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これって高次元のメッセージ?と気になったことがある、あなたへ

ガイドさんとか高次元の存在と話せるようになった💕」と言ってる方の話を聞いたんだけど、なんか、うーんって感じ。

こんなことを、人を介してお聞きすることが何度か続きました。直接ではないのがミソです(笑)

そういえば、以前にもこんな質問をされたことがあります。

「ハイヤーセルフの声が聴けるって方に、私のハイヤーセルフからのメッセージだって教えてもらったんですけど、(私がしようとしてることを)○○するな、△△するな、って辞めさせようとするばっかりで、違和感があって。これって本当にハイヤーセルフだと思います?

結論からいいますね。
「それ、ハイヤーセルフじゃないですよね(笑)」
と、その方にはお答えしました。

こんな感じで、
○○さんが、ガイドさんから聞いたって話してること、なんか『ん?』って違和感あって
とか
高次元とお話できるようになったけど、これで合ってるのかな?
とか。

今回は、そんな疑問に対して感じることを、書いてみようと思います😊



★高次元かどうか、の目安

・名乗らない

高次元というか、「大きな存在」になればなるほど、名乗りません。
特に、「私は○○の神である」のような名乗りはしません。

なぜかというと、大きな存在になればなるほど、深くなればなるほど、「我」が薄くなっていくからです。我欲、ともいいます。

「我が薄くなる」というのは、自分と他人の差に意味がないと分かっている状態、「自分にこだわらない状態」です。

なので、「名前」は意味がないのです。特に、神様名的なものは、誤解を与えやすいので、名乗らない場合が多いです。神様や精霊の固有名詞のようなものを自ら名乗ってくる存在は、「高次元的な大きさではない」存在だとハッキリ言えます。

(例・「私は○○のミコトである」「私は○○の竜神である」等)

ただし、あだ名とか通り名のようなものは遊び感覚で教えてくださいます。


↑以前くわしく書いた記事



・祀らせよう、敬わせようとしない、偉ぶらない

この理由も、上の項目と同じです。偉ぶる必要なんてないからです。

すべての存在は、等しく尊い。それは、人も生き物も植物も神も、すべて尊いということ。上下はないということです。

それなのに「私を祀れ。敬え」なんて、言う必要がないのです。


あなたにもあると思うんです、こんな体験。

いばりくさる人ほど、たいした器ではない。そういう人は「俺はえらい。敬え」と言うが、真摯に丁寧にしている人のほうが敬われ、尊敬されるものだ。

覚えがありますよね?
いますよね、そういう偉ぶる人。
「偉ぶって敬わせようとする人」と「誰にでも平等な人」、どちらの品格が素敵かは、考えるまでもないと思います。

だから、高次元存在が「私を敬え」と言うわけがないのです。
「すべての存在が等しく尊い」のだから、「私だけを敬え」と言う必要はないのです。


・命令しない

これ、けっこう勘違いしている方が多いです。高次元や、大きな存在になればなるほど、命令はしません。原則として、禁止もしません。

なぜだと思います?

それは、「私たちに経験を積ませたい」と思っているからです。私たちの自由意志を尊重し、自ら行動し気づくことを「見守って」くださっているからです。

なので、

私、○○の神様に、全国の神社を廻れって言われたの

等とおっしゃる方は、勘違いをしています。もし本当に「何者かにそう言われた」のだとしたら、変だと思ってください。命令とは、「相手を操ろう」としているということだからです。

想像してみてください。

  • 命令するだけで、こちらの自由意志を尊重しない親。

  • 命令はせず、ニコニコ見守って、何かを成し遂げたら一緒に喜んでくれる親。

あなたは、前者と後者、どちらの親御さんが好きですか? どちらのほうが「器が大きい」と感じますか?

それが答えです。


・感情的ではない、脅さない

基本的に、高次元の存在や大きな存在は、喜怒哀楽が激しくないです。
あるにはあるんですが、感情をぶつけてくることはありません。たとえば、イライラや悲しみを出したり、脅したり、怖がらせたりしません。
する必要がないからです。

裏を返せば、そういうことをしてくる存在は、あまり器が大きくない存在だということです。


・ユーモラスである、いつも機嫌がいい

高次元の存在は、ユーモアがあって、いつも機嫌がいいです。悪意のない愉快なイタズラをされる方も。
もちろん、真面目なときもあるんですが、基本的にはいつも楽しそうで愉快で、ユーモラスなんです。笑い転げるかたもいらっしゃいます。
「機嫌」は「波長」と似ているのです。


・まとめると

・名乗らない
・祀らせない・偉ぶらない
・命令しない
・感情的ではない、脅さない
・ユーモラス、機嫌がいい

○○しない、という否定形だと伝わりづらいので、まとめるついでに表現を変えます。すると、こうなります。

  • 名前を教えてくれるとしたら、あだ名のようなもの

  • 平等で、フラットな接し方をする

  • こちらの自由意志を尊重してくれる

  • わりとノー天気で、ニコニコしている

  • ユーモラスでいつも楽しそう

これが目安です!
「メッセージ届くけど、これって高次元の存在なの? ガイドさんなの?」と迷った方は、これを目安にしてみてくださいね😊

で。
気づいた方もいらっしゃると思うんですが。

これは、人間性としても当てはまります

つまり、こういう性格の人ほど「本当の意味で器が大きい」「本当に大きな人物」ということです。
あなたの周りにも、いらっしゃるのでは?
あるいは、あなた自身がそうかも?💕



★「高次元とつながりたい」「ポジティブだけがいい」という勘違いを続けると、どうなるか


今度は少し別な話題です。

「ハイヤーセルフとお話できるようになりたいんです」
「高次元ともっとつながりたいんです」
「光とだけつながりたい」

こういう話もたまに耳にします。

気持ちはすっごく分かります。私も昔、そう思っていた時期がありました。

でもね、これってアンバランスなんです。

どういうことか、何度かブログでも書いてきたんですが、大事なことなのでまだまだ書きます。

以前の記事も参考になるかも


・高次元に憧れるのは別に悪くない

「より高次元とつながりたい」という気持ち、それは素敵です。

そもそも人は、「少し上を目指したい」というプログラムがある感じなので、自分よりちょっと上に目が向くものなんです。これはもう「そういうものなのだ」と思ってください。

でも、「高次元だけを見る」になると、話は変わってきます。


・高次元「だけ」だと?

文章だけだと分かりづらいので、簡単な図を描きました。

描いてみました

こんなふうに、人は「体の上側」に目がついているのもあり、「自分の少し上」が気になるようにできています。
なので、「今より高次元にアクセスしたい」と思っても当然ですね。

それと、「自分よりほんの少し上」くらいの立場だったり、才能の持ち主だったりに、憧れたり・嫉妬したり・感情を揺るがされたりしがちなのです。

でも、ここで図の一番右側を見てください。
「自分の意識のキャパシティー」と書いてありますね。

これが、自分自身の意識の「器」のようなものです。

高次元だけを目指す」
光だけを見て、闇は見ない」

にすると、下部分は意識せず、上側を見ていることになりますよね。そうすると、「自分の意識のキャパシティー」の、上側に比重が傾きます。

でも、それではアンバランスです。
「上下ともに」広げていくのが大事なのです。

ここで別な図を載せます。

意識を植物にたとえてみました

「高次元やポジティブ方向だけ」に意識を向けるというのは、図のとおり、「花だけ」に意識を向けているのと一緒です。

花だけ大きくしても、花だけ立派になっても、茎や葉、根っこが育っていなければ、花に栄養はいきませんよね。
そうすると、花はすぐに枯れます。
枯れなかったとしても、実はつかないかもしれません。

名ありてじつなし」という慣用句があります。
評判はあるけど、中身がない……という意味ですが、いいかえれば「実がない」ということ。

高次元(花)だけに注目して、根っこが育ってない状態というのは、つまりこんな感じで、「中身が充実していない」ということなのかもしれません。

それに、もしかしたら根っこがないせいで、風や豪雨、干ばつに弱くて、すぐ倒れちゃうかもしれませんよね。根っこはしっかりしていたほうが良さそうです。


・低次元「だけ」だと?

今度は逆パターンです。
低次元だけ見る状態。
これは具体的にいえば、「現実的な物事はしっかり向き合っているけれど、目に見えない世界の話は信じていない」に似ているかもしれません。

この場合、根っこが育っているので、なかなか倒れることはありません。

ただし、物事の「視点の切り替え」は苦手かもしれません。

根っこ方面の視点は得意ですが、花のように太陽を見たり蝶や蜂と出会ったり、風の心地よさを感じたり……がないわけです。

言い換えると、「天からの愛・恵み」や「周囲とのかかわりの中にある見えない部分を感じる」能力が、少ないということ。

これがないと、「本当に自分がしたいこと」や「世界のことわり」「生まれただけで愛されていること」が分からないままなので、成長が遅くなるかもしれませんね。


・花も根も、葉もすべて大事。つまり「両極を広げる」ことが大事

ここまで読んでくると、「両極ともに大事そうだ」と、なんとなく感じませんか?

というより、光にあるものは闇にもあり、闇にあるものは光にもある、というのが真理です。
下の図の通りです。

互いの中に、自分があります。

闇から光が生まれ、光から闇が生まれる。互いの中に互いがある。その循環こそが、命であり、すべて。

それを図にしたものがこちらなんですよね。すごいよ、昔の誰か。天才。

この図を見るだけでも、「バランス」「両極のどちらも」が大事だと分かりますよね。


★今日のお話をぜんぶまとめると!

最後に、今日のお話をぜんぶまとめます。

★高次元存在かどうかの目安

名前を教えてくれるとしたら、あだ名のようなもの
・平等で、フラットな接し方をする
・こちらの自由意志を尊重してくれる
・わりとノー天気で、ニコニコしている
・ユーモラスでいつも楽しそう


逆に……・名乗る・祀らせようとする・偉ぶる・命令する・感情的、脅してくる……などのメッセージは「おかしい」です。あるいは「たいして高次ではない」と思ってOKです。

★高次元や光「だけ」が大事だと思い込み、他の部分を育てないと……

→根のない、実の成らない花になる。つまり、グラグラで育たない。現実的ではない。

★低次元や闇「だけ」しか見ないでいると……

→「天からの愛・恵み」や「周囲とのかかわりの中にある見えない部分を感じる」能力が、少ないまま。育ちが遅い。

つまり、

「両極ともに育てる」ことが大事。

ということですね!

長くなりましたが、最後までご覧いただき、ありがとうございます😊✨


どうぞサポートのお気持ちは、ご自分へのご褒美に使ってあげてください♡