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投げつけられたお年玉

 ポテトチップスをテーブルに出してぼんやりとしながら口に運んでいたら、急に小学四年生のお正月のことを思い出した。年始のエッセイに出したらあまり明るい年明けになりそうにないので、今書いておこうと思う。
 
 その年は、祖母の弟である大叔父が祖母の家に泊まりに来ていて、私の家から徒歩一分の祖母の家に私も遊びに行っていたのだった。優しい彼の側で、一緒にテレビを見たり、話を聞いたりしているのが楽しかった。私は物腰の柔らかい大叔父が好きだった。
 
 大叔父やみんなと一緒に、話したり蜜柑を食べたりしているうちに、私はふと「お年玉をもらっていない。お年玉欲しいな」と思った。小学生の考えることだから、やっぱりお正月にはお年玉がセットになっていたのだ。かと言って、大叔父はたまにしか会わない親戚だから、さすがに自分から「お年玉をください」とは言えなかったのだった。家に走って帰った私は、母に「大叔父さんからお年玉をもらいたい」と訴えた。私の毎年のお年玉は、両親から二千円と、祖母から二千円だけしか貰えなかったから、少しでも多くお年玉が貰えたら嬉しいだろうと思ったのだ。
 
 よく考えると、そう思った時点から私は間違えていたのだろうけれど、子供だからお年玉はせびるものではないとはハッキリとわからなかったのだ。それを、母はそうとは言わずに、「「お年玉をください」って言ったらええやん」と呑気に返事をしたのだった。
 
 私はそれを言うのは嫌だったけれど、母が言ってくれないなら自分で言うしかないと思って、祖母の家まで走って行って、窓際にもたれて立っている大叔父に勇気を出して「お年玉をください」と言ったのだった。
 
 その瞬間、彼は眉をしかめて私を睨みつけた。そして、黙って財布を取り出すと、なんと二千円を床にめがけて投げつけたのだった。
 
 私はそうされたことで泣くほどの子供でもなかったし、その投げ捨てられたお金を拾わずに睨み返せるほどの大人でもなかった。一瞬拾った二千円をぐしゃぐしゃにして投げ捨てようかと思ったけれど、結局床に這いずって千円札を一枚ずつ拾ったのだった。子供ながらに屈辱感でいっぱいだった。なんとかその二千円を拾うと、ものも言わずにその二千円を握ったまま家に走って帰ったのだった。
 
 未だに私が二千円を拾う姿を、薄笑いを浮かべながら眺めていた彼の表情を忘れることができない。
 
 その時、誰もなんにも言わなかった。助け舟を出してくれる大人は一人もいなかった。「お年玉はせびるものじゃない」と、たしなめてもくれなかったし、お金を床に投げ捨てた大叔父を止める大人も居なかった。
 
 私がそれほど憎たらしい小娘に見えたのか、そこまでしないと気が済まないほど失礼だったのか。未だにわからないけれど、それ以来大叔父が祖母の家に来るときは二度と訪ねて行かなくなった。
 
 私が大人になって考えてみると、礼儀はそんなやり方で教えるものではないと思うのだ。言葉で穏やかにきちんと伝えれば子供は無茶を言わないはずだ。そして、そういうけじめは忘れない。心を深く傷つけるやり方で身につけさせるのは、躾ではないと思う。今私が子供も独立してしまうほどの年齢になっても、あの時の屈辱感は拭い去れない。
 
 本当に衝撃的な出来事だった。二度と味わいたくない出来事だ。その上に、そんな思いをして長年かかって貯めたお年玉を使おうと思って母に言ったら、「そんなもん、とうに使ったわ!」と何故か逆ギレされて、私は貰ったお年玉を一円も使わずに、全部失くしてしまった。
 
 子供というのは無力だ。大人に太刀打ちできない。暴力的に行動されたら涙も流さずに、唇を噛んで耐えるしかないのだ。私はそういう事は自分の子供達にはしたくない。決してしない。そう固く心に決めている。
 
 あの大叔父は、もうこの世にいない。けれど、一度会えるなら、あの時のどんな気持ちで、あんなことをしたのか尋ねてみたい気がしないでもない。そして、あの時床を這いずって拾い集めた二千円を彼に返したいと思っている。

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