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海を眺める
ときどき無性に海をみたくなる。
とても使い古された言葉かもしれないが、海を眺めていると
心が洗われるようなそんな気になる。
曾祖父も祖父も漁師であった。
父も晩年は小型の船を買って趣味で船釣りをしていた。
実家のすぐ目の前に海があった私にとって
恰好の遊び場であった。
学生のころは毎年夏休みに海に潜り貝を獲ったりタコを獲ったり
クラゲに刺されたりアブに追われたりした。
夏祭りには海から打ちあがる花火を友達と眺めたり
親戚のおじさんにサーフィンに連れて行ってもらって上下が分からないほど
波に巻かれたりもした。
楽しい思い出が沢山あった。
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父が亡くなる数年前、船に乗せてもらって鯛を釣った。
引っ張ってもなかなかエンジンが掛からないおんぼろの小型船ながら
ちょっと沖で釣りをするには十分なものであった。
ただ他の船が作り出す波に大きく揺られてしまい
沈没するのではないかと内心ドキドキしていた。
小ぶりの鯛を二匹釣った。
漁師の家系ながら魚が食べられない私は
ほとんど釣りをしたことがなかった。
なんとか生きようと精一杯針を外そうとする必死の抵抗を
左手に感じながらこちらも一生懸命に糸を巻き取った。
釣り上げた手応えは日常ではなかなか感じることのできない
ような喜びがあった。
父が趣味にしていた理由が少しわかったような気がした。
父との最後の思い出だった。
![](https://assets.st-note.com/img/1691306840042-1G13jUTyYe.jpg?width=1200)
海を眺めていると心が洗われるようなそんな気になる。
私はこれからも海に浮かべた思い出たちを探しに足を運ぶことだろう。
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