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休日!!!

今日は日曜日だ!休日だ!休む日、と書いて休日だ!
何をしてもいいし、何もしなくてもいい。思うままに、いたずらに、消費される限られた人生の時間……贅沢!ああ、本当に休日が好きだ。

今は、冷房の効き始めた部屋で腕組みをしながら追憶に浸っている。
結構この営みが好きで、休日でなくとも暇であれば脳内を旅している。
妄想癖、というのかな?特に意味もない事柄を考え続けたり、思い出したりする。改ざんしたりもする。

改ざん。私一人しか知らない出来事は、私の記憶次第でどうにでもなるから、自身を騙すかのように嘘の記憶を反芻し続ければ、それはある日、事実に姿を変える。友達に言ったらドン引きされたけど、これってみんなやってることだと思うけどな……。まあ、やってないなら是非やってほしい。誰にも迷惑はかけないし、人生が楽しくなる。

というか、みんな記憶を過信しすぎな節はある(と思う)。
記憶なんてその時々で脚色されるものに違いなくて、その人にとってそれが良いものになるか悪いものになるかはわからないけど、勘違いや錯誤は絶対に、絶対に、避けられない。そしてみんなそれを認めたがらない。
冷凍保存された過去を解凍します!これが記憶です!って思っている人が多い(気がする)。
どうせ間違えてしまうなら、意図的に楽しく間違えようよ!って思うんだけどなあ。

眼科での診察を思い出してみる。
気持ちよかったな。快感だったな。
これって私だけなのかな、診察って気持ち良くないですか?なんか恍惚としてしまうというか、ぼーっとしてしまうというか。脳みそから愉悦や快楽に関わる物質がドバドバと放出されるのがわかる。実際、頭が熱くなって、痒くなって、ジンジンドクドク音が聞こえる。
理由はわからない。人に自分の話が傾聴される、という気持ちよさもあるのだろうが、それ以上の何かがある。なんでだろう。

おそらくろくに消毒もしていない、先程まで汚れたボールペンのグリップを握っていた先生の右手がまぶたをめくりあげる。ちょっと潔癖な性分だから、そんなことをされたら発狂してしまうのだが、キモチよくなっていた私はぼんやりとされるがままだった。
「軽いものもらいだね」一見したところ50は超えているだろうこの先生は、生涯において一体何度その台詞を口にしたのだろう。もし先生が拐われて監禁され、最低限の食料と水の他は何も与えられず、不衛生な部屋で何年も放置され、規則的に鳴る爆音のサイレンに睡眠を阻害され、数年ぶりに現れた誘拐犯(私)に突然メチャクチャな薬物を投与され、朦朧とした意識の中で呂律がおかしくなりながらも、診察を頼まれれば、そこでも「軽いものもらいだね」はスラスラと淀みなく出てくるだろう。
私の場合はどうだろう。飽きるくらい言い放った言葉、フレーズはあるのだろうか。ありがとう、か、ごめんなさい、だろうか。

わりかし厳格な父と母は、ことあるごとに感謝と謝罪の常套句を用いるように私を躾けた。「けっして安売りしろとは言わないけど、ありがとうとごめんなさいはいくらでも言いなさい」とは若き母がよく言ってたっけ。当時は、しつこいな、もうわかってるよ!だなんて、裏で毒づいていたけど、今ではそうしてくれたことに感謝している。
恐縮ながら、礼儀正しい子だね、と褒められる機会が時折ある。でもそれは、私にでなく父と母に功績がある。
お父さんお母さん、本当にありがとう(書いててなんだかこっぱずかしい)。

とか考えているうちに、先生は干からびたミミズのような文字が這いつくばるカルテに向かって新たなミミズを書きおこしている。
「まあ見たところ、ものもらいにもなってないかもね。でも放っておくと腫れてくるだろうから目薬だけ処方しとくね」ノック音と共に引っ込んだペン先が、診察の終わりを知らせるようで物寂しくなった。
無駄話でもいいから先生と話していたくなった。話しているだけで快楽をくれる先生と、もっと一緒にいたかった。まぶたの違和感とは関係のない話でもいいから投げかけたかった(ダル絡みで草)。
私の他に患者のいなかった待合室の記憶は、長居が迷惑ではないことを印象付け、それが私を大胆にさせた。

「なるほど、では、ものもらいの初期微動、といった感じでしょうか」先生の関心を引きつけたい口が、勝手に開いていた。先生は首だけでこちらを見た。そして笑った。「おもしろい形容をする子だね君は」目尻に集まったシワは猫のひげのようだった。
「ちゃんと目薬をさせばS波は来ないから大丈夫」さすが医者。知性を備えた人でないと、不意にこうは返せない。監禁されて痩せさらばえた脳内の先生に、座布団をくれてやった。「軽いものもらいだね!」頭がおかしくなったのか、先生はもうその言葉しか言えなくなっていた。ありがとう!と言いたかったのだろうか。やはり人間は誰かと話さないとコミュニケーションの手段に乏しくなるらしい。全く。私の母を連れてきてやりたい。先生は、ありがとう、と、ごめんなさい、は言えるようになるだろうから。

なんで急に眼科のことなんて思い出すのだろう。今向かっている白紙が暖色の室内灯を反射して、あの眼科の看護師の服の色を思い出させるからだろうか(私は一度紙に書いてからPCに打ち込む)。

あの色は、iPhoneのNight Shiftの液晶だった。半年目の透明なスマホカバーだった。水道管が鉄製のために錆を含有する私の家の水道水だった。眼病患者のめやにだった。ノスタルジーだった。新しく買った靴だった。

そう、そういえば二年ぶりくらいに靴を買った。ファッションだとかの流行に疎い私は、いつも、同じような質素な服を着ていて、それがよれたり傷んだりしなければ基本、服も靴も買わない。
インドアなので、靴などは本当に買い換えのタイミングが訪れない。
そんな私をときめかせる靴が先日現れた。
とてもとても、きゃわわなのだ。
それを見せびらすのを結びにして、そろそろお昼寝しようと思う。


New Balance 550 "Hemp"
太くて目立つ繊維が可愛いでしょ!てへ。


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