なものが飾られている。来店した著名人サイン色紙は20枚以上。店を取り上げる新聞記事も額に入れられている。

瀬戸大橋開通時の写真(上)と
特急雷鳥(大阪-富山・新潟)のカレンダー(下)

ティーサーバーには「うどんタクシー」ステッカーが貼られている。You Tubeチャンネルの取材に来たらしい。

「さぬきの夢」は香川県で開発された次世代小麦品種

店を出ようとした時ふと気配がして振り向くと、結構リアルなお人形さんが椅子に腰かけていた。

人形が見ている

桃太郎踏切

最後に、坂出山下うどん来店前の寄り道について記す。
「サンライズ瀬戸」を下車して向かった先は「鬼無」(きなし)。高松市の西端に位置する町である。

鬼無とは「鬼がいない」という意味。桃太郎が鬼を退治して、鬼がいなくなったことを記念する地名という。

あれ?桃太郎って岡山(吉備)のお話では?

他都道府県民の多くは当然疑問を持つだろう。実は讃岐にも桃太郎伝説が存在する。今の高松市の沖合、ジャンボフェリーのデッキからも見える女木島が鬼の本拠で、しばしば四国本島に来ては荒らし、作物を強奪していった。それを退治した若武者が桃太郎という。

町のはずれには「桃太郎神社」があり、桃太郎とおじいさんおばあさんの墓が祀られている。近くを流れる川はおばあさんが洗濯に使っていた川とされている。退治された鬼がリベンジを目論見に来た際、桃太郎が返り討ちにして、犠牲になった鬼を供養する塚まである。

鬼無桃太郎神社の縁起由来。左には顔はめ記念パネルも用意されている
桃太郎ここに眠る 近くには犬・猿・雉の塚もある

鬼無駅の近くには「桃太郎踏切」がある。車からの見通しがあまりよくないので踏切の入口には高さ制限を示すゼブラ模様のアーチが取り付けられているが、そこにも桃太郎。

桃太郎踏切 結構車が頻繁に行き交う

乗車した「サンライズ瀬戸」は高松で折り返して琴平まで延長運転される日に当たっていて、桃太郎踏切で待っているとひと晩乗ってきた車両がやってきた。

桃太郎踏切の高松方で予讃線から分岐するJR貨物の高松貨物ターミナル駅では「四国桃太郎貨物駅」と記した桃の絵つきの看板が掲げられている。

ここまで徹底していて、岡山の人に怒られないだろうかとにわかに心配になってきた。JR貨物も悪ノリ気味かも。同社ではEF210形電気機関車に”桃太郎”の愛称をつけていて、首都圏の駅でも時折桃太郎の絵が描かれた機関車の通過を見かけるが、その愛称は最初の配属が岡山機関区であったことに由来するのだから。

鬼無の町をひと通り歩いて、山下うどんに向かうべく讃岐府中まで乗ろうとしたら、事前に調べていた列車は土休日運休で、この日は運転していなかった。


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