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自意識過剰から抜け出したキッカケ

私は25歳位まで所謂、自意識過剰というやつを引きずっていた。自意識過剰や強迫観念じみた思考というのは、殆どの人が思春期に陥ると思う。普通の人はどうやってどれくらいの時期に抜け出せたのだろうか。
今回は私がそこから抜け出すキッカケになった話を書こうと思う。
「25歳まで引きずってたの?ダッサ!」て思った人、思っても口に出さないで欲しい。泣くので。

今考えると馬鹿みたいだが、当時の自分は「○○をしたら、人から△△に思われるのでは?」という勝手な推測をして、それによって行動が制限されていたように思う。
それは「人を不快にさせないように振る舞おう」とかいったモラル的なことではなく、人に良く思われたい、馬鹿にされたくない、といった自己防衛によるものだった。

そうやって周りの目ばかりを気にしていたので、特別容姿に優れていたわけではない私は、当然ながら恋人も中々出来ない有り様だった。
そして悲しいかな、それが自意識過剰をさらにブーストをさせる要因にもなっていたと思う。正に負の連鎖、ダウンワードスパイラルである。

カッコいいワードを無駄に出してしまったが、それよりも、そんな状態からどうして抜け出せたのか。答えはとてもシンプル。
伯母さんに「それはあなたが自意識過剰なだけよ」と言われたのがキッカケである。「え?それだけ?」と思われるかも知れない。だが考えてみて欲しい。
何らかのコンプレックスを抱えている人や酷い殺人事件などで、事の顛末を聞いてみると、それは人からの些細な一言が引き金であった、なんていう事もよく聞く話だ。
今回はそれが悪い方向ではなく良い方向に作用しただけの話だ。

その伯母さんの一言がキッカケで「今まで自分が色々と気にしていたのは、ただの自意識過剰だったのか。ならば私自身が気にしなければいいだけの話ではないか」と、憑き物が落ちた感覚があった。

ただ、その一言をくれた伯母は、普段自分の周りにいる平均的な人生を送ってきた歳上の人物達とは違い、海外に移住してバリバリに仕事をしていて視野が広い人物である事が、その一言に説得力を持たせていた、というのも少なからずあるだろう。
これを堅物銀行員みたいな親戚に言われていたら響かなかったかも知れない。

このように、伯母に言われた一言でハッとなった経験があるので、似たような状態に陥っている人に同じようなアドバイスを送ったところ、それは目から鱗だったと喜ばれた事がある。もし、これを読んでいる若い人が何かに悩んでいるならば、それはもしかして自分が自意識過剰なせいかも知れない、と考えてくれるキッカケになれば、そしてその悩みが少しでも解決に向かう事になれば嬉しい。

自分が思っているほど他人はそこまで貴方の事を見ていないし、見られていると思っているならば、それは貴方の自意識過剰以外の何物でもない。
そう考えれば(というか実際にそうなのだが)、結構色んな物事が気楽に見えたりはしないだろうか。

例えば、気になってる異性にモーションをかけたいけど、人に見られたら「あいつあの子に好意を持ってるみたいだけど身の程知らずなやつだな」とか思われやしまいだろうか、とか余計な事を考えて躊躇していたりしないだろうか。
だとしたらそれは貴方の自意識過剰に過ぎない。そこまで人は貴方を見ていない。そんな事で躊躇してアプローチを掛けずに機会を逃す方がよっぽど馬鹿げている。

そんなこんなで自意識過剰から抜け出せたら、色々なチャンスがあるかもよ、という急に雑な文章になったところでこの記事を締めようと思う。それでは。

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