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モードの歴史vol.5 アントワープSIX 〜ミニマリズムとグランジ〜

こんにちは、lilcatです。
今回も前回に引き続き「モードの歴史」ついてのまとめを掲載させていただきます。
一応今回で20世紀のモードの歴史は最終回となりますので、お時間のある時にでもどうぞごらんくださいませ。

1990年 マルタン・マルジェラとグランジファッション

時代は1980年代から変わり、1990年へ突入。
日本では80年代のバブル経済が引き続いており、世界的に景気の良い時代でした。

そんな中、ベルギー出身の若手デザイナーがファッション業界に新たな風を巻き起こします。

マルタン・マルジェラ

彼はデザイナー「マルタン・マルジェラ」
ブランド、メゾン マルタン・マルジェラの創設者です。

創設者 マルタン・マルジェラ(Martin Margiela)
1959年、ベルギー・ランブールに生まれる。
16歳からアートスクールにてデッサンを学び、コムデギャルソンのデザイナー「川久保玲」に魅了され、18歳でアントワープ王立美術アカデミーファッション科に入学。

卒業後はフリーランスのデザイナーとしてミラノに渡り、実績をあげたのち84年にパリでみたジャン=ポール・ゴルチエのショーに感銘を受け、ゴルチエのもとで3年間のキャリアを積んでデザインを学ぶ。
1988年にてフランス・パリで「ジェニー・メイレンス」をビジネスパートナーに招き、自身のブランド「メゾン マルタン マルジェラ(Maison Martin Margiela)」を設立する。

マルジェラに関しての詳しい概要は過去の記事にてまとめておりますので気になる方はよければ読んでみてください。

ゴルチエのメゾンでアシスタントデザイナーとして3年間経験を積み、88年についに自身のブランドを立ち上げたマルタン。
そしてその翌年の1989年にて初のパリ プレタポルテ・コレクションにてデビューしました。

そのデビューコレクションの表現方法は凄まじいもので、ショーの開催地はなんと廃墟で、決して美しい容姿とは言えないモデルにタイツ素材のような布を被せ、モデルの顔を隠し、自身のブランドの洋服を着せてランウェイを歩かせるなどセンセーショナルなショーを行いました。

ショーにて
マスクやペイントなどで顔を隠すモデル達


整ったビジュアルのモデルを起用しないショースタイルは師である「ジャン=ポール・ゴルチエ」と同じで、顔を隠すことで洋服の存在感を際立たせるという戦略でした。

マルジェラのブランドコンセプトは「アンチモード」で、その時期「ヨウジヤマモト」や「コムデギャルソン」などが築き上げたオーバーシルエットのトレンドに反抗し、タイトなシルエットのアイテムを打ち出しました。
ファーストコレクションで登場したタイトシルエットよアイテムではゴルチエからも出ている体にしっかりとフィットする「タトゥートップス」が有名です。

1989年 タトゥートップス 
ライラトウキョウから引用


また、マルタンとビジネスパートナーであるメイレンスのプランニングは特殊で、マルジェラを語るので欠かせないのが「四つタグ」「カレンダータグ」と呼ばれるもの。


この「カレンダータグ」の誕生するまでの軌跡は、メイレンスが「マルタン・マルジェラとだけ書いてあるタグでは面白くない。インパクトのある服を手に取るとタグにはブランドの名前がない、そうするととても興味が沸くとは思わない?」というアイデアのもと、マルジェラのブランドのビジネスカラーである「白(白が一番自分の色を映し出す、スクリーンであるという理由)」から「カレンダータグ」の前身である「白タグ(のちのレディースのコレクションライン)」が誕生しました。


このアイデアにマルジェラは初めは乗り気ではなかったのですが「ブランド名に固執してほしくない」という意図で表側に4本の糸でタグを縫い付けるということを条件に賛成しました。
そして、それぞれのコレクションラインがわかりやすいよう、0から23番までの数字を記し、当てはまる番号に◯をつけることで、「カレンダータグ」が完成します。


このように、マルジェラというブランドは個性的なブランドイメージを採用し、顧客へのインパクトを与えることが得意なブランドであります。


もちろん、プランニングだけではなくデザイン性も素晴らしいもので、ショーコンセプトは「再構築・再定義」を掲げており、カレンダータグ0番と0・10番のアーティザナルラインは「解体再構築ライン」と呼ばれていてマルジェラの創作活動の根幹といわれています。
アーティザナルラインはほとんどが一点ものでその名の通り古着やアンティークを解体し、再構築し、一着の洋服を制作するというものです。

1990ss アーティザナル
メトロポスター

この古着やアンティークからインスパイアしたアーティザナルラインが90年代に大ブレイクを果たす伝説的バンド「Nirvana」のボーカル「カート・コベイン(Kurt Cobain)」が着ていた服装、パンク・ロックなどの派生で生まれた新たな音楽ジャンル「グランジ」から命名されたグランジファッションの先駆けであるとされています。

グランジファッションは「Nirvana」がヒットしたきっかけであるセカンドアルバムの「never mind」がリリースされた頃、世界的に大流行。

社会現象にもなったグランジの先駆けにもなった、マルタンの独創性あふれるデザインとコンセプチュアルな手法がファッション史において最も偉大なデザイナーに選ばれる理由だと僕は思います。

Nirvana ボーカル
カート・コベイン
(Kurt Cobain)


1990年 アントワープSIXの登場

マルタン・マルジェラがデビューしてまもなく、マルタンと同じアントワープ王立美術アカデミーの卒業デザイナーが6名デビューを果たします。


アントワープSIX

左から 「マリナ・イー」 「ドリス・ヴァン・ノッテン」 「アン・ドゥムルメステール」 「ウォルター・ヴァン・ベイレンドンク」 「ダーク・ビッケンバーグ」 「ダーク・ヴァン・セーヌ」

彼らはマルタン・マルジェラと同じ時期にアントワープ王立美術アカデミーでデザインを学んでいました。そしてのちに、それぞれがそれぞれのジャンルで世界的に活躍するデザイナーになっていく伝説的デザイナー集団が「アントワープSIX」(別名:アントワープの6人)

「アントワープSIX」
メンバー6人は皆、1980〜81年の間にアントワープ王立美術アカデミーを卒業。
入学の時系列は、ウォルターとマルタンが一年先に入学しており、5人は同期である。
マルタン・マルジェラと同じく、「コムデギャルソン」の「川久保玲」に触発されアパレルデザイナーを志すようになったメンバーで構成されている。
1985年、無事に卒業した6人は一台のバンに自身らの作品を詰め込みロンドンファッションウィークに参加。6人合同ショーを開き、マスコミから注目を浴びる。

ファッションに詳しくない人でも名前だけ聞いたことあるようなデザイナーが集ったグループ「アントワープSIX」。
同期であるマルタン筆頭にアンはレディース、ドリスはメンズ、ビッケンバーグはシューズ、ウォルターとセーヌはニットで有名になっていきます。
この時、マリナ・イーはビジネス上のトラブルなどもあり、デザイナーを引退しておりますが、現在は「M.Y. project」という新たなブランドを立ち上げました。


ここまでの大物デザイナーが同時期、同じ学校からデビューするということは奇跡としか言いようがないでしょう。


1990年 ヘルムートラングのミニマリズム

さて、ベルギーデザイナーがパリコレを賑わせている時、同時期に活躍した新たなファッションスタイルを確立させたデザイナーを紹介いたします。


ヘルムート・ラング

ブランド 「Helmut LANG」の創設者「ヘルムート・ラング」

ヘルムート ラング(Helmut LANG)は1956年、オーストリアのウィーン生まれ。
幼少期、両親が離婚し、親権を持った母親が亡くなったため、祖父母に引き取られ田舎で育ち、10歳でウィーンの父親の元に戻る。

独学で服作りを学び、自分が着るための洋服をデザインして着ていたのが好評になり、友人に服を作りはじめる。
1976年、ウィーンで自身のブランド「ヘルムート・ラング」を設立。
1986年パリで開催されていた「ウィーン展」にてパリコレデビューを果たす。
1997年に拠点をウィーンからニューヨークへ移し、翌年からニューヨークコレクションにも参加。
97年、「ヘルムート ラング・ジーンズ」を発表。1998-1999 A/Wから「ヘルムート ラング・シャツ」をスタート。99年、「ヘルムート ラング・カシミア」を発表。
2000年、「メンズウェア・デザイナー・オブ・ジ・イヤー」を受賞。

ヘルムート・ラングもマルジェラやアントワープSIXの面々と同じように、90年代を代表する偉大なファッションデザイナーです。


ヘルムート・ラングのデザインの特徴としてはなんといってもシンプルで洗礼されたデザイン。
装飾などのデザインを最小限抑え、シャープな作りが特徴的です。
他ブランドのジル・サンダーやアルマーニなどもシンプルなデザインは取り入れていましたが、ジャンルを確立したのはラングが最初と言われております。
シンプルなデザインで通年使えるベーシックなものなのに品質はとても高いという点から顧客が増加。多くのデザイナーにも影響を与えました。
まさに「ミニマリズムファッションのパイオニア」的存在でしょう。


また、シンプルながらもデザイン性の高いアイテムは展開されていたこともあり、アーカイブで人気なアイテムは「防弾チョッキ」や「ボンテージパンツ」「ハーネス」などが人気です。

また、ヘルムートラングのアーカイブもマルジェラと同様に非常に値段が高騰しており、理由は2010年にヘルムートラング社のアトリエが火災にあい、そこには6000着以上のアーカイブが保管されていましたが幸いにも全て無傷で事が済んだのにもかかわらず、ラング自身が産業用シュレッダーにかけて、新たな作品の材料としてその断片を再利用し、石膏と塗料で固めた柱のような彫刻アートにしてしまったため、いま存在するアーカイブ品が少ないからです。

もし本人期のヘルムートラングを手に入れる機会があれば、永遠の宝物にするべきだと思います。

ヘルムートラング
「ハーネス」「グローブ」「ブラトップ」

98ss 防弾チョッキ

04ss ボンテージ

2005年にヘルムート・ラングはデザイナーを引退し、現在はビジュアルアーティストとして活躍しています。
「アーティストになりたかった」と幼少期の頃から思ってはいたようでゴムや洋皮、タールなどの素材を使ったアートなどの制作に励んでいる。




最後に‼️

vol.1からvol.5まで1910〜1990年代までの100年間のモード歴史について。
いかがだったでしょうか?
楽しんでいただけたでしょうか?
自分もまだまだ知識不足なところもございますので、「ここ間違ってるよ〜」など補足ございましたら、インスタのDMやnoteのコメントにてお気軽にご連絡ください‼️

今回の企画に関してはかなり多くの人に読んでいただきました!本当にありがとうございました〜‼️

また機会があれば21世紀初頭からまとめていきたいと思いますので、次回の記事をお楽しみください!

今回も長文読んでいただきありがとうございました😊



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