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「こっちの感情、察してよ」状態の危うさ

今日、ある事件の記事を
読んでいるとき、
容疑者さんの経緯で、
すごく気になる部分がありました。
(何の事件かは伏せます)

なんというか、
アンバランスな感覚での
出来事の積み重ねが、
犯行にも繋がっていたのかも
という気がしたのです。

それは
単刀直入に言ってしまうと、
「私の感情、言わなくても行動で察してよ」
という感覚が、
異常に強かったのでは、
ということです。

★経緯の一部を抜粋

容疑者さんの簡単な経歴に、
こんな部分がありました。

「不満に対する抗議を表明するために、職場を無断欠勤。その後、退職」

ありそうな内容、と
感じるでしょうか?
無断欠勤くらいなら、
実はしたことある……
という方もいらっしゃる
かもしれませんね。

ただ、私が気になったのは、
この記載が、
ひとつではなかったことです。
少なくとも4回。
そして犯行の理由もが、
「抗議を表明するため」
だったこと、です。

★抗議を表明する、のは悪いのか?


抗議を表明するのは悪いのか?
と聞かれれば、
私は「No」と答えます。

じゃあ、
なぜ気になったのか?

「悪感情を表明する」ために、
言葉ではなく、行動で示す「べき」

という強い観念がある
のを感じたからです。

★テレパシーがないのなら、言葉は大事

地球の人間で、テレパシーがある方は
少ないようです。

だからこそ、
自分の気持ちを伝えるためには
何らかの「表現」が
大事になりますよね。

その表現の表れは、大きく3つに分かれます。

1,言語化する(思考して表現)
2,感情を発散する(感じて表現)
3,行動で示す(体で表現)

の、3つです。

ただ、単純な感情ならともかく、
複雑な感情は、
2,3,の表現をすると
誤解が生まれやすくなります。


たとえば、

相手のことは好きだけど、
その人の〇〇な部分は受け入れがたい。
今まさに、その部分を見せられて、
腹が立ってしまった。

という感情が、
あなたにあるとしたら?

2の表現では、
「モヤモヤする」「イライラする」
となるかもしれません。

3の表現では、
むすっと黙りこくる、とか
足音やドアを閉める音が荒くなる、
とか。
暴力的な行動に出る方も
いらっしゃるかもしれません。

では、これらの表現で、
相手にあなたの真意は
伝わるでしょうか?

お分かりの通り、
難しいですよね。

だからこそ、
相手に伝えるためには
1,思考して伝わるように表現する
ということが
大事なのです。


★2,3の表現を、ついしてしまう心理


質問です。
2,3の行動ばかりしていたら、
どうなると思いますか?

あなたは、
すぐに想像できたと思います。

感情だけ、行動だけの
表現をしていると、
どうなるのか。

それは、誤解ですよね。

本当は大事に思っている相手にも、
誤解を与えてしまいます。
誤解は、できるなら避けたいものです。


でも、
ここまでなら
誰にでも経験のあること
ではないでしょうか?

虫の居所が悪くて、
つい八つ当たりしてしまった。
ドアを思い切りバタン!と閉めたり
足音をワザを荒くしたりしちゃった。

本当はそんなことないのに、
傷つく言い方をされたせいで、
売り言葉に買い言葉、
「あんたなんかキライ」なんて
つい言ってしまった。

後になってから
すごく反省してしまうのに、
つい余計な一言を言ってしまう。

あなたはどうですか?
私は昔、こんなことを
してしまってましたよ。

さて、
こんな行動をしてしまうのは、
なぜだと思いますか?


それは、
「言わなくても分かってほしい」
と思っているから、です。
基本的には、大元の理由はそれです。

人は誰しも、
愛する人と、心から
分かり合い愛し合いたい

という本能を持っています。

そのため、
言葉にするより先に
理解してほしくなってしまう
のです。
テレパシーがないのに、です。

難しいことですよね。
でも、ついつい起こりがちで、
誰でも1度は
したことがあるはずです。

「自分は生まれてから一度もしたことない!」
という方は、手を挙げて下さい。

……いらっしゃらないですよね?
だって、子どもの頃は
絶対にこの道を通るんですから(笑)


そう、子ども時代は、
必ずこの心理状態を通ります。

なぜなら、
赤ちゃんはお母さんと
色んな意味で繋がっていた

からです。

つまり、
子どもなら当然の心理
ということです。


★子どもなら当然の心理を、大人になっても捨てきれない理由


子どもなら当然、
と言いましたが、
大人になっても、私たちは
ついつい同じことをしがちです。

「分かってほしい」
が強くなりすぎる、
あるいは気づかない観念のせいで
「分かってくれて当然」
となることもあります。

さて、なぜ
こんなことが起きるのでしょうか?

理由はケースバイケースで、
全員が同じということは
あり得ません。

ただ、いくつか考えると、
こんなことが挙がるかもしれません。

A.その人に自分を100パーセント愛してほしいから、どんな自分でも受け入れてほしい。だからついつい、感情もぶつけてしまう。
B.言葉というものや、そもそも言語化がとにかく苦手。「伝わりやすい」言葉遣いができない。
C.相手の気持ちを推し量るのが不得手。
D.幼少期の養育者が、感情を爆発させる、あるいは「行動で機嫌を察しろ」という表現ばかりしていた。

あくまで例で、
他にもあるのですが、
目立つものを挙げてみました。

B,Cは個性や生まれ持ったものも
強く影響しますので、
ある程度仕方ないです。

「苦手だったけど後天的に身に着けていった」
という方は、
本当に頑張られたんだなあ、と
尊敬します。


Aは、愛情というものに
見えづらい観念が
しがみ付いている可能性があります。

中には、愛情を0か100、
白と黒で判断しがちな方も。

たとえば、
「あの人は〇〇してくれない、
だから私のことどうでもいいんだ」
……のように、
相手から100パーセントの愛を
引き出したくなりがち、ということです。

さて、もしかすると
一番多いのではないか?
というのが、
Dの「養育者がそうだった」というもの。

たとえば、養育者に
感情をぶつけられながら育った、
愛のある言葉をかけてもらえなかった、
など、色々あります。

Dの場合、
「それが当たり前」の
環境で育っているので、
成長して自分で気づかない限り
「当然」「日常」
「こういうもの」という
見えづらい思い込みを
背負っているのと同じなのです。

★思い込みに気づかないままだと


こういった「思い込み」に気づかず、
あるいは
気づかないフリをし続けると、
結局のところ
「自分は分かってもらえない」と
感じ続けることになります。

なぜなら、お分かりの通り、
「分かってもらう」ための表現を
身につけられていないからです。

「分かってもらいたい」と思いつつ、
「分かってもらう」表現をせずに、
「分かってもらえない」と不満を持つ。

そしてまた、その不満を
「分かってもらいたい」と思いつつ……

そういう循環が生まれてしまうのです。


そしてこれを続けていると、
自分で自分を生きづらくしているのに、
「どこかの誰かが悪い」と
人のせいにしてしまう癖まで
できあがってしまうのです。


★楽になりたいなら、思い込みに「まず気づく」


こういった人生を生きたい!
と望む方は、少ない
のではないでしょうか。

では、どうやったら、
もっと楽になるのか?
もっと幸せになる「表現」を
できるようになるのか?

それには、
なによりもまず第一に
「それに気づく」のが大事です。

そもそも、
「そういう思い込みがある」と
気づかなければ、
意識もできないのです。

自分が眼鏡をかけていることに
気づかなければ、
眼鏡をはずせないのと一緒。

怪我をしているのに、
どこが痛いのか分からないまま
痛がって泣いても、
手当することはできません。


どうやったら気づけるのか?

それは
「客観的に自分を見る」
ということです。

人の目線で自分がどう見えるのか
考えてもいいですし、
鳥や動物から見たときの視点を
想像してもいいでしょう。

「視点」を、自分の目ではなく
もっと外側に置いてみるのです。


具体的にいえば、こんな感じでしょうか。

お店で買い物をしようとしたら、
店員さんが横柄な態度で、
イライラした。

このとき、
「ムカつくな。そうだ、帰りに大声で文句言ってやれ」とか
「あんな奴に丁寧にすることないな、分からせるために仏頂面でいよう」
という反応をすれば、「察しろよ」的な表現です。
癖は自覚されないまま、どんどん「これが自分」となっていきます。

でも、その前に
「ああ、自分は店員さんの態度に腹を立てているな」と気づいてみる
すると「自分は横柄な態度をとられるとイライラしがちなんだ」と気づくかもしれない。
「そういえば昔、祖父が横柄で、すごく嫌いだったな」と気づくかもしれない。
ここまで気づけば、しめたものです。

★手放せたら最高だけど、気づくだけでもかなり違う

ここで気づいた事を
「ああ、もうこの価値観はいらないや」
と思ったら、捨ててもいいです。
ものすごく楽になるでしょう。

おすすめなのは、
「まあ、向こうにはこちらが見えない事情があるのかも」
などと、
相手の見えない部分を
想像してみる
ことです。

もしかすると、
直前のお客さんが
クレーマーだったのかもしれない。

店長にすごく怒られたあと
なのかもしれない。

朝、出かける時に
財布を落としたのかもしれない。

単なる妄想にすぎませんが、
そんなことを想像してみると、
案外「まあいいか」と
思えてくるものです。

「自分でもイライラしちゃうかもな」などと
同情の気持ちにすら
なるかもしれませんね。

もちろん、
すぐに切り替えたり
捨てられたりできなくても、
大丈夫です。

そもそも気づいただけで、
かなりの前進なのです。
「気づけて偉いわ」と
自分をほめてあげてください。


★簡単にまとめると

こんな感じで、
自分の感情を、
「感情的に」あるいは
説明もせず「行動のみ」で
表現する
ことの危うさが
お分かりいただけた
のではないでしょうか。

そしてそれを
「当たり前」にしていると、
とても生きづらくなることも。

感情が暴走してしまう、
あるいは
行動だけで表現してしまう、
という方は、
まずその癖を「自覚する」ことが大事。

自覚したら、
相手の「見えていない部分」を
想像してみること。
あるいは、
他の人や鳥の視線を
想像してみること。

★最後に、これだけは伝えたい

でもね、
もしこういうことが、
上手くできなかったとしても、
落ち込まなくていいんですよ。

だって、
生まれたときは、
皆そうだったんですから。
皆が通ってきた道なんですから。

それに、
「上手くできなかった」と
「気づける」のって、
ものすごいことなんですよ!

それにも気づけない方だって、
大勢いるのですから!

だから、
できても、
できなくても大丈夫。

ただ、
「もっと楽に自由に幸せになろう」
そうあなたが感じるのであれば、
私はそれだけで、
すごくすごく嬉しいです。

あなたが光のほうを
向いているだけで、
すごくすごく素敵です。

「幸せの方向」を、
見てくださってありがとう。
そう伝えたいです。

長くなりましたが、
最後までご覧いただき、
ありがとうございます!


どうぞサポートのお気持ちは、ご自分へのご褒美に使ってあげてください♡